WALKER’S 

歩く男の日日

出会いの旅 10

2019-05-21 | 日記


 安宿の側のローソンで出会った男性が7年前に会っていた高崎さんだとはしばらく話すまで分からなかった。高崎さんとはどういう出会いだったかはこのブログのバックナンバー2012年4月24日~27日を見てもらえば詳しく書かれています。いっしょに歩いたその日に8年ぶりの竹下さんとの出会いがあったのも何かのご縁でしょうか。牟岐の民宿あづまでは枯雑草さんとも同宿だったのでした。ぼくはその時別格だけを電車やバスを使いながら区切りで巡っていたのですが、あの日のことは未だにはっきりくっきり憶えています。竹下さんのザックに金剛福寺でもらったストラップが二つぶら下がっていたのも憶えています。竹下さんはその時9巡目で初めての逆打ち、あの日からぼくの本当のお遍路が始まったということなのかもしれません。
 高崎さんはその時超軽量の荷物(1kgあるかなしか)で、時々走りながら巡っていた、彼はWalkerではなくRunnerです、フルマラソンをサブ3で走る本格的なランナーなのです、前に会ったときは宿に泊まっていましたが、今回は野宿で寝袋も持っているのでなかなか走ることはないようです、でもその荷物はいつもコンパクトだといわれるぼくのザックより小さく軽い、小さくて軽くて暖かい最高級の寝袋だといいます、4万円以上するそうです。ただ寒くはないけれど、蚊が出るときびしい、テントは持っていないから顔中ひどいことになってほとんど眠ることもできないそうです。今回はコンビニから上長谷の集会所まで一緒に歩いて、彼は集会所で野宿をしたのですが、運悪く蚊が出てほとんど眠れなかったといっていました。次の日は観自在寺の通夜堂だから問題なかったでしょう。


出会いの旅 9

2019-05-20 | 日記


 大洲のときわ旅館は14年から6年連続でお世話になっています。ぼくの中で絶対外せない、外したくない四国の宿が5軒ほどあるのですがそのうちの一軒です。5年前最初に泊まった時、ご主人とはもちろん初対面だったのですが、ご主人はぼくのことを知っていました。顔は知らないけど存在は知っていた、9年ほど前、四国を歩けなかったときに6番の手前のヘンロ小屋に宿案内を勝手に50部ほど置いて日帰りしたことがあった。あるお遍路さんがそれを手にして四国を巡った時、ときわ旅館で夕食の時に見せたらほかの人が欲しがってご主人が全員分コピーしてくれた、とその時居合わせた京都のATさんに直接伺いました。その時以来ご主人はぼくのブログもホームページも見てくれていたようだし、何よりその数日前に泊まった知り合いのお遍路さん二人のの話題にもぼくのことが登っていたようでした。食事の時に正体を明かしたら、ご主人はすごく喜んでくれて本当に会いたかったと言ってくれました。以来毎年宿案内を書き換えて届けています、神谷さんなどはあまり多くの人にいい宿を知られると自分の予約が取りづらくなると言うし、たしかに外の宿に良い影響を与えないことがあるかもしれないけれど、全体からすればごく一部だと割り切って、いくらかでも喜んでもらえるならと続けています。
 最初に泊まった時はぼくひとりで,その分ご主人といっぱいしゃべることができてすごく良かった、2回目は神谷さんと二人でこれも今年につながる良い出会いでした、以降は同宿の人もいたのですがあまりしゃべれなかった。今年は男性の歩き遍路さんばかり7名、その中で23回目と聞いて、すぐ、金子さんですかとこちらから声を掛けました、昨年四万十を渡ったところのヘンロ小屋でお札の交換しました。昨年そのことを当日のブログに書いたら阿佐美さん(4年前うまめの木で同宿だった)からメールが届いて、金子さんとは小豆島を一緒に歩いたと、四国に入ってから別行動になったということでした。二人は小豆島のファンで、今年も小豆島を歩いてから四国に入った、ぼくが昨秋初めて小豆島を歩いたと言ったら、はまったでしょ、と金子さんがいうけれど、ぼくはまだそこまでの余裕がなかった。はまるという感じはすごく理解はできるけれど、ぼくの場合日程がきつくて、忙しすぎたし、レポートもしなくてはならないし、タイムメモも書かなくてはいけないし、楽しむ味わうまでいかなかった。それに姫路から近すぎるというのもあったのかもしれません。金子さんは夕食の後阿佐美さんに連絡をしたら、なずなでぼくと1日違いで泊って残念と言っていたそうです。
 金子さんとは翌日出石寺でもいっしょでうどんをいただきながらゆっくりお話しできました。彼の古い感じの東京弁(江戸弁)が耳に心地よくて聞きほれてしまいました

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出会いの旅 8

2019-05-19 | 日記


 今回素泊まりで泊った宿が10軒、1組限定の宿が2軒、食事はしたけど部屋食か、同宿の人がいなかった宿が7軒。同宿の人がたくさんいても反って話ができないことも時々あります。今回で言えばふれあいの里さかもと。さかもと、小松、八丁坂は人気の宿で泊れる人数も多いけれど話ができない確率も結構高い、それでも2年前の小松では珍しく盛り上がった、ぼくの隣が連泊の靴の寅さんだったし、フランス人とベルギー人の二組の夫婦の相手をしていたのが柏市の鏑流馬さん、鏑流馬さん夫妻とはその日、栄福寺で出会って、その前年世界ふしぎ発見のお遍路ロケ(副島淳君)と同行した話をたっぷり聞かせてもらっていました。その鏑流馬さんと2年ぶりに再会できたのが写真のロッジカメリア。この前日風自遊庵で4日前の書き込みを見つけていて追いつけるかどうかと、ぼくはこの先長い距離バスに乗るのでそこで抜いてしまうのではと案じていたところ、意外なほど早く追いついてしまいました。今回はご主人の友人のスペインの人と一緒の3人旅、日本の食べ物が合わなくて大変だと風自遊庵のご主人が言ってました。その後松山のまほろばではぼくが泊まった4日後に予約が入っていると奥さんが教えてくれました。話の流れでスペイン人の予約が入っていることが分かって、もしやと思って詳しく聞いたらそういうことでした。まほろばは新しい宿で15年の英語の地図には載っていなかったのに本当に多くの国の方が泊まっているようです。


出会いの旅 7

2019-05-17 | 日記


 巡航船で乗り合わせた、なずなに泊まった岡部さんと三陽荘に泊まった近庄さんは一緒にゲストハウス恵まで歩く、20kmほどしかなかったので15時前に到着して、ぼくが到着した15時にはお風呂を終えたところでした。
 なずなで同宿だった松前さんは同じく三陽荘に泊まった大阪の大戸さん(仮名、女性)と一緒に大間駅から電車で窪川に向かうことになりました。岩本寺でお参りを済ませるとまた電車で中村まで、さらにバスで足摺を往復して中村の同じ宿に泊まることになった。なずなからだとその距離180km、6日分を1日で進んでしまいます。その二人には大間駅の横で出会って電車が来るまでの20分ほど話すことができて、大戸さんには宿案内も渡すことができました。二人とはそれで終わってその先会うこともないだろうと思っていたら、大戸さんと小松で再会することになったのはびっくり。もっとびっくりしたのは彼女は中村の宿の次からぼくのモデルプラン通りの宿に全部予約を入れた、予約をとれなかったのは北条のまほろば、連休中の善通寺宿坊とゲストハウスそらうみの3軒だった。まほろばの代わりは、桃李庵で紹介してもらったシーパmakoto(6000円台で泊れた)、善通寺の代わりは近くの宿は全部だめで丸亀のゲストハウスうぇるかめ、そらうみの代わりは屋島のささや旅館で落ち着いた。今年は3年ぶりの瀬戸内国際芸術祭があって高松市内の宿は特に難しい、阿波池田の宿もぼくが泊まった二つの宿も連休中は満室、直前にしか予約できない通しの歩き遍路さんは本当に大変です。連休中は一旦帰宅するという人が多いのも頷けるところです。ベテランの皆さんは連休が始まる前に終わるように計画する。ぼくは3か月前に予約を入れた。
 写真は安和駅と背後は焼坂峠、13回目にして初めての絶景です。


高野山

2019-05-15 | 日記

 3冊の納経帳の仕上げに高野山に行ったら、奥の院の入り口一の橋のすぐそばにある清浄心院の落慶法要が行われていました、帰って家田荘子さんのブログを見たら来られていました、家田さんとは今年28番大日寺で6時間ほどの差で入れ替わり、3年前にも61番で半日差の入れ違い、昨年は石鎚神社で1日差でした。


出会いの旅 6

2019-05-13 | 日記


 竹林寺の登り口で休んでいた女性に会って、不思議な感じがしました。その日、夜明け前に大日寺の近くの宿を出て、善楽寺お参りの後電車で奥の院安楽寺まで行って、竹林寺に登ろうとしたのは12時少し前、この日は歩きの人に会えるとは思っていなかった。28番大日寺の近くの宿に泊まって33番まで行ける人は多くなくて、その場合竹林寺で区切ってバスで高知駅周辺の宿に行くのが普通だし、30番の近くの宿からだともっと先に行ってしまっている。28番から30番まで16kmの間に宿がないから、どうしても竹林寺では10時から13時の間に歩き遍路の姿はほとんど見られない。それが彼女はいったい?先に竹林寺に登ってお参りを済ませて休憩所で待っていたら、少し遅れてきたところで話を聞くことができました。28番の近くのきらくからぼくと同じ5時半ごろ出てきたようでした。彼女は1日30km前後歩くけれど今日は特に長いので早く出てきた、ぼくは電車の時間があるのでこの時間に出るしかなかった、去年大雨で安楽寺に行かなかったのをほんとに後悔していました。
 その時聞けたのは今日の宿が坂本だということと、四国には何回か来ていることくらいでした。
 翌日、朝一番で33番雪蹊寺で一緒になった時にまた少し宿の相談を受けました、ぼくが先に出て奥の院に向かう、34番に着いた時には彼女はすでにお参りを終えて休憩中、また相談があるといわれてお参りを済ませると彼女は先に出ていて追いかける、どうせ追いついてくるだろうと思ったそうです、お遍路にとって時間は大事ですから。種間寺から2kmちょっとのところで追いつく、彼女はぼくが高知屋で同宿だった男性と一緒に歩いていました。二人とも今日の宿は三陽荘、33番の近くの宿に泊まるとよほどの健脚でない限り三陽荘に泊まるしかない、国民宿舎も汐浜荘も酔竜も閉店、しかしぼくも神谷さんもなずなまで歩く、12000円も取られてはたまらない。少し前まではお遍路割引で7000円台で泊れたようですが、もうそんなのはなくなったそうです。みんなぼやきながら三陽荘に向かって歩く。
 追いついて相談されたのは明日の宿、明日は巡航船に乗るので土佐久礼まで歩く、福屋旅館は満室、大谷旅館は食事なしで予約はしたけれど電話の応対が極めて感じ悪くてどうしたものかと、それならばともう一つの宿を紹介、ぼくの泊まるゲストハウス恵、一度予約を入れるとキャンセルはしない
主義だが考えてみると、さきに35番に着いてお参りを済ませ、山門を出てきたところで再会、恵の電話番号を手渡しました。
 35番清滝寺に登る少し手前で下ってくる女性とすれ違いました。この時間に降りてくるというのは今日は種間寺から、送迎してくれる春野SPからに違いないと思っていたら、やはりその通りでした。彼女は種間寺からぼくと同じなずなまでだったのです。彼女は岡部さん(仮名)初めてのお遍路なのにナイスな選択です。前までは高知屋から国民宿舎という人が圧倒的に多かったけれど、今となっては春野SPからなずなというのがベストでしょう。その前はサンピアセリーズ。
 なずなでは岡部さんと神谷さんともう一人はとうの浜でも同宿だった松前さん(仮名)と同宿でした。食事の後、岡部さんも巡行船に乗るので土佐久礼の宿を紹介してほしいと相談されてやはり恵を紹介、その場で予約を入れると相部屋だけどなんとか取れました。その相手が竹林寺で会った近庄さん(仮名)だと分かるのは翌日になってからでした。なずなでは4人だし神谷さんは4回目の同宿、松前さんもとうの浜で結構しゃべったから、ほんとうにいろんな話ができました。4年前神谷さんとときわ旅館で一緒だったことやその翌年ぼくが足を痛めて一時リタイアしたのをブログで見ていた神谷さんも足を痛めてリタイアしたのには自分ながら笑ってしまったと、神谷さんはしばらくして四国に戻ったけどやはりだめだったけれど、ぼくは1か月休んで続きを歩きとおせました。そのあと大岐の浜であったことを話したら、大分興味を持たれたようで、実際連泊されてぼくと同じように有意義なひと時を過ごせたと言ってもらえました。


出会いの旅 5

2019-05-12 | 日記


 7日目の宿もお遍路ハウス、キッチンみつ佳。宍喰の街の中にあります。
 お遍路ハウスは素泊まりのところが多いですが、この宿は食事もあります。そして普通の遍路宿と同じくらいの料金設定なので野宿の外国人などはあまり泊まらないみたいです。
 
 夕食はまず4種の前菜が運ばれてきます、これでいっぺんに度肝を抜かれる。右上が合鴨のハム、初めて食す、右下は白身のカルパッチョ風,この食感が小気味よくて味もしっかり、お刺身でこんなにうまいと感じるのは珍しい。左下はゴマ豆腐、濃厚で舌ざわりなめらか、
 
 本菜はミンチカツとチキンのロースト、
 
 デザートはレモンのソルベ、食後のコーヒーもあります。

 そして朝食、
 2食付きで6900円、部屋は2つ、4人まで泊まれます。Wi-Fiもあります。部屋にテレビはないけれど1階の談話室にあります。そこで見つけたのがヒーさんの韓国語の本、署名もあったから贈呈されたものに違いない。奥さんに聞いたらこの宿ができてすぐの頃、近くで友人の結婚式があってそれで泊ったということでした。日本語の本は買ったそうです。
 この近くには民宿えびすといういい宿があるし3km先にはみちしおという値段の安いお気に入りの宿もあるのですが、次に来るならここしかない、全体の感じもすごく落ち着けてゆっくりできます。同宿の人としゃべる機会は少ないかもしれませんが、それでもいい。


出会いの旅 4

2019-05-12 | 日記


 今回の旅で初めて泊まる宿は15軒、その最初が3日目の宿、お遍路ハウスペレグリノです。距離がちょうどよかったのもあるし、料金が素泊まりで1000円~(寄付)というのが何といっても魅力的、写真を見てもわかるように普通の家でも宿でもありません、もともとは倉庫、だったのがオーナー自身が住むために住居用にリフォーム、管理人さん家族が1階に住んで宿は2階と3階、といっても1組しか泊めないので3階は使われていません。はじめは定員15人で始めたのが、外国人2人が泊まった時ちょっと言い争いのようなことになってしまったことがあって,以来トラブルを避けるために一組限定にした、少しもったいない、そんなことめったにないと思うけど。もとは倉庫というだけあってそんなにきれいでもないしかなり雑多な感じもありますが、居心地は全然悪くなかった、Wi-Fiもあるし、お風呂はビジネスホテルのユニットと同じタイプだけど、お湯はよく出ます。管理人さんは仕事をしているのでカギを開けておくので勝手に入ってくださいと事前にメールがあります、そういうのもこの値段だから全く気になりません。管理人さんは元バックパッカー、四国も歩いています、もっと歩きたかったみたいだけど子供が3人できて今は落ち着くしかないと言ってました。この値段はスペインの巡礼路に整備されているアルベルゲ(簡易宿)とほとんど変わらない、アルベルゲは大部屋にベッドが並んでいるだけだけれど、ここは完全個室でお風呂も台所もあるし布団もある、野宿で巡っている外国人からすれば最高の宿でしょう、実際、外国人の割合は7割を超えているのではという感じでした。泊った人に何か一言後々泊まる人のためにメッセージをと葉書を渡されます。その書き込みがホワイトボードにずらりと張り付けられています、ほとんどが外国語、英語だけでなくフランス語、韓国語、中国語。日本語のメッセージは探さないと見つけられないくらいです。お接待のカップラーメンとみかんもありがたい。野宿の人には超おすすめの宿ですが普通に宿に泊まっている人には積極的には勧められない、ぼくは来年も泊まる予定にしていますが。ぼくにとっては避けるべき嫌な要素が何一つなかった、安くても嫌な宿もあるし、高くてきっちりした宿でも嫌な要素が一つあると二度と泊まりたいとは思わない、我慢する要素というのはこの1か月に及ぶ大変な旅ではできるだけゼロに近づけたい、


出会いの旅 3

2019-05-11 | 日記

 
 お宿日和佐は6日目の宿、昨年春と夏に泊まって今回は3回目、初めてご主人のボーデ.ジャン.フィリップ(彫刻家でもある)が迎えてくれました、日本語ペラペラ、今日はどこからと訊かれて太龍寺の奥の院黒滝寺からと答えても奥さんもご主人ももちろん知らない、英語の地図を出してどこですかと問われて、英語の地図にも載っていないのですよとこたえる。お遍路何回目?随分回っているでしょう、13回目と答えると、たった13回、とご主人が言って一同爆笑。このセンスはなかなか日本人にはない。
 部屋は4室、素泊まりのみ、ぼくの隣は外国人カップル、ご主人とずいぶん話が弾んでいました。1階に泊まっていたのが4年ぶりの対面、岡山の神谷さん(仮名)でした。ぼくがダイニングで朝食をしていたら、ぼくのこと覚えてると訊かれて、はっとする。その前に40km歩くと聞いていたのですぐピンときました。4年前ときわ旅館で同宿、二人だけだったので結構話ができました。ぼくのブログも見てくれていて、4年前もぼくよりずいぶん遅れて出発したけれどいずれ追いつくと思いながら歩いていた。今日はどこからですかと聞いて、アイリンから、57km?!思わず大きな声を出してしまったのをはっきり覚えています。彼はその時1日平均50km、23日で四国を一巡したのでした。その時点ではぼくが出会った最も短期間で一巡する人でした。しかも彼は走らないしお参りもきっちりする、ときには6時前に宿を出ることもあるけれど、その翌日は6時からちゃんと朝食をとって6時半に出発、52km先の八丁坂に17時に到着しています。宿に迷惑かけることなく、暗い中を歩くこともない。どこまで行けるか分からないので宿の予約は基本当日の昼頃にする。なので有名になった山茶花などのなじみの宿に泊まれなくなってしまったと、
 翌日牟岐のお接待所でいっしょになって今年11巡目であることがわかりました、今年は4年前よりはだいぶゆったりで45km前後で歩いているのでそのあとも随分いっしょになることがありました。ぼくが強く薦めた大岐の浜やお遍路ハウス横屋にも泊まってくれました。横屋ではその翌日に泊まったので管理人の加藤さんと彼の話もたくさんできました。


出会いの旅 2

2019-05-09 | 日記


 ちょっと分かりにくいですが、石手寺の門前で店番をするニャンコです。
 一昨日玉井さんから葉書が届きました、玉井さんは2年前八栗寺門前の岡田屋旅館で同宿になったお遍路さんで、3巡目が終わるところだったのですが、ぼくの知らないことをいろいろ教えてくれました。回数ではぼくのほうが大分多かったのですが,ぼく以上のベテランという感じで、話を聞くのが本当に楽しかった。その時教えてもらったのが、仁庵と風自遊庵です。仁庵は八栗寺手前のお接待所ですが、ぼくはその存在すら知らなかった、というのもぼくが仁庵の前を通るのはいつも9時前後でまだ開いていない時間帯だった。昨年、そして今年とお世話になっていろいろお話も聞いてもらいました。風自遊庵は岩本寺の5km手前のお接待所、国道の右側を歩いていて脇道に気づくことは一度もなかったのでした。教えてもらって昨年初めてお世話になって1時間ほど居座ってしまい、今年も75分もたっぷりお世話になってしまいました。時間が許せばもっといたかった。お接待をいただくことよりお話しできることが楽しい、風自遊庵では新しい情報も教えてもらえます。この2か所は札所以上に外せない大事な場所になりました。
 今年13番の手前のおやすみなし亭で玉井さんのお札を発見、3月1日の日付、ぼくより1か月早く始めていたので出会うことはないと確信はしたのですが、今年も歩かれていることが分かって安心、そのあとも明石寺の5km先の休憩所でお札を発見、ときわ旅館で訊いたら、その日付の日に来られて、翌日はご主人が水戸森峠の桜をすすめたら、実際に歩かれて楽しまれたということでした。そのあとお遍路ハウス横屋で訊いたらこの春はまだ来られていない、仁庵でもまだということだったので松山あたりで区切られたのかと思っていたら、葉書には4月9日64番で区切ったと書かれてありました。続きには秋に歩かれます。いただいた葉書は南光坊でお接待されたもので、道に迷ったお陰で沢山のいい人に会えたなあ、と印刷されていました。まさにお遍路の醍醐味ですね。


出会いの旅

2019-05-08 | 日記


 今回四国を一巡して出会った歩き遍路さんは日本人161人、外国人25人でした。順打ちの場合、大体300人くらいの人と出会うのですが、今回は日数が5日ほど多いのでその分追い抜ける人も少なくなるので、例年の7割くらいになると想定していたのですが、それよりもさらに少なかった。外国人も2年前に比べてやや少ない感じ。外国人は2年前から昨年は25%くらい増えたという統計があるけれど、今年は2年前より少ない、つまり昨年より3割くらい減っているのではないか。四国は日数がかかるから高野山や熊野古道のような異常な賑わいにはこの先もならないと、今回はっきり感じました。その方が良いとぼくは思っています。日本人もそうだけど外国人もマイペースすぎる人が結構いますからね。


春遍路の費用

2019-05-07 | 日記



 宿泊費(33泊)  175672円   11泊は素泊まり
 交通費        17850円
 食費飲料費      17710円
 納経費        29400円   98か所
 穴禅定         3100円
 せりわり行場       300円
 コピー          250円
 ライター         140円
 電池           380円

 合計        244802円      

  2015年版の Route Guide は持っていたのですが、帰宅してすぐ18年版をAmazonで購入しました。ページ番号が同じか確認する必要があった、残念なことに違っていました。ホームページも野宿案内も全部書き直しです。


34日目=奥の院結願、南無大師遍照金剛

2019-05-03 | 日記


朝一番に胎蔵峯寺に登る、この道を下ったのは1度きり、もう何年前のことか忘れてしまった。でもこの手前の展望台でウォーカーズのロケが行われたのは憶えている。胎蔵峯寺まで20分、ちょっと息を切らして急な階段を登る、今回の旅最後の山登りだと思えば別の感慨もある。16分で下って大窪寺でお参り、納経を済ませると8時、次は23㎞先の番外釈王寺を目指す。西教寺と釈王寺は3年前にも行ったけれどその時は納経しなかったので再度行くことにした、その時歩けなかった赤線の道も行く。地図もスマホに3枚、Googleマップも昨日のうちに押さえておいた、八十窪にはWi-Fiがあった。おかげで一度も道を外すことなく4時間ちょうどで到着、峠越えが何ヵ所かあったので時速6㎞は出なかった。釈王寺ではちょうど住職が帰宅したところ、和三盆の御菓子をお接待でいただいた、最後の日までいただけるとは思ってもみなかった。前回外した輿田寺までの道もきっちり押さえて古い遍路石も確認、30分で輿田寺に到着、時刻は13時03分、余裕で14時02分
のバスに間に合いそうだ、こんなに順調でいいのか?でも連休の真っ最中だから乗れる確証はない、予約を入れることなど全く頭になかった。
そして今バスの中でメールを打っています。
みなさん本当にありがとうございました。なんとか残金398円ですが家にたどり着けそうです。総括は3〜4日ボンヤリしたあとになると思います。

33日目=夏子ルートで大滝山

2019-05-03 | 日記


長尾から大滝山に登って下るとなると、ましてやバスの時間に合わせるとなると、不確定要素の多いこんぴら道は無理だということになりました。3回目も夏子ルートの往復です。このルートを往復する人は少ない、宿が塩江の方にしかないからどちらかは向こうの道を行くことになる。選択肢はかなり限られます。それにしても日本語のへんろ地図の古い記述はなんとかならないものか、15年前の情報をそのままにしている、長靴の自動車道を短絡する山道は完全柵でふさがれているし、最後の山道も草で歩きにくいということは全くなくて、普通に快適に登れる山道です。ちゃんと調べて今の正しい情報をきちんと載せてほしい、でないと日本人も全員英語のルートマップを持って歩くようになる、すでにその傾向は見え始めている。へんろ地図の編集者はもっと危機感を持つべきだ。
大滝寺に着いたのは11時55分、想定より余裕はない。納経所で住職から饅頭2個とペットボトルの水のお接待、タイトルの通り本当においしい水でした。昼食を簡単に済ませ12時20分に下山、境内から下の道へ降りようとしたら、なんと眼下に吉野川、まさか向こうの景色が見えるとは思わなかった。下りの山道は59分、長靴の車道も59分、夏子ダムからバス停まで45分、24分の余裕でした。中山のバス停の大分手前に車庫があって、そこにいたバスの運転手に声をかけられる、中山からバスに乗ると言うと、ここで乗ったらいいと言われる、乗るはずのバスが目の前にいる。ラッキー!!最後の500mを歩かなくてすんだ。出発までお接待の饅頭をいただきながら運転手と会話、さっきお遍路さんからもらったという煎餅をお接待してくれました。こういう出会いもあります。大窪寺のお参りは明日にすると言ったら、八十窪の玄関の前でバスを停めてくれました。
八十窪は6組8人の満室、昨日志度寺で見かけた2組の夫婦、屋島で会った男性、小松で同宿だった男性、もう一人は初めて会う男性でした。奥の院の納経を見せたら大女将も若女将もこんなの初めてみたとすごく喜んでくれました、これだけでやってよかったと思います。若女将はバイクで巡ってみたいと言っていました。

32日目=納経ギリギリだぁ〜

2019-05-02 | 日記


7時、そらうみを出発、この時点で目算が甘かった。納経が8ヶ所、何より屋島の近道は雨が降っているので使えない、さらに仁庵に寄らねばならない。仏生山までも、そのあとの屋島までも初めて歩く道、地図を作っていたので迷いませんでしたが時間は大分かかってしまいました。屋島寺に着いたのは10時50分、まだ余裕は十分。洲崎寺の手前でコンビニに入ったのが第1の失敗でした20分近く滞在、そして仁庵、ここは避ける訳にはいかない、奥さんはぼくのことをちゃんと覚えていてくれました。しっかりお話して30分ほど滞在、八栗の山門の前で岡田屋旅館の女将と対面、挨拶したら女将もぼくの顔を覚えていてくれました。2年前一度泊まっただけなのに!!女将はぼくが泊まった少しあと膝の靭帯を痛めて車に乗れなくなって買い物ができず、食事を提供することができなくなった。一年後には食事付きで泊まってもらいます、と知り合いのお遍路さんに語ったそうですが、訊いてみると、その通り、通常営業を続けているそうです。四国で一番の遍路宿を全ての歩き遍
路さんに一度は味わって欲しいと強く願います。
八栗を下り始めたのは14時、六万寺の参拝は諦めて、まだ余裕はあったけれど、3㎞下ったところに新しい接待所ができていたのが誤算でした。これで完全に追い詰められて、地蔵寺でも志度寺でも線香灯明を省略、長尾まではスピードマックス、ベストに僅か30秒遅れで納経を終えたのは16時48分でした!!おかげで郵便局に寄ることができず予備の二千円札を使うことになってしまいました。
出会った歩き遍路さんは15人でした。