WALKER’S 

歩く男の日日

出会いの旅 6

2019-05-13 | 日記


 竹林寺の登り口で休んでいた女性に会って、不思議な感じがしました。その日、夜明け前に大日寺の近くの宿を出て、善楽寺お参りの後電車で奥の院安楽寺まで行って、竹林寺に登ろうとしたのは12時少し前、この日は歩きの人に会えるとは思っていなかった。28番大日寺の近くの宿に泊まって33番まで行ける人は多くなくて、その場合竹林寺で区切ってバスで高知駅周辺の宿に行くのが普通だし、30番の近くの宿からだともっと先に行ってしまっている。28番から30番まで16kmの間に宿がないから、どうしても竹林寺では10時から13時の間に歩き遍路の姿はほとんど見られない。それが彼女はいったい?先に竹林寺に登ってお参りを済ませて休憩所で待っていたら、少し遅れてきたところで話を聞くことができました。28番の近くのきらくからぼくと同じ5時半ごろ出てきたようでした。彼女は1日30km前後歩くけれど今日は特に長いので早く出てきた、ぼくは電車の時間があるのでこの時間に出るしかなかった、去年大雨で安楽寺に行かなかったのをほんとに後悔していました。
 その時聞けたのは今日の宿が坂本だということと、四国には何回か来ていることくらいでした。
 翌日、朝一番で33番雪蹊寺で一緒になった時にまた少し宿の相談を受けました、ぼくが先に出て奥の院に向かう、34番に着いた時には彼女はすでにお参りを終えて休憩中、また相談があるといわれてお参りを済ませると彼女は先に出ていて追いかける、どうせ追いついてくるだろうと思ったそうです、お遍路にとって時間は大事ですから。種間寺から2kmちょっとのところで追いつく、彼女はぼくが高知屋で同宿だった男性と一緒に歩いていました。二人とも今日の宿は三陽荘、33番の近くの宿に泊まるとよほどの健脚でない限り三陽荘に泊まるしかない、国民宿舎も汐浜荘も酔竜も閉店、しかしぼくも神谷さんもなずなまで歩く、12000円も取られてはたまらない。少し前まではお遍路割引で7000円台で泊れたようですが、もうそんなのはなくなったそうです。みんなぼやきながら三陽荘に向かって歩く。
 追いついて相談されたのは明日の宿、明日は巡航船に乗るので土佐久礼まで歩く、福屋旅館は満室、大谷旅館は食事なしで予約はしたけれど電話の応対が極めて感じ悪くてどうしたものかと、それならばともう一つの宿を紹介、ぼくの泊まるゲストハウス恵、一度予約を入れるとキャンセルはしない
主義だが考えてみると、さきに35番に着いてお参りを済ませ、山門を出てきたところで再会、恵の電話番号を手渡しました。
 35番清滝寺に登る少し手前で下ってくる女性とすれ違いました。この時間に降りてくるというのは今日は種間寺から、送迎してくれる春野SPからに違いないと思っていたら、やはりその通りでした。彼女は種間寺からぼくと同じなずなまでだったのです。彼女は岡部さん(仮名)初めてのお遍路なのにナイスな選択です。前までは高知屋から国民宿舎という人が圧倒的に多かったけれど、今となっては春野SPからなずなというのがベストでしょう。その前はサンピアセリーズ。
 なずなでは岡部さんと神谷さんともう一人はとうの浜でも同宿だった松前さん(仮名)と同宿でした。食事の後、岡部さんも巡行船に乗るので土佐久礼の宿を紹介してほしいと相談されてやはり恵を紹介、その場で予約を入れると相部屋だけどなんとか取れました。その相手が竹林寺で会った近庄さん(仮名)だと分かるのは翌日になってからでした。なずなでは4人だし神谷さんは4回目の同宿、松前さんもとうの浜で結構しゃべったから、ほんとうにいろんな話ができました。4年前神谷さんとときわ旅館で一緒だったことやその翌年ぼくが足を痛めて一時リタイアしたのをブログで見ていた神谷さんも足を痛めてリタイアしたのには自分ながら笑ってしまったと、神谷さんはしばらくして四国に戻ったけどやはりだめだったけれど、ぼくは1か月休んで続きを歩きとおせました。そのあと大岐の浜であったことを話したら、大分興味を持たれたようで、実際連泊されてぼくと同じように有意義なひと時を過ごせたと言ってもらえました。