WALKER’S 

歩く男の日日

22日目 お遍路ハウス平和通り~ビジネスホテルつよし(今治市)

2017-07-19 | 17年四国の旅

 平和通りは素泊まり宿です、いつ出てもよかったけれど、今日は歩く距離は40kmで札所は二つ、あまり早く出ても仕方ないので、6時32分に出発、昨日はほぼベストタイで頑張りすぎたので、今日は狙わずゆったり目で行きます。


 7時53分、52番札所太山寺に到着、平和通りからのタイムはないので比べ様はありませんが、時速は6.13kmでした、この時間だと歩いている人は居ないかと思いきや、松山北中の所で追いつきました、その人は大将軍神社に入っていったので挨拶はできず終いでした。
 境内で一人、お参りを終えてから登ってくる人が一人、道後からではこの時間に来るのは難しい、逆打ちか、はたまた、

 8寺20分に太山寺二の門を出発、1kmほど進んだところで八丁坂で同宿だった石鎚に登ったご夫婦が向こうからやって来る、お遍路だけではないようだけど、こんな所で向こうからというのは、何処で何をして何処へ行こうとするのか全く想像できません、
 8寺40分、53番札所円明寺に到着、ベストより1分遅れ、時速は6.18km、今日は1日こんな感じで十分でしょう。

円明寺の写真は撮り忘れてしまいました、8寺52分に出発、


 円明寺から4km、海鮮北斗を少し過ぎたところで向こうから来る奥さんに声をかけられます、そこの大師堂で甘茶のお接待がありますから寄っていきませんか、断る理由もないので、粟井坂大師堂へと10m引き返します。
 今日は5月7日、月遅れの花祭りのようです、近所の人が大きなペットボトルを何本も抱えて次々集まってきます、前に別格10番西山興隆寺でも甘茶のお接待はあったけれど、その時は遠慮して、雪蹊寺で当たったときはいただきました、あまりおいしいものではなかったので、ちょっとびくびくでしたが、普通にちょっと味わいの違うお茶でした、旨みは感じなかったけれど嫌みも全くなくごくごくいけます。
 少し落ち着いてから大師堂でお参り、そこで気がついたのは

 境内に子規と漱石の句碑がある?

 マンホールで何度も確認した句です、

 子規の句碑、

 子規と漱石の句が仲よく並んでいます、

 子規の最も有名な「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は
 漱石の「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」の返句だと言われています。
 子規が実際に聞いたのは興福寺の鐘だったとも、

 17分ほど休ませてもらいました、
 北条郵便局に着いたのは11時24分、円明寺から109分、ベストより6分遅れ、時速は6.15kmでした、この間はバイパスを歩くので当然出会う人は居ません、バイパスを離れるポイントにコンビニができていてちょっとびっくり、

 鎌大師の休憩所に今年は蜜柑がありませんでした、お接待は期待するものではありませんが、
 浅海に到着したのは12時49分、北条郵便局から46分、ベストより3分遅れ、時速は5.93km、山越えがあるにしてはいいタイム、
 菊間の遍照院に着いたのは13時38分、浅海から49分、ベストより5分遅れ、時速は6.1km、ゆったり目でいいとは思っているけれど、見事なくらい安定しています。
 遍照院で10分ほど休んで、13時48分に出発、


 15時25分、ビジネスホテルつよしに到着、遍照院から95分、この区間は初めてなのでベストはありませんが、時速は6.09kmでした。
 部屋は洋室でツイン、トイレと洗面が付いています、洋室は苦手ですがツインだともう一つのベッドに荷物を広げられるので居心地は悪くありません。

 この宿のいいところは何といっても女将です、名前はビジネスホテルですが本当の遍路宿の女将でした、女将を気に入って来るなじみのお遍路さんも多いようです。宿帳を見るとエリーさんの名刺が貼り付けてありました。女将に聞くと、エリーさんは四国に来る前京都でテレビのインタビューを受けていたそうです、ここに来たのはずいぶん想定より遅かったので、やはり足摺でおかしな道を歩いたので出会うことができなかったみたいです。
 同宿の男性は12巡目の大ベテランでした。12回と聞いてドキッとしてしまうのが我ながらおかしい。

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