イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
自分を低く
「だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。」(マタイ23:12)
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低く(高く)されるお方は、神であり、鼻っ柱が強いと折られしまう。
目立たないところで地道にやっていれば、そのうち陽が当たる。
このように、処世訓に解することもできる。
しかし、このみ言葉はマタイ23章にある。
そうすると、「自分を高くする者」とはパリサイ人、律法学者を指すことが明らかだ。
なにしろ、この23章というのはパリサイ人たちへの悪口を一箇所に編集したような箇所なのだ。
一方、「自分を低くする者」というのは、彼らとは対極の階級だろうから、取税人や遊女のような存在であろうか。
実際イエスは次のように仰っている。
「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国にはいっているのです。というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。」(マタイ21:31-32)
(「あなたがた」は、ここでは祭司長、長老たち、パリサイ人(21:23,45)、「ヨハネ」はバプテスマのヨハネ。)
引用聖句は、この箇所とつじつまが合う。
確かに信じるというのは、一種降伏させられるところがある。
取税人、遊女だって、周囲からゴミ扱いされ状況に押しつぶされ、それでいの一番に神に降伏した。
だから「自分を低く」とあると謙遜さの類を感じるけれども、それよりも神の御前に「自分を低くせざるを得ない」という方が近いのではないだろうか。
「自分を低く」することを自覚してかみしめると、「高くされます」、神は上へ上げてくださる。
山上の説教の第一声、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイ5:3)も、つじつまが合う。
心の貧しさを自覚しないことには、つまり低くなければ、はじまらない。
私は、「自分を低く」は、一般的に言うところの謙遜の意味ではないと思う。
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[付記]
本日の記事は、2007年9月19日付記事に筆を入れたものです。
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低く(高く)されるお方は、神であり、鼻っ柱が強いと折られしまう。
目立たないところで地道にやっていれば、そのうち陽が当たる。
このように、処世訓に解することもできる。
しかし、このみ言葉はマタイ23章にある。
そうすると、「自分を高くする者」とはパリサイ人、律法学者を指すことが明らかだ。
なにしろ、この23章というのはパリサイ人たちへの悪口を一箇所に編集したような箇所なのだ。
一方、「自分を低くする者」というのは、彼らとは対極の階級だろうから、取税人や遊女のような存在であろうか。
実際イエスは次のように仰っている。
「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国にはいっているのです。というのは、あなたがたは、ヨハネが義の道を持って来たのに、彼を信じなかった。しかし、取税人や遊女たちは彼を信じたからです。しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。」(マタイ21:31-32)
(「あなたがた」は、ここでは祭司長、長老たち、パリサイ人(21:23,45)、「ヨハネ」はバプテスマのヨハネ。)
引用聖句は、この箇所とつじつまが合う。
確かに信じるというのは、一種降伏させられるところがある。
取税人、遊女だって、周囲からゴミ扱いされ状況に押しつぶされ、それでいの一番に神に降伏した。
だから「自分を低く」とあると謙遜さの類を感じるけれども、それよりも神の御前に「自分を低くせざるを得ない」という方が近いのではないだろうか。
「自分を低く」することを自覚してかみしめると、「高くされます」、神は上へ上げてくださる。
山上の説教の第一声、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイ5:3)も、つじつまが合う。
心の貧しさを自覚しないことには、つまり低くなければ、はじまらない。
私は、「自分を低く」は、一般的に言うところの謙遜の意味ではないと思う。
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[付記]
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