宮清め

 「ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。
 そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、
 細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、
 また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
 弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす。」と書いてあるのを思い起こした。
 そこで、ユダヤ人たちが答えて言った。「あなたがこのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか。」
 イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。
 そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
」(ヨハネ2:13-20)

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 宮清めとして知られる箇所。

 神殿は、もはや神殿というよりも「商売の家」に堕していた。
 「牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たち」というのはどちらも、捧げものを神殿で融通できるようにした商人たちで、宮参りに来る人々にとってもコンビニエントな存在というのは確かなことだ。宮参りに来る人が遠くから牛を引っ張ってくるのは、確かに難儀だろう。
 この聖書箇所には書いていないが、思うに、この商人たちは売り上げの一部や場所代その他もろもろを支配階級であるサドカイ人に納め、その見返りに神殿内でのこの独占的な商いを許可してもらっていたことだろう。宮参りをする利用者も便利だと喜んでいる。
 なんのことはない、現代の日本や世界でごくありふれた利権の構図にすぎない。

 問題は、そのような利権が神殿という聖なる場でまかり通っていることであり、それでイエスは怒った。
 「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
 そして、この神殿はだめなので壊して、本当の神殿を建てる。それも三日で建てると約束する。
 ちなみに、その本当の神殿とは、復活のいのちにあずかった私たち自身のことである。

 終わりの日というのは、この宮清めの相似形であるかもしれない。
 この世界は御父が造られたのであるから、やはり聖なる場であるだろう。

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