『みことば』と『あなたがわたしに下さったみことば』

 「いま彼らは、あなたがわたしに下さったものはみな、あなたから出ていることを知っています。
 それは、あなたがわたしに下さったみことばを、わたしが彼らに与えたからです。彼らはそれを受け入れ、わたしがあなたから出て来たことを確かに知り、また、あなたがわたしを遣わされたことを信じました。」(ヨハネ17:7-8)

---

 イエスの祈り。

 私たちは聖書を通して、日々みことばに接している。
 聖書に何かがあると思うので、日々みことばを調べている。
 そのことが無駄になることは決してない。
 だがそれは「みことば」であって、「あなたがわたしに下さったみことば」とは異なる。

 両者はいったい、何が違うのだろうか。
 復活のイエスは、みことばを通して私たちにお会いになる。
 まさに、「あなたがわたしに下さったみことば」を通して、私たちにお会いになるのである。
 このとき、みことばは字面の意味などはるかに超えて私たちの中に入ってきて、私たちは子を知り、御父を知ることとなる。

 違う言い方をすると、日ごろ接するみことばは、文字の連なり以上のものではない。
 ところがこのときには、みことばという剣で、イエスは私を一瞬のうちになぎ倒すのである。
 なぎ倒されてはじめて、私はイエスが誰かを知り、御父の全能さに圧倒される。

 どのみことばかが与えられるのかは、そのときにならないと分からない。
 だからこそ、日々みことばに接することが大切になってくる。
 みことばを知らないのに、みことばを介したイエスとの出会いがどうしてあり得るだろう。
 賢い娘と愚かな娘のたとえ話にあるように、備えが非常に大切なのである。

---

[一版]2017年 7月 9日
[二版]2019年 4月20日(本日)

 健やかな一日をお祈りします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )