WALKER’S 

歩く男の日日

6日目 4月29日

2009-06-04 | 09年四国の旅

 6:07
昨年はひどいどしゃ降りだったけれど、今年は快晴。出発を遅らせる必要もなく、6時3分に宿を発つ。太股の張りはまだ残っているけれど、ふくらはぎの方はほぼ回復、歩きには全く影響ない。今日は45.2kmの長丁場、でも札所がないので、時間の調整が自由にできる。今日も3時には宿に入れるようにしたい。宿を出て、すぐ牟岐警察署、駐車場の脇に有名な接待所があるはずなのに、消えていた。広くなった駐車場に車が2台。


 6:08
警察署から目を戻し、歩き始めるとすぐこの看板が目に入った。道の反対側、ちょっと高くなった空き地に新しい接待所ができていた。もちろんこの時間に人はいない。


 6:08 牟岐トンネル 70m
接待所はこのトンネルの入り口のすぐ手前にある。歩道はない。


 6:17 八坂トンネル 210m
この二つのトンネルを通らない古い遍路道があるけれど少々遠回りになるので、行くことはできない。何といっても今日は45km。40km以下なら歩くことはできるけれど。歩道はない。


 6:20
この旅で初めての海、ちょっとした感動があったのだけれど、よく考えると、昨日薬王寺の展望台から日和佐の海を見ていた。まあ、でも、遍路道から見えるのは初めてですから。


 6:26 内妻トンネル 253m
本日3つ目のトンネル、歩道はある。この時間だと車はほとんど通らないから全く気にならない。


 6:30 古江トンネル 144m
内妻トンネルを抜けるとすぐ古江トンネル。この二つのトンネルを避ける古い道もあるようだけど、敢えて遠回りをする訳にはいかない。歩道はある。
トンネルを抜けたところで、逆打ちの女性とすれ違った。杖を2本持ってノルディックウォーキングのスタイル、足取りはしっかりしていたが表情は冴えなかった。


 6:39
昔の海南町。海南町、海部町、宍喰町が合併して海陽町になった。3年前の3月31日のこと。


 6:42 福良トンネル 265m
このトンネルも古い道がある。いつかは歩ければいいとは思うけど。歩道はある。


 6:45
トンネルを抜けるとすぐ右手に鯖大師の大きな屋根が見えてくる。ただし、これは本堂でも大師堂でもなく、馬頭観音堂。


 6:52 鯖瀬トンネル 98m
早くも本日6つ目のトンネル、歩道はある。遠回りの道もある。


 6:54 大砂トンネル 198m
抜けるとすぐ次のトンネルが待っている。歩道はある。


 7:11
国道と遍路道の分岐点にある看板、農道(遍路道)は遠回りと書いてあるけれど、へんろみち保存協力会の地図では農道の方が100m近いと書いてある。当然地図の方を信用して2回目から5回目までずっと農道を歩いてきたけれど、パソコンの地図で正確に測ってみたら、何と、国道の方が近かった。この看板は正しい。ただし、わずか200m、それに国道の方は結構な登り坂もあるので時間的にはほとんど変わらない。


 7:16 太田トンネル 94m
8つ目のトンネル、歩道はある。遍路道ではないのでトンネルを避ける遠回りの道はない。


 7:22
昨年雨の中この前を歩いていたら、奥さんが出てきて声をかけてくれた。すごく嬉しかった。帰ってからパソコンで調べものをしていたら、この喫茶店がお遍路接待所もしていることが分かった。今回はここで休憩することは旅に出る前から決めていた。看板にあった遍路小屋はこの時間では鍵がかかって入れないようになっているのだ。
昨年より50分くらい早い時間だったので、喫茶店は開いていなかった、人の気配も全くなかった。でもトイレは喫茶店の中ではなく隣にあったので使わせて貰うことができた。そこで水の補給もできた。もうこの先の海部駅に立ち寄る必要はなくなった。


 8:19
この海部駅に着く前に男性一人を追い越し、逆打ちの若い人とすれ違った。若い人は野宿。若い人はお金がない=野宿、という構図が当然のようになっているけれど、ぼくは常々疑問に思っている。本人が納得しているのなら、他人がとやかく言うべきことではないと承知しているけれど。
鯖大師からここまで、昨年より1分早い、農道を行った2年前よりも1分早い。昨日からの調子はまだ続いている。もうここで休むことはない。


 8:30 那佐湾
一応湾の名前が付いているけれど、細長~い入江という感じ、初めて見た人は川と思うかもしれない。この一番奥がつながっていなければ当然水道ということになる。


 9:23
那佐湾の真ん中あたりが旧海部町と旧宍喰町の境だけれど、宍喰の中心地は4kmくらい先、このコンビニが宍喰の市街の入り口になる。今日の夕食、明日の朝食を仕入れる。このずっと先、東洋町の役場の近くにコンビニがあったけれど3年くらい前につぶれてしまった。


 9:29
コンビニから道の駅宍喰温泉の前を通って5分で遍路小屋へ到着。宿から19kmの地点、なので2度目の休憩をとる。海部駅からここまで6.4kmを59分かかる、例年と同じ、なかなかのペース。


 9:52 水床トンネル 638m
遍路小屋には自転車と野宿遍路のための荷物がいっぱい置いてあった。こんなものまでというような物が積み上げてあった。それが何を意味するのか全く分からなかった。でも、普通にここを休憩場所にしようとする者にとって迷惑なことにちがいない。座る場所は確保できたけれど、すごく居心地が悪い。軽食を摂って、13分で早々に発つ。10分で9つ目のトンネル、歩道に柵もある。このトンネルを避ける古い山越えの道は通行不能になっているようだ。


 9:59
トンネルを抜けるとそこは土佐の国、いよいよ修行の道場の始まり。


 10:06 甲浦港
漁船が停まっている沿岸の道が山越えの道に続く古い遍路道、トンネルを抜けてからでもこの道に下りられるので、ぼくは1度だけ歩いたことがある。


 10:12
最初のときに泊まったホワイトビーチホテル、フロントの女性がすごく感じが良くて印象に残っている。設備はよいけれど、値段が高いので3回目からはもっと安い旅館に泊まるようになった。


 10:13
高知の文字が現れた。3日後には高知の街の中を歩いているはずだけど全然イメ-ジは湧かない。歩いていると今日の宿のことしか考えられない。


 10:28 甲浦坂トンネル 150m
本日10本目のトンネル、こうしてみると、明治以前のへんろ道がいかに険しく長い物であったか容易に想像できる。歩道はない。


 10:39
こうしてみるとYショップであったことが判るけど、元はスリーエフだった。この前には民宿が4つあってサーファーがいっぱい来ているし、お遍路もこの前を必ず通るから、どうしてつぶれたのか理解できない。冬場になると耐えられないくらい人が来なくなるというのだろうか。


 10:47
今日泊まる宿の看板が出ていた。あと20km、この数字は全く正しいもの。ここまで25km歩いてきた。宿に3時に入ろうと思えば、あと2回の休憩でそれぞれ30分休むことができる。かなり余裕のスケジュール。


 10:50 相聞トンネル 268m
本日最後11本目のトンネル、歩道はある。これを抜けたあとの下り坂が終わると、そのあとは坂道はほとんどない。それが楽だと普通の人は思う、平らで堅い舗装道路が延々と続く、それ以上に足の裏に負担がかかる道はない。


 11:03
国道を離れ野根の町へ入っていく、すぐ東洋大師。男女のお遍路がお詣りの最中だった。車が停めてあるから歩き遍路ではないようだ。


 11:10
当地では相当有名な銘菓、ぼくはまだ一度も食べたことがない。これだけ来ているのだから一度くらいは味わっておきたいと思っているけれど。


 11:15
ここで野根の町ともお別れ、この先佛海庵までの9kmは全く人家も何もない。明治時代まではこの9kmが四国最高の難所だったかもしれない。おそらくは岩場だらけの波打ち際を這うように亀のように歩を進めるしかなかったのではないか。そのことからすれば現代の道は全く恐れるに足りない。昔は何日かかったかしれない行程を僅か1時間半で踏破してしまう、本当に楽すぎて申し訳ないような気さえする。


 11:36 野根橋を渡って2kmくらいでゴロゴロ休憩所にやってくる。ここに来る前に道端に若い男性と、女性が休憩していた。この場所を知っていたらそういう中途半端なところで休むことはなかっただろう。着く直前には昨日薬王寺の直前で追い抜いた装束を着けずお寺にも入らなかった人に追いついた。休憩所では夫婦のお遍路が昼食を摂っているところだった(写真は発つときに撮ったのでそのご夫婦ではない)。遍路宿情報を渡しいろんな話を伺った。今年の冬に徳島を打って、今回は高知だけのようだった。今日の宿はロッジ室戸岬、最初はぼくと同じ徳増に予約を入れていたけれど、電車の都合でもう少し先に行けるようになったとか。はっきり聞けなかったけれど、今日は甲浦まで電車で来て、そこから歩き始めたようだった。だとしたら35.8km歩くことになる。もう昼前なのにまだ26km以上残っている。ぼくはあと15km歩くだけでいい。徳増の11kmも先まで行かねばならない。
 ご夫婦が先に発ったあと、男性がやってきた。ここまでで追い抜いた覚えはないから、ぼくが野根の町を歩いていたときに国道を歩いていたのかもしれない。4年前の尼崎の電車事故のときにも四国に来ていたという話になった。ぼくもあのときは初日だった。尼崎の人だった。


 12:29
ゴロゴロではたっぷり24分の休憩。12時丁度に出発する。次の休憩所までは昨年はよく歩けなかったので気合いを入れ直す。歩き始めて30分でこの休憩所、ゴロゴロには水もトイレもないのでこちらの方がいいけれど、距離が中途半端なので、休むことはできない。


 12:51
室戸市に入る。ここまでに先に出た尼崎の男性と、もう一人男の人を追い抜く。


 12:57
野根橋から1時間40分、ようやく人里が、はるか遠くではあるけど見えた。今日の宿はあの佐喜浜の町の3km先。目標が見えれば歩きにも力が入る。


 13:09
ふいに、頭の上でガサガサッと音がした。見上げるとおさるさん。四国でおさるさんを見るのは3回目。最初見たのは6年前、88番から1番へ向かう途中の東かがわ市の山の中。2回目は2年前、女体山へ向かう途中の山の中だった。


 13:17
佐喜浜小学校入来分校の前にあるバス停、佛海庵の前を通る旧道に入るとこの前を通らない。佛海庵には休むところはないし、旧道沿いにも休めそうなところがなくて、3年前から国道を行くようになった。ここに着くちょっと前のところでゴロゴロを先に出たご夫婦に追いついた。5.2kmくらいの軽快なペースで歩いていることになる。休憩を入れなければ5時くらいにロッジ室戸岬に着ける。
ゴロゴロからここまで76分、2年前より1分早い。今日は最後まで調子は落ちなかった。早く着きすぎてもいけないのでたっぷり28分の休憩。


 14:12
佐喜浜の町がいよいよ大きく近くなってくる。宿まであと4km。足の痛みはないし、疲れもほとんど感じていない。


 14:37
遠くに夫婦岩確認、ここまで来ると宿も目の前。2時49分に到着した。佐喜浜のスーパーでは3人の男の人が休んでいた。3時に宿に入るのは早すぎるので時間の調整をしていたのだろう。普通のお遍路は4時~5時に宿に入るのが普通だと思っている。ぼくは3時~3時半が普通だと思っている。4時だとやや遅いという感じ。先達の人がよく言う『遍路の早発ち、早じまい』はすごく意味のある言葉だと思っている。
 ご夫婦には結局追いつけなかった。あの速さでは休んでいなければ追いつけないのは当然だけれど、3時間も歩き続けたのだろうか。あるいは、佐喜浜の町へ入る旧道を行かず、国道を歩いていたのかもしれない。国道の途中にはコンビニがあってその前にはベンチもあるのでそこで休んでいたかもしれない。
 徳増には1番乗りだった。すぐお風呂も用意して貰って、大きい方のお風呂に一人で入った。昨年は旧館の方に一人で静かに休めたけれど、今年は旧館も満室。考えてみれば今日は休日、この宿は車やバイクの人も泊まるから満室になるのは当然だった。隣の人は携帯で1時間以上喋ってすごく不愉快だった。この宿はいい宿だけれど、運はよくなかった。満室になる確率が高くて、車遍路も来ることからすれば、運が悪くなる確率の高い宿であることも確か。もちろんそれは宿の責任ではない。こうして考えると、焼山寺下のさくらや旅館の1000円は大いに意味があると改めて考えさせられた。

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