WALKER’S 

歩く男の日日

5日目 4月28日

2009-06-02 | 09年四国の旅

 5:56
朝食の前にバスツアーの人が先に荷物を運び込んでいる。今日は26番の金剛頂寺あたりまで行くのだろうか、ぼくが26番に行くのは2日後になる。それにしても、不思議なのは隣のキャンピングカー、キャンピングカーなのに民宿に泊まるのはどういうことか、宿に泊まるのなら普通の車で行けばいいのに。


 6:06
今日も朝から快晴、6時3分に宿を発つ。今日は初めて40km以上を歩く。でも、焼山寺、鶴林寺、太龍寺のような大きな山はないし、札所も二つだけなので、宿に入る時間は今まで一番早くなる予定。太股とふくらはぎの筋肉に少し張りはあるけれど、歩くときには全く気にならない、影響もない。足の裏は全く痛んでいない。


 6:27
昨年は宿から22番までの出足が全然調子が上がらなかった。何しろ、前日別格3番慈眼寺から鶴林寺、太龍寺とほとんど山の中でコンビニもスーパーも何もなくて食料が調達できなかった。それは承知で二日前に仕入れてはいたけれど全然足りなくて、燃料不足で全く力が出なかった。今回はこの区間だけはリベンジを果たすのだと気合いが入る。
 国道まではまずまずの歩き、ここを右に行くと太龍寺ロープウェイの乗り場がある。車はそのまま国道を直進して左へ行く、歩きは国道を横断して峠道へ入っていくけれど、最初のときはまともな地図を持っていなくて左に曲がって国道を歩いてしまった。今から考えるとよくもそんな怖いことができたものだと思う。国道はこの先でハイウェイのようになっているのだ。


 6:28
国道を横断するとすぐにヘンロ小屋がある、30分も経っていないのでもちろん休んでいる場合ではない。


 6:28
ここからあまり加工されていない狭い遍路道に入っていく。峠を越えて里に下りるまでいい雰囲気のへんろ道が味わえる。


 6:47
国道とこの大根峠の標高差は60mしかない、地図にそう書いてあるけれど、いつもそんな容易なものではないと感じる。昨日の二つの山と同じくらいのしんどさを感じる。確かに距離は短いけれど、ぎゅっと凝縮した本物の山道だ。


 6:51
峠からは竹林の中を下る、昨年はこの下りがふらふらしてしっかり歩けなかった。今回は、体調もいいし気合いも入っているので2年前のような理想的な歩きができている。スピード感もある。


 7:03
峠から16分で里に下りてくる。登ってきた時間よりずいぶん長かった。里の標高は国道より100mくらい低いのでそれも当然のこと。里に出てすぐのところにあった接待所が消えていた。ぼくは朝早い時間に来るので関係ないけれど、できてすぐ消えるというのは何ともいえず残念なことです。


 7:19 平等寺
里に下りてからもかなりいいスピードで2年前と同じタイムで到着することができた。満足。境内には歩きの男性が一人、あとは車の人が何組か。バスツアーはまだ見えない。


 7:38
お詣り納経を終えて、休憩所で一息つく。ここは納経所の隣、昨年までは納経をしなかったのでこの中に入ることはできなかった。いつもトイレのそばのベンチで休んでいた。ポットの中はお湯ではなくお茶が入っていた。それより横の小銭が気になりますよね。これはお賽銭用に両替して貰うためのもの。


 8:22
平等寺ではゆっくり34分費やし、7時53分に発つ。平等寺から国道に出るまでの遍路道は車もほとんど通らない静かで歩きやすい道。この月夜御水庵の短絡路から登りになるけれど長くは続かない。


 8:30
御水庵から自動車道に出ても登りがしばらく続く、数百mで一番高いところ(峠と言うほどではない)に来て、そこからは国道まで延々と緩やかな下りが続く。この道が最高、車も人も全然通らないし、膝にも負担が全くかからないくらいの下り坂。意識しなくても自然にスピードも乗ってくる。この少し前のところで平等寺を先に出た男性を追い抜いた。


 8:44
平等寺から50分で国道が見えた、気持ちの良い道はここまで、今日はこのあとずっと国道を行く。


 8:46
国道に上がってくると、美波まで15kmの看板、下に小さく旧日和佐、つまり薬王寺まで15kmということ。今日の宿はその15km先だから、まだ30km歩かねばならない。


 8:49 鉦打トンネル 301m
ぼくにとっては二つ目だけど普通のお遍路にとっては最初のトンネル、歩道に柵もあって安全安心なトンネル、こんなトンネルは滅多にない。


 8:54
ちょうど1時間でヘンロ小屋に到着、2年前と同じ、昨年より2分早い。嬉しいのはようやく遍路宿情報60部の内40部をここで降ろすことができる。わずか500gくらいだけど急に軽くなったような気がする。この5日で6Pチーズ4箱(500g)とチョコとキャラメルも半分くらいは消費したので、最初8.2kgあった荷物が6.5kgくらいになっているはずだ。今回初めて太股やふくらはぎの筋肉に張りが出たのは、この重い荷物で焼山寺を登ったからに違いない。16分の休憩で気分良く出発。


 9:11 福井トンネル 175m
遍路小屋を出てすぐ二つ目のトンネル、歩道はある。


 9:18
国道の下をくぐって由岐、田井ノ浜へ向かう古い遍路道を見下ろす。昔は国道もトンネルもなかったから、お遍路は皆この道を歩いて由岐の町へ向かった。国道より3kmくらい遠回りになるので現在歩く人は少ない。ぼくは3年前に一度歩いた。2年前には、平等寺のそばの宿に泊まって薬王寺まで行くけれど、近すぎる(20km)のでこの遠回りの古い道を歩くのだと言う人に会った。


 9:40 星越トンネル 230m
3つ目のトンネル、歩道はない。


 9:43
トンネルを抜けるとそこは美波町。とはいえ薬王寺までまだ11km近くある。


 9:46
そして、ウェルかめ。例年とは全く違う気分でこの看板を眺める。NHKの朝ドラのロケはすでに始まっているようだ。徳島は「ウェルかめ」、高知は大河ドラマの「龍馬」、愛媛は「坂の上の雲」、この秋からNHKは四国づいている。


 9:56
遍路小屋から4.9kmほどしか来ていないけど休憩をとる。この先には適当な休みどころがない。


 10:10
バス停の前にある看板、でもこの数字は正確ではない。9.1kmが正しい。最初の頃はこの数字に泣かされたもの、こんなに歩いているのにまだ10kmもあるのか、とがっくりした覚えがある。14分の休憩で出発。


 10:30 久望トンネル 137m
4つ目のトンネル、歩道はない。


 10:33
バス停から先に適当な休みどころはないと言ったけど、意外なところに休憩所があった。新しくできたのか前からあったのかよく分からない。ここは先の遍路小屋と薬王寺の中間地点より500mずれているだけ、次回からこちらの方で休むことにしようと思ったけど、次回は108ヶ所巡りで、由岐の方に行くのでこの道は通らない。


 10:46 一ノ坂トンネル 224m
本日5つ目のトンネル、歩道はない。


 10:57
この少し前のところにも同じような花壇があって、その上にある家の奥さんが水をやっていた。水やりを終えて家に入る途中でぼくに気がついて声をかけてくれる。「あと4kmだからね~、がんばってね~」。距離は分かっていたけど、とても嬉しかった。みかんを一つ頂くより嬉しいお接待だと思った。


 11:28
ここでは毎回食料を調達してきたけれど、今回は買わない。リュックの中にまだ食料はあるし、今日の宿は夕食付きで泊まるし、朝食は宿のそばのコンビニで買うことにする。


 11:34 薬王寺
山門に着く少し前のところで男の人を追い抜いた。遍路装束は一切着けていない、金剛杖も持っていない。追いついてきて山門の前で写真を撮った。でも、山門をくぐることなくそのまま行ってしまった。お遍路ではなく、ただ歩いている人だった。ぼくも最初は同じような感じだった、もちろん他人がどうこう言うことではない。迷惑さえかけていなければ、本人が納得していれば、どういう形のお遍路も認められて然るべき。
 遍路小屋からここまで2年前の最高タイムとほぼ同じ、好調はずっと続いている、荷物が軽くなったのが影響しているかもしれない。


 11:36
「お大師さんのころ、人里はこの日和佐まででしたやろか」
と、運転手の宮本富太郎老が潮風の中でいった。このさき室戸までわずかに牟岐の浦と、それに宍喰・甲浦という入江があり、そこにわずかずつ集落があるにせよ、人の暮らしの温もりのある里といえばこの日和佐の浦までだったかもしれない。
 日和佐の浦をかこむ急峻の山肌に吊りあげられるようにしてたかだかと石段がかかっている。上に山門があり、医王山薬王寺、とある。四国八十八ヶ所のうちの二十三番の札所だという。このさき室戸までは札所がなく、宮本老の想像はそれがたねになっている。札所がすでにここで絶えている。そのことは空海が人里で疲れを癒した最後は日和佐の浜だったのではないか、ということであり、四十年ちかく遍路の道を走り続けてきた人の想像はかならずしも無視できない。
 日和佐に入ると、医王山薬王寺はちょうど縁日であった。石段を厄年の男女が織るように上下しており、登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。齢の数だけおとすのだというが、異様な光景であった。なかには壮漢が小さな老女をかるがると背負い、どちらも石のように無表情な顔でのぼってゆく。背中にとまっている老女が、一枚ずつ軽い硬貨をこぼしていた。空海という、日本史上もっとも形而上的な思考を持ち、それを一分のくるいもなく論理化する構成力に長けた観念主義者が、そのどういう部分でこのようなひとびとの俗願とむすびついているのであろう。しかも空海没後千二百年を経てなおこれらの人の群を石段の上へひきあげつづけているのは空海の何がそうさせるのかということになれば、どうにも筆者が感じている空海像がこの浦の黄土色の砂の上から舞いあがり、乱気流のかなたで激しく変形してゆくような恐れをおさえきれない。


 11:47
はじめて60厄坂を登って瑜祇塔の前に出てきた、有料なので中には入らない。展望台から日和佐の町をゆっくり眺める。


 12:28
薬王寺ではお詣り納経を含めて、たっぷり52分を費やす。いつもこのお寺ではゆっくり過ごす。今日の行程はあと15kmだし、休憩も1回入れるだけ。これだけ休んでも3時過ぎに宿に入ることができる。


 12:48 奥潟トンネル 100m
本日6つ目のトンネル、歩道は右側だけにある。道路は左側に歩道があるのでトンネルに入る前に横断しなくてはならない。


 13:06 日和佐トンネル 690m
7つ目のトンネル、一番長いけど歩道に柵もついている。


 13:22 山河内トンネル 124m
本日最後8つ目のトンネル、歩道はない。


 13:36
遍路小屋とはとてもいえない簡便なお休みどころだけど、薬王寺と牟岐のほぼ中間にあって、ぼくにはとても都合の良い休憩所。500m上流の谷水がホースで引かれてあって飲めるようにもなっている。ここに着く少し前にアフロヘアの若い逆打ちの男性とすれ違った。荷物からして野宿のようだった。


 14:05
今日の宿がある牟岐町に入る、とはいえまだ1時間は歩かねばならない。牟岐の中心地は町の西の端にある。


 15:08
薬王寺からのタイムは一番早かった3年前より1分遅れ、でも2年前よりは1分早い。3年前と2年前は明らかな違いがある。3年前は由岐から出発したのでこの区間は午前中に歩いた、しかも雨が降っていてかなり涼しかった、さらに歩いている人が多かったので追い抜くために意識して速く歩くことが多かったと思う。2年前は太龍寺下から発ったのでこの区間は午後の一番暑いときに歩くことになった。ということは、今回の1分遅れは写真を撮りながらということも考慮に入れれば、最高の歩きだったとしてもいい。
 駅のすぐそばのヤマザキショップで明日の朝食を仕入れる、宿は駅前の交差点、信号待ちをしていたら民宿杉本の方から歩きの人がやってくる、遍路装束は着けていないけれど金剛杖は持っている。杉本はやっぱり営業していなかったようだ。ぼくも前に電話して休業しているといわれた。シーズン中なのに気まぐれで休むということは営業していないに等しい。地図から消して欲しい。


 15:11 民宿あづま
42km歩いてほっとして、あづまの写真は撮り忘れてしまった。したがって、これは昨年の写真。3年連続の投宿、過去2年は同宿のお遍路はいなかったけれど、今年はあとから何人か来るようで、昨年とは別の部屋に通される。角の広い部屋は夫婦連れが入るといっていたけれど、結局その夫婦は来なかった、キャンセルの電話が早ければその部屋に入れたかもしれなかったのに。入浴を終えてしばらくした4時過ぎに相次いで男のお遍路が3人やってきた。二人は一緒に歩いているようだけれど、四国に来てから知り合ったような感じだった。もう一人の人にはすごく驚かされた。何しろ100日で巡るつもりだという。1日に10kmほどしか歩かない、そんなお遍路は見たことも聞いたこともない。焼山寺は、9時間かかったという、途中で諦めかけたそうだけれど、なにぶん携帯も通じないのでどうしようもなかったそうだ。