WALKER’S 

歩く男の日日

8日目 5月1日

2009-06-09 | 09年四国の旅

 6:09
8日目は昨日より4km短い39.3km、札所も一つだけだからかなり楽ができる。もちろん3時までには宿に入ることができる。でも今日の宿はお風呂の時間が遅いから早く入ってもあまりメリットはない。6時5分に宿を発つ。


 6:18
今日も快晴、奈半利川を渡ると田野町に入る。


 6:26
真っ直ぐのびる田野のへんろ道、昔はこれがメインストリートだったはず。遍路宿の2軒や3軒はあったに違いないと思わせる宿場町の風情が濃厚に残っている。


 6:41
国道に合流する、向こう側にまた新しい脇道が待っている。今日は脇道が多くて、国道は全体の4分の1、9kmくらいしか歩かない。


 6:51
後の方の山のてっぺんに展望塔が見えている。神峯寺はあそこから140m低い所にあるとはいえ、あのてっぺん近くまで登るんだぁ~、と思うとちょっと力が抜けていく感じがする。はるか彼方、以外の何ものでもない。あと1時間ほどで辿り着けることが信じられない。


 6:56
安田町の脇道を歩いていたら、大きな工場の中に見慣れた機械があった。大型の洗瓶機、脇には一升瓶が6本入ったケースが積み上げてある。こんな小さな町で日本酒を作っているのかと隣のビルを見ると、何と、土佐鶴だった。ほとんど酒を飲まないぼくでもよく知っている。高知で一番大きな酒蔵がこんな小さな町で作っているとは夢にも思わなかった。


 7:08
ごめん・なはり線の下が27番への登り口になる。最初はずっと自動車道だから緩やかな登り、お寺に近づけば近づくほど急になる。3.4kmを45分くらいで登り切る。


 7:32
車道は1.8km。ここまで2kmを24分かかった。時速5km。部分的にきつい所もあったからなかなかのスピードだといえる。後半は本当の登りだからこうはいかない。ここまで歩きの人には出会わなかった。でも納経が始まって30分だからそろそろ下りてくる人が出てくるだろう。


 7:38
車道へ上がってきた。この少し手前で、若い男の人とすれ違った。納経帳をレジ袋に入れて持っているだけ、リュックはなく服装もラフな感じ。下の宿に泊まったのだろうけれど、あの服装でずっと歩いているのだろうか。荷物を預けるのは普通だけれど、服装はちゃんとしないと意味がないように思えた。


 7:39
車道を50mくらい歩くとすぐまた山道に入る。このあとも同じようにつづら折りの車道を3~4回横切ってお寺に近づいていく。この歩道より、最後の車道の方が傾斜が急ではるかに登りにくくなっている。近づけば近づくほどスピードが落ちていくのは何ともやるせない感じ。


 7:53 神峯寺
例年とほぼ同じタイムで到着。歩道登り口から21分、この間の時速は4kmだった。駐車場でカート遍路の男性、山門でも歩きの男性とすれ違った。カートの人は野宿だろうけれど、山門で会った人は下の宿から出たに違いない。


 8:14
下の宿に泊まって朝、山登りをしたのは結局二人だけのようだった。他の人は前日の内に登ったようだ、金剛頂寺を出るとその日の内に山に登れば31.4km、翌日に登ると24.2km。健脚の方が多数派を占めたようだ。
 お詣り、納経を終えて納経所の前で一休み、目の前には見事に手入れされた日本庭園、見飽きることがない。40分の滞在。


 8:50
神峯寺の打ち戻りは大好きな道の一つ、膝に負担がかからない下り道で雰囲気もいいし眺めもなかなかのもの。打ち戻りの良さは多くの歩きの人と会えること、往きは3人だけだったけど帰りは多くの人と会うことができた。山門を出たのは8時32分だから、ほとんどの人が奈半利か田野町の宿を出た人と思われる。最後の山道に入る所(車道、の写真の所)で会った二人目の人は下の宿を出たと言う、下の宿を出て朝、山に登ると香南市の宿まで33kmくらいある。とてもそんなに歩けないという人がその手前の宿に泊まるとなると、14km手前の安芸市内にしか宿がない。つまり19kmくらいしか歩けない。そういう人はゆっくりこの時間に出てもだいじょうぶ、慌てる必要は全くないということでしょう。下の宿に泊まったのか、と訊かれたので、いいえ奈半利からです、と答える。目を丸くしてびっくりしていた。自動車道に下りてから次々とやってくる。3人目は男性、4人目は自転車に乗った白人男性、外人の自転車乗りは4番大日寺の手前でも会ったけど、どうやって持ってくるのだろうと首を傾げてしまう。次は、少し遅れてまたも自転車に乗った白人女性(写真)、6人目から8人目は男性、内一人は野宿の若者、9人目は女性、10人目は昨日羽根岬で会った女性だった。


 9:05
登り口まで33分で下りてきた、ジャスト時速6km。写真の電柱の向こう側で、昨日針を渡したご夫婦が休んでいた。何時に出たのか判らないけれど、かなり遅い。ご主人はズボンを降ろして太股に塗り薬をつけているところだった。針を使って一時は楽になったけれど、結局はそんなに回復することはなかったようだ。荷物をここに置いて登ろうか、と無謀なことを言われたので、それだけはやめた方がいいと助言する。同じようなことをしてひどい目にあった人がいる。身体の調子が悪くなると、精神も普通に働かないようになる。今日は住吉荘を予約している、まだ30km以上ある。下りてきたら、ここから電車に乗ろうかとも考えているようだった。何の力にもなれないのがはがゆかった。自分だけが、全く足を痛めることなく、のほほんと歩いているようで、申し訳ないような気分になった。


 9:19
登り口から10分弱で国道に合流する。ここまでの脇道も最初のときは歩けなかった。唐の浜駅の近くから南へ下りて早めに国道に合流してしまった。500mも遠回りをしていた。


 9:21
安田町から安芸市に入る。この少し先のところで、27番の山門ですれ違った人に追いついた。


 9:45
大山岬から安芸の市街を望む、6kmくらいしか離れていないけれど、小さいし遠い。今日の宿はまだずっとその先、画面からきれている左の岬を越えたところにある。


 10:09
27番から76分、例年より2分遅れの9時52分に道の駅大山に到着。写真もずいぶん撮ったし、立ち話もしたから、実質は例年並みと見ていいかもしれない。手洗いと軽食を済ませたところで6日以降の宿に予約を入れる。5日までは旅に出る前にしていたので初めての予約になる。6日=中村の民宿中村、7日=足摺の民宿田村、9日=愛南の民宿磯屋、10日=宇和島の遍路宿もやい、予定通り4つの宿の予約完了。8日の清水川荘は不在だった。携帯の電話番号は控えていなかったので、また明日早めの時間にすることにする。
 ボックスに入っているときに目の前をものすごいスピードで歩き抜けていく人がいた。白い半パンに紺のスパッツ、上半身も同じ白い半袖に紺のぴっちりした長袖をその下に着ている。ベージュのキャップの後には日よけのエプロンが付いている。装束は着けていないけれど、杖は持っているのでお遍路には違いない。でも27番の打ち戻りで会わなかったからどこから来たのか不思議だった。


 10:52 伊尾木郵便局
道の駅では27分休憩、スパッツ遍路さんを追いかける。追いつかなくても、どれくらいの速さか確かめておきたい。道の駅からは防波堤の道を歩く、300mは離れているけれど見通しがいいので姿は確認できる。僅かずつではあるけれど、その姿が大きくなってくるのが判る、6~6.3kmくらいのスピードだと思われる。ジョギング遍路以外でぼくが実際の目にした中で最も速い。防波堤の歩道は伊尾木駅の近くで国道に入るけれど、その最後の道は遍路標識がなくややこしいことになっているので、ぼくはその1.5kmくらい手前、防波堤が国道に一番近づいたところで入るようにしている。こちらの方が僅かではあるけれど近道にもなる。伊尾木駅の近くの交差点までやってくると、左の方からスパッツさんが下りてくるのが見えた、あれだけ離されていたのに1km半ほどで追い抜いてしまった。やはり防波堤を離れるところで迷ったに違いない。郵便局に近づいたところで前を行くカート遍路さんが見えた。切手を買わねばならないので、見送りながら中に入る。四国4県のフルーツ切手があったので購入。百円玉はまだ余裕がある。


 11:10
安芸川を渡れば大都会安芸の中心部、豆粒のようだったホテルタマイが眼前にそびえている。これだけの都会の中を歩くのは徳島以来になる。


 11:19
右へ折れて250mで安芸駅、昨年までのタイムチェックポイントだけど、今年は寄らない。寄るとカリヨンの時間に間に合わない。昨年は油断して最初の2分を聞き逃してしまった。


 11:23
安芸は童謡のふるさとです。高名な童謡作曲家の弘田龍太郎の生まれ故郷なのです。市内には彼が作った童謡の歌碑があちこちに設置されています。ぼくは4年前にちょっと寄り道をしてそのほとんどを見て回りました。この金魚のひるねは国道沿いにあるので毎回見ることができます。


 11:24
郵便局の南の公園に岩崎弥太郎先生の像がある。これほど威圧感のある像は見たことがない。来年の大河ドラマではこの人が活躍するという噂を耳にした。司馬遼太郎の本ではちんぴらみたいに描かれていたこの人物がどういう風に登場するのか大いに期待したいところ。


 11:38
南側の遍路道と国道が合流する交差点の近くにローソンがある。カリヨンはすぐ南の公園にある。慌てて来たので20分も余裕がある。おにぎりを二つ買って待つことにする。


 12:01
カリヨンの最初の曲は「靴が鳴る」。名曲である。團伊玖磨氏はこの曲について以下のように語る。

(前略)大きな曲には内的に、そして作曲理論的に構成力が必要になる。この作曲家にはまったく構成力がなかったとしかいいようがない。
 ただ、人をひきつける何かが、小さな曲では躍動するのだった。人はひとりひとり得手も不得手もあるものである。逆の場合には、大曲を得意とする人が、小曲では落第という場合もある。
 その長所がもっともよくでているものが、「雀の学校」と「靴が鳴る」の二つの歌である。この二つの歌は、両方ともわずか一オクターヴの音域内で作られている。
 そして、「靴が鳴る」は五声音階、「雀の学校」はなんと五声どころか、五声音階からさらに第六音を抜いてしまった四つの音だけから作られている。
 ことここに至ると、弘田龍太郎という人は、小さくかつ、音さえも少ないときほど才能を発揮できた人だったといえる。不思議な作曲家だったと思う。
 この人の曲で世に知られているものは、大正九年の「叱られて」、“雨がふります 雨がふる 遊びに行きたし 傘はなし”(北原白秋作詞、「雨」という題、大正七年)、“青い月夜の浜辺には”の「浜千鳥」(鹿島鳴秋作詞、大正八年)などがあるけれども、どれもこれもが平板な五声音階に終始していて、調の動きを内蔵しているものが少なく、あるいはそれを好む向きも多いかもしれないが、そのために低徊趣味を出ていない。「雀の学校」と「靴が鳴る」はその中で飛び抜けて出色の二曲である。
「靴が鳴る」は重苦しくて生活のリズムのない学校唱歌にくらべて、なんと新鮮だったろう。そして、「雀の学校」はそのつまらない学校自体を、雀を材料に楽しくーそしてちょっとからかって歌い上げている。作詞者のセンスだけれども、そのセンスを曲がよく生かした作である。


 12:22
3曲の演奏が終わったので、再びローソンに戻り夕食のパンを仕入れる。12時13分に出発。1kmほど行くと自転車道の入り口。最初のときこの道が判らなくて、ず~っと国道を歩いてしまった。自転車道があるのは標識で判ったけれど、それが遍路道であることすら知らなかった。


 12:22
自転車道に入ったところ、おおむねこれくらいの幅の舗装道路が続く。この自転車道は、74年に廃止になった土佐電鉄安芸線が走っていたところ。といわれると首を傾げるのが、02年に開業した、ごめん・なはり線。営業が成り立たなくなった所にまた新しい鉄道を造るというのはどう考えても納得できない。しかも、この鉄道の工事が始まったのは65年、廃線になる前から同じ所に新しい鉄道を造ろうとしていた。営業が成り立っているのか心配になってくる。


 13:11
昨年までずっとここで休憩をとっていた、タイムチェックポイントでもあった。でも今年はここでは休まない。1kmほど先に接待所があるので、そちらでお茶を頂くことにする。それをあてにして、道の駅でもローソンでも水をくんでこなかった。1本くめば500cc=500g、それだけ負担になるから体力、時間に影響してくる。昨年まではお接待はできるだけ避けたかったけれど、今年は白衣も着けているし納経帳も持って、少しはお遍路さんらしくなったので、お接待を積極的に受けることにしたのだ。
 ここに着く30分くらい前にカート遍路さんと、女性を追い抜いた。女性は挨拶したときにちらっと横顔を見ると、顔の上半分を全部覆うくらいの大きなサングラスをしていた。そのグラス越しでも四国では見かけたことのない様な美人であることは判った。


 13:29
赤野を出てなはり線の下をくぐる少し手前で、すぐ脇をものすごいスピードで自転車がすり抜けていった。間違いなく27番の打ち戻りですれ違った白人だ。接待所に着くと、自転車が停まって、今出ていこうとする男の人となにやら話している。それを横目に接待所の中へ、接待してくれる人はいなくて、セルフでお茶を用意する。インスタントコーヒーもあったので、迷わずそちらを頂く。遅れて女性サイクリストも到着、ぼくがコーヒーをいれるのを見て、あとに続く。男性が女性の分も入れて持っていく。二人の言葉を聞くと全然判らない、英語かどうかも判らないくらいブロウクンだ。去年外人に話しかけてどうにもならなかったので、敢えて近づかないように話しかけないようにする。でも、せっかくだから写真だけは撮らせて貰いたくなった「メ、メアイ、テイクアピクチャー」とおそるおそる訊いたら、喜んで受けてくれた。最高の笑顔だった。


 13:48
琴ヶ浜の松原を行く。ほっとするひととき。休憩所で男の人が休んでいる、27番の下から来たと思われる。この時間だから、かとりか丸米旅館まで行くはずだ。


 13:53
今日の宿サイクリングターミナルまでの正確な距離が出ている。接待所で11分しか休まなかったので、このままで行くと3時前に着いてしまう。


 14:02
こんな所にも接待所があった。そしてその横には無料宿泊所まで、左が女性、右が男性用。布団もいっぱい積んであるので、寝袋を持っていない人でも快適に休める。


 14:12
自転車道が国道に寄り添うところ、振り返ると土佐ロイヤルが見える。4時間半前には大山岬から芥子粒のように見えていたものが今は背後にある、毎度のことながらえもいえぬ感慨がある。


 14:19
新しくできた特養の玄関の横にお遍路休憩所ができていた。昨年すでにできていたのかどうも記憶にない。宿まで1km半くらいの距離なので、休むことなど全く頭にないからできていたのに目に入らなかったということも考えられる。でも建物の新しさから見てもこの1~2年の間にできたことは間違いないだろう。時間に余裕がありすぎるので休ませて貰うことにする。


 14:22
休憩所には緑茶サーバーが設置されている。熱いほうじ茶、冷たいほうじ茶、熱い煎茶、冷たい煎茶が選び放題、飲み放題。一通り試させて貰う、ぼくの好みは熱いほうじ茶。隣にはきれいなトイレもある。


 14:39
到着時間を3時に合わせてたっぷり18分の休憩、2時38分に発つとすぐ香南市にはいる。手前は芸西村だった。香南市は2006年3月1日に、夜須町、香我美町、赤岡町、野市町、吉川村が合併してできたもの。今日泊まる宿も3年前までは夜須町サイクリングターミナルだった。


 14:40
前の写真では1.5km、100mも来ていないのにおかしな話。実際のところは前の写真からだと1.7km、この写真からだと1.6km。歩きの道と車の道は違うけれど、それでもこんな大きな差があるとは思えない。


 14:43
ここを左に下っていくと住吉荘、あのご夫婦はどうしただろう。電車に乗れば楽々この時間には着いているだろうけれど、歩きに来て歩けないというのは相当フラストレーションが残ることだと思う。


 14:43
こういう地形を見ると、ここに電車が走っていたことがはっきり判る。


 14:49
鉄道のためのトンネルなので正式の名前があるのかどうか判らない、長さも判らない。3回目までは山の上の海風荘に泊まっていたので、このトンネルを通ったのは4回目から。


 14:51
と書いてあるけれど、実際は500mはある。そばにある別の看板には素泊まり3150円とも書いてあるけれど、それは1室3人以上で使用する場合、2人だと3360円、1人の場合は3570円。


 14:56 香南市サイクリングターミナルしおや宿
今日は本当に快調な1日だった。3時までに宿に着いたのは2日前もそうだったけれど、そのときよりも歩行時間が1時間くらい少なかったし、スピードも最後まで例年並みを維持できていた。ローソンからの最後の15kmは例年以上だった。休憩場所を変更したのもよかった、前回の安芸駅、赤野休憩所、だと、5.9km、7.2km、8.3kmと後半になるほど長くなるので効率が悪いしへばりやすい。今回の、カリヨン、接待所、特養、だと7.0km、6.6km、5.3km、1.7kmとだんだん短くなって好結果につながった。


 15:48
お風呂は5時から、2時間ゆっくり海を見ながらポケ~ッとする。
 5時少し前に1階へ下りていくと、ちょうど女のお遍路さんが到着したところ、初めて見る顔だった。安芸市内で食事をしているときに追い抜いたと思われる。あと車遍路の男女と歩きの男の人もいたようだった。ぼくが、3年前初めてこの宿に泊まったときはお遍路にはあまり知られていないような感じだったけれど、以後だんだんお遍路も泊まるようになってきた。

この記事についてブログを書く
« 7日目 4月30日 | トップ | 9日目 5月2日 »