WALKER’S 

歩く男の日日

30日目 岡田屋旅館~民宿八十窪

2017-08-09 | 17年四国の旅


 玉子かけご飯も嫌いではないけれど、消化が悪いから玉子焼きがやっぱりベスト、この宿も最初で最後のつもりだったのですが、絶対戻ってきたい、来年は逆打ちなので無理ですが再来年以降は、国分寺から歩き始めて、81,82,83、そして屋島を飛ばして85に直行すれば距離がちょうど40km、そして翌日も屋島を経由して88番まで38kmで行けます、それだけのことをする値打ちのある素晴らしい遍路宿、ぼくの好みでは横屋が1番、この宿が2番です、3番は青空屋。
 食事の後.Tさんが撮影したいと言って、ぼくと女将さんの2ショット、Tさんと女将さんの2ショット、Tさんとぼくの2ショットを次々段取ります、手際が良くて女将さんもされるがまま、おそらくほとんどの宿で同じことが為されてきたのでしょう、断られることもあるのでぼくは自然とお願いするのは止めてしまいました、ただお願いされた場合は必ず受け入れるようにはしています。帰ってからしばらくしてその時の写真が印刷されたカモメールが届きました、すごくマメな方です。



 7時ちょうどにTさんより一足早く宿を出発、女将さんが見送ってくれるときに、ぼくが逆打ち方向に下りようとしたので、お大師さんのところから昔の山道が整備されたのでそちらの方を行くようにすすめられました、数年前に整備されたその道は登り口に大きな看板が出ているので承知はしていたのですがまだ踏み入れてはいません、下りなので入る気はなかったのですが、せっかくすすめられたので初めて歩くことにしました、思った以上に歩きやすく整備されていて、登りの場合も舗装道より楽に歩けそうな感じです、
 Tさんに教えて貰ったお遍路休憩所仁庵です、上から下りるとケーブルカー駅のちょっと手前です。


 大分前から開設されているようですが、白いきれいな看板は最近設置されたばかりなので全然気づかなかった、


 ケーブルの駅から100m下ったところで左折、六万寺に向かいます。白黒の地図にはこちらに赤線があったのでこの道に入ったのですが、帰ってからよく見直すと昔の道ではなく車道と書いてありました、残念、


 でも歩いている時点ではこちらが昔の本道だったのだと確信しています、県道はなかったはずだから皆ケーブルのところまで打ち戻っていたはずだと、


 突き当たったところが六万寺の塀のようです、


 宿から68分で六萬寺に到着、


 六万寺でお参りを終えて出てきたところに、Tさんが反対の方からやってきました、こちらの方が昔の道なのですよと偉そうに説明したのですが、どうやら単なる勘違いでした、
 六万寺からはTさんが来た145号の方へ一旦少し戻って、右折して南下する道に赤線があります、英語の地図もその道にだけ赤線がありますが、白黒の地図ではその道に赤線はなく、少し西側の道で南下して蓮池の北側から牟礼中学の北側を通って県道145号に入る道に赤線があります。どちらが本当か、昔の道か、よく分かりませんが距離はあまり変わらないので、時代により、どちらの道もある割合で使われてきたのだろうと想像するしかありません。
 写真は、白黒の地図の赤線の道に入ったところです、最初、自分の地図の書き方が曖昧でかなり迷いました、


 3分で広い道に出てくる、


 右折して蓮池の方へ、赤線はないから矢印もありません、自分の地図だけが頼り、


 前の写真から8分、蓮池を右に見て、牟礼中学を右に見て、牟礼中学の北東の角からこの急な下り坂です、


 写真でも分かるほどの急傾斜、向こうに志度の海が見えています。


 県道に突き当たって右折したところ、赤線の道とここで合流、


 踏切を渡って国道に合流、


 右が琴電八栗新道駅、踏切のむこうはJR讃岐牟礼駅、


 8時47分、六万寺から52分で86番札所志度寺に到着です。


 9時03分に志度寺を出発、11分で国道11号に合流したところです、地図の最後のページ、106-1。番外長福寺に向かっています。八栗からだと、13時に88番に着いてしまうので番外の道を歩きます、ここからはずっと国道なので写真は撮りませんでした、


 志度寺からちょうど1時間、やっと到着です、初めての道なので、すごく長く感じました、


  国道を右に折れてちょっと入ります、


 山門の横にあるベンチで休んでいたら、50代、70代くらいの女性の親子と思われる二人がやってきて、挨拶したときに、お母さんが、大病をしてお大師さんに救ってもらった、以来毎月お参りに来ているのだと教えてくれました、ぼくは札所ではとくにお願いすることはないのですが、今回の旅では本当にお大師さんのおかげを感じずにはいられませんでした。


 お大師さんがこの地に極楽寺を移し、長福寺も同時期に建立したとあります、番外霊場は当然のことのようです。 長福寺を10時17分に出て400mほど来たところです。


 さらに17分、鴨部川の土手を走る県道140号に上がってきたところです。


 鴨部川を渡ったところ、目の前の高松自動車道をくぐって南下します、


 高松自動車道を抜けると、すぐ右折、西へ向かいます、


 高松道を抜けて15分、ちょっとした山越えの道に入ります、


 さらに4分、ここが峠のようです、


 峠から8分、左折して南へ向かうところ、向こうに見えるのは女体山か、


 11時17分、長福寺から59分で番外霊芝寺に到着です、矢印はなかったのですが何とか迷わず来られました。


 霊芝寺の平で一段高くなったところに人影が見えます、こんな番外に来る人も居るんだと、境内に上がってみると,Tさんでした。長福寺に行くと、志度寺からここまで12kmほどですが、志度寺からここに直行すると4km、ぼくの方が8kmほど多めに歩いているから追い抜かれて当然なのでした。


 こちらも弘法大師の草創されたお寺、本堂は1802年に再建されたもの、




 Tさんと二人並んで休んでいるところにわんこがやってきたので、別格1番大山寺でわんこがず~っと先導して境内まで案内してくれたと話したら、Kさんも全く同じことがあったと言います、慈尊院から高野山まで大師を導いた白い犬の伝説は二人とも知っていて、お大師さんの犬だったのだと二人して改めて懐かしく思い出しました。88番大窪寺でも迎えてくれるわんこがいるけれど3年前、八十窪の前で前足の片方が使えないほど傷ついて本当にかわいそうだった、ということもここでお話しました、夕食では2時間以上、朝食の時も1時間近く話したのに、ここでも40分も話してしまいました、言っておきますが、ぼくはお喋り好きでも得意でも何でもなくて,Tさんが話し好きでそれに引きずられているだけのことです、お遍路の体験も知識も豊富だから聞いているだけでも楽しくなってきます。
 霊芝寺からは一緒に歩きますが、最初のところで道をきれいにはずしてしまいました、ぼくの地図にはない道が微妙に本当の道の近いところで分岐していて入ってしまいました、でも、あまり遠回りにはならず本当の道に合流できて大怪我にはなりませんでした、Tさんは前にご主人と一緒にここの正しい方の道を歩かれたそうです、もう一度やり直したいでしょ、とぼくに訊かれたのですが、このときはそんなに残念というほどではありませんでした、というのも、今回は20ヶ所近い初めての道を歩いたのですが、詰めが甘くて、完璧に歩けたのは徳島の地蔵院から阿波おどり会館までの道と、四十寺だけでした。あれだけ時間をかけてパソコン地図とにらめっこしながら地図を手書きしてもこの程度、でも完璧だとあとは崩壊するのみと仏教の教えにあるように、またこれから先の楽しみを残しておいたと思えば落胆するほどのことではありません。

 番外の道から本当の赤線の道に合流するところでTさんを撮影させて貰いました、


 霊芝寺から35分かかっているので時速は5.3kmくらいでしょうか、へんろ地図の距離表示を信用するなら4.4km、Tさんのペースに合わせています、


 霊芝寺から38分、12時40分に玉泉寺到着、いつもは素通りですが、今回はきっちりお参りしました。Tさんとはここでお別れ、Tさんは長尾で宿泊ですが、ぼくはまだその13km先まで行かねばなりません。
 87番札所長尾寺に到着したのは13時12分、いつも長尾に来るのは12時過ぎなのでかなり焦っていて写真を撮る余裕もないほどでした。


 長尾寺を13時23分に出発、14時17分におへんろ交流サロンに到着、ベストを狙う勢いだったのですが、2分遅れでした。
 お遍路大使のバッジと任命証は、名簿の記入ではなくて新たに専門の申込用紙に記入するようになっていたので、今日何人くらいここに来たのかは名簿を見ても分からないようになっていました。ぼくは何回も来ているのでDVDは別格のをいただきました。バッジをいただくのは4回目,DVDをいただくのは3回目です。


 新しい山門のすぐ手前ですごくうれしいことがありました。近所のおばあちゃんが犬の散歩に出るところに遭遇したのですが、リードにつながれたそのわんこは前足の片方の先がありません、ないけれどきれいに治療されていて3本足で元気に歩いています。今まで4回出迎えてくれたわんこは首輪もないフリーでしたが、怪我を見かねて近所の人が治療してくれてちゃんと飼ってくれているのに違いありません、そして、そのことを見せてくれるように出てきてくれたに違いありません、散歩の時間はばあちゃんの意志ですが、それ以上のものを感じないではいられませんでした。
 交流サロンを14時34分に出発して、いつものように花折峠経由の昔ながらの遍路道で101分で到着、ベストより2分遅れ、最後の最後まで焦り気味で脇道はあまり味わえませんでした。16時12分、最後のバスが出た後にここに来るのは初めてです、当然境内に歩きの人は見あたりません。