最後まで耐え忍ぶ者は救われます

 「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。
 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。」(マタイ24:9-24:14)

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 イエスの黙示。

 聖書的には、この世に存在するのは次の二種しかいない。
 救われて信じるか、それとも、そうではないか。
 イエスが上の聖書箇所で「あなたがた」と言っているのは、無論前者である。後者は単に「人々」と言っている。

 「あなたがた」は救われたゆえに、「人々」とは色々と異なってくる。
 言うことやちょっとしたしぐさ、行い、そういったことで、かなり異なってくる。
 そうすると、メジャリティーの「人々」側は「あなたがた」を苦しめ、憎しむ。
 なぜかというと、そうするのが楽しいからだ。端的に、楽しい。
 「あなたがた」をいけにえ(スケープゴート)にして、「人々」の結束を更に固める。「人々」にとって、この世は楽しい。

 では、「あなたがた」はどうするのだろう。
 「最後まで耐え忍ぶ者は救われます」とイエスは言う。
 つまり、「最後」がある。
 聖書は一貫して、「終わりの日」のことを書いている。
 この日、この世の終わる日に、この世の原理に従っていた「人々」は「あなたがた」から取り分けられ、キリスト・イエスは「あなたがた」をすくい取ってくださる。

 「あなたがた」は、この日を希望にして、行き続けるのである。
 「最後まで耐え忍ぶ」ことは、たやすい。実にたやすい。
 なぜなら「あなたがた」は、復活のイエスからいただいた「いのち」によって生かされているからである。

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