沈黙

  「私は言った。
   私は自分の道に気をつけよう。
   私が舌で罪を犯さないために。
   私の口に口輪をはめておこう。
   悪者が私の前にいる間は。
   私はひたすら沈黙を守った。
   よいことにさえ、黙っていた。
   それで私の痛みは激しくなった。
   私の心は私のうちで熱くなり、
   私がうめく間に、火は燃え上がった。
   そこで私は自分の舌で、こう言った。

   主よ。お知らせください。
   私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。
   私が、どんなに、はかないかを
   知ることができるように。」(詩39:1-4)

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 詩人ダビデが自ら沈黙を選んだのか、それとも沈黙を強いられたのかはよく分からない。
 あるいは沈黙せざるを得なくなったのかもしれない。
 そうしてダビデは、この沈黙の重さに、要するに死にたいと御父にこぼす。
 このような人生の闇のときに人は全く頼りにならない。「私の愛する者や私の友も、私のえやみを避けて立ち、私の近親の者も遠く離れて立っています。」(詩38:11)とあるとおりである。
 そうであっても、イエスの十字架と復活を通して私たちと和解してくださった御父は、そんなときにもいつも共にいてくださる。私たちは、イエスが救ってくれたほどの存在なのである。
 御父とともにいる幸いを感じつつ御父に話そう。こんなときは死にたいと素直に話そう。

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 健やかな一日をお祈りします!

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