WALKER’S 

歩く男の日日

9日目 5月2日

2009-06-12 | 09年四国の旅

 6:47
9日目は予約した宿までの距離は25.7kmしかない。昨年も同じ宿で、朝8時に出て宿には2時半に着いてしまった。4時間半しか歩けなかった。それなら、もっと他の宿にすればいいようなものだけど、連休の初日で大都会高知ということもあって適当な宿がとれなかった。時間をつぶすために高知城まで足をのばすことにする。全部歩くと大変なので一部電車に乗ることにする。歩く距離は35.5km。6時40分に宿を発つ。


 6:50
トンネルを抜けて振り返ると海風荘、ちょっとした山の上という感じだけど、1日の最後にこの坂は相当こたえる。ぼくは1回目から3年連続で泊まったけれど、とにかくきつかったという思い出しかない。そしてぼくが泊まったときは素泊まりがなく、無理矢理朝食を食べさせられて高いお金を取られた。現在は素泊まり(3800円~)もあるようですが。あそこに登るとトンネルを抜けることもできないので、サイクリングターミナルに比べていいところは何もない。


 6:59
なはり線、夜須駅前にあるコンビニでいつものように大日寺で食べる朝食を買おうとしたら、このありさま。駅前で、国道沿いで、駅の反対側は道の駅、これ以上の立地はないと思われるのに、しばし唖然とするしかなかった。大日寺のすぐ手前にもあったような記憶があるから問題はないけれど。


 7:06
自転車道と平行している国道に新しいコンビニができていた。早めに国道に出ることにする。記憶は必ずしも正しいとは限らないから、買えるときに買っておく方が安心。つぶれるコンビニあればできるコンビにあり、国道の同じ側にあってこちらのコンビニの前を先に通るから、こちらができたせいで、あちらのコンビニがつぶれたのかもしれない。


 7:16
右へ折れて国道を離れる。旧香我美町、赤岡町の遍路道は静かで歩きやすい。この時間だと当然かと思われるでしょうが、国道の方はすでにものすごい交通量、2km半ほどだけど癒しの道を楽しみながら歩く。


 7:29
この少し前に遍路小屋があって、写真を撮ろうとしたら男女の若いお遍路がいて、男の方が腕立て伏せをしながらこちらを見ていたので撮れなかった。
 Aコープの前に電話ボックスがあったので、清水川荘に予約を入れる。この時間だと朝食も終わってゆっくりしているところだろう。6日先で連休も終わっているので、当然問題なく予約完了。この宿がとれないと前後20km以上に宿が全くないのでたいへんなことになる。


 7:38
四元さんのてくてく旅の赤岡のゴールになったのが絵金蔵。でもぼくはそれを見た覚えがなかった。今回注意しながら歩いていると、その入り口に看板があった。遍路道から右の路地に入ったところにあるようだった。気がつかなかったのも道理。


 7:39
国道に突き当たるすぐ手前、デオデオの前を右に折れる。ここは遍路標識がなくて真っ直ぐ行ってしまいがち。ぼくも2回目のとき(初めてのときはずっと国道を歩いてしまった)ここを折れなくてさらに国道も横切ってしまい、完全に迷ってしまって、ウォーキングをしている地元の人に丸米旅館のところまで連れて行って貰った。


 7:43
左の道を行くと国道に合流する。右の道は古い遍路道、新しい地図には赤線はないけれど、昔の白黒の地図にはちゃんと赤い点線があった。ちょっと遠回りになるので歩く人は少ない、ぼくは3回目のときに歩いた。一度歩いておくと納得する。


 8:09
国道を離れて500m、丸米旅館の前を通過。28番まであと2kmちょっと。


 8:30 大日寺
大日寺の山門に着くと、足を痛めたご夫婦が撮影の最中だった。住吉荘からだと6時くらいに出ないとこの時間には着けないから。電車を使ったのかもしれない。電車に乗ると11kmのうち歩くのは4kmくらいで済むから7時に出ると丁度この時間になる。
 納経所でも一緒だったけれど、ご夫婦はすぐに出発された。ぼくは食事をしながら、たっぷり休憩する。土佐一宮13時11分発の電車に乗るには、3つの札所で1時間50分は休まねばならない。


 9:39
大日寺では50分の休み(お詣り、納経の時間を含む)、休んでいるときに同宿の女性がやってきた。ぼくより先に出たはずなのに追い抜かなかった。ぼくの最初のときのようにずっと国道を歩いたのかもしれない。ぼくが赤野の遍路道を歩いていたときに抜いてしまったのだろう。10kmあるから途中で休憩したのかもしれない。
 山門を出ていくときには、熟年の野宿の人と先の遍路小屋にいたカップルがやってくる。ご夫婦より25分以上遅れて出るから追いつくのはずいぶん先のことだと思っていたのに、この橋に渡るすぐ手前で追いついた、2km地点ということは時速3kmくらいしか出ていない。あまり回復していないということか。歩道橋を渡り始めたところで、自転車に乗った女子中学生が追い抜きざま挨拶してくれた。大きな声で挨拶を返したら少しは気分が晴れた。


 9:42 物部川
28番から29番までは3年前にとんでもない記録(時速6.74km)を出してしまったので、どんなに頑張っても同じ記録は出せないことは判っている。足の調子はすこぶる良いけれど、写真を撮りながらでもあるし、記録は気にせずできるだけ普通に歩く。


 9:43
橋を渡ると香美市。2006年3月1日に土佐山田町、香北町、物部村が合併してできた。この市を歩くのは松本大師堂までの2kmだけ。


 9:51
旧土佐山田町の遍路道は一面に広がる農地の中を行く、とても気持ちのいいぼくの大好きなへんろ道。
この少し前に若い男性を追い抜いた。ものすごく辛そうな歩きだった、足を痛めているのがはっきり判る。


 10:05
2年くらい前にできた新しい松本大師堂。28番と29番の丁度中間地点にあるので最適の休憩所にもなっている(ぼくは休まないけど)。ここを過ぎればすぐ南国市に入る。


 10:31
へんろ石饅頭の前がバス停へんろ石。へんろ石饅頭は前の店のすぐ手前に新しくて大きな店ができたばかり、駐車場も広々している。この銘菓もまだ一度も食べたことがない。まだそこまでの時間的、経済的、精神的余裕が持てていない。


 10:39
この橋を渡ると国分寺まで500m、お寺の森も見えてくる。橋を渡ったところからすぐ左へ折れて土手を行く道がある、遍路標識も立っている。でも、ぼくは一度もこの道を行ったことはない。地図に赤線がひいていない。古い白黒の地図にもなかった。だからこんな道があることも知らなかったくらい、標識に気がついたのは2年前のことだった。真っ直ぐ行ってすぐ左に折れる自動車道の方が近道でもある。昔の遍路道ではあったのかもしれないけど、タイムの比較もしたいので今年も自動車道を行く。ずっと先に土手を歩いている人が見える、遍路標識に従う人が多いようだ。


 10:45 国分寺
土手の人が田んぼに下りてだんだん近づいてくる。山門のすぐ手前で自動車道に合流する。あんなに先を行っていたのに合流地点ではぼくの方が一足早かった。10mくらい遅れてきたその人を見ると、何と、昨日赤野休憩所の手前で追い抜いたサングラスの女性だった。お互いそのことに気がついて、笑顔で挨拶を交わす。


 11:10
お詣り、納経が終わって鐘楼のそばのベンチで休んでいたら、彼女の方から声をかけてくれた。「昨日防波堤の道で追い抜かれた方ですよね」、はい、と頷く。「ものすごく速いのでびっくりしました、私はあの後和食(わじき)から電車に乗りました。20kmを越えるとどうしても足が痛くなって・・・」。27番の下の宿からだと和食駅がちょうど20kmになる。彼女は普段はほとんど歩くことがないという。仕事をしていると当然だと思う。1時間のウォーキングなんてとてもできないだろうし、休みの日でもそんな余裕は持てないのが普通。それでも四国を歩く、というのは、ぼくなどが練習をいっぱい積んで足を痛めることなく普通の人の1.5倍の速さで1.5倍の距離を歩くことよりも、何倍も立派なことであり見上げたことだと思う。普通、この若さで連休といえば海外旅行や沖縄、温泉ですもの。「普段なら朝なかなか起きられないのに、四国に来ると朝は早めに目が覚めて朝食も美味しく頂けるし、お寺にお詣りすると本当に気持ちがすっきりして癒されるんです」と非日常を十二分に味わっている様子だった。比較すべきことではないかもしれないけれど、ぼくなんかよりも余程お遍路だなあと思わずにはいられなかった。彼女は今日が最終日の区切り打ち、次回のために遍路宿情報を渡す、それを見ながら「このドライブイン27の隣の宿、きんしょうに泊まったんです」。きんしょうの評判はほとんど聞いたことがなかったので「どうでした?」と訊く。「女将さんはとても気持ちのいい人でした。」とちょっと含みのある言い方、「同宿の男の方が倒れて大変だったんですよ、救急車を呼んで私も女将さんと一緒に同乗して病院まで行ったんです、次の日には回復されたんですけど・・・」とすごい体験談を話される。これも非日常ですよねぇ。


 11:30
35分の休憩、11時20分に国分寺を出る。国分寺から国道までは田んぼの中を行く、土佐山田町のような舗装された農道ではなく、本当のあぜ道。雰囲気は最高だけれど、やや歩きにくい。昨年は、よく歩けなくて記録も出なかった。その意識もあって、今回は昨年より足取りはしっかりしているという自覚がある。国道の下を抜ける。


 11:42
4番大日寺の手前のような、これぞへんろ道という感じ。


 12:02
すぐ先にある遍路小屋を作った方が、お遍路さんの目を楽しませるために花の世話もしてくれている。


 12:03
遍路小屋まではベストタイムより1分早かった。去年よりは調子が良かったけれどベストが出るとは思ってもみなかった。やはり、国分寺でお話ができて元気を頂いたということかもしれない。遍路小屋で休んでいた人は初めて会う人だと思っていたけれど・・・。


 12:07
佐川急便の前で県道に合流する。このずっと前から県道を行く道にも赤線がついている。ぼくは最初のときに歩いたけど、コンビニはあるけどちょっと雰囲気がないし遍路小屋もないのでお奨めはできない。


 12:11
南国市から高知市に入る。今年は初めて高知をじっくり観光することができる。


 12:15
ここは高知市の北東の端、市街はまだはるか遠方。


 12:17
今日泊まる宿、レインボー北星の前を通過、もちろんこの時間だからスルーする。ちなみにこの建物は喫茶、食堂で宿舎は50mくらい離れた別棟になっている。


 12:23 善楽寺
遍路小屋から30番までは例年通り、距離が短いからこれ以上の早さは無理な話。お詣り、納経も滞りなく済ませ、納経所の前のベンチで休んでいると、車で巡っている男の人が隣に腰掛けて話しかけてくる。「歩きですか」。はい。「ものすごい汗だもんねぇ」。自分では気がつかなかったけど白衣は汗のしみで相当汚れているのかもしれない、「初めてですか?」。いいえ、7巡目です。「全部歩きで?そりゃすごいなぁ。お大師さんには会いましたか?」。唐突の質問で、ちょっとびっくりしたけど、はい会いました、とはっきり答える、観音様にも何回か会いました、と言うと、ちょっとびっくりしたような顔をされた。お大師さんは、人によってその定義や感じ方は違うだろうけれど、ぼくにとってはこの旅を支えてくれる人々。ぼくは野宿では絶対旅を続けられないから、宿屋の人たちがぼくにとってのお大師さんだと思っている。もちろん、旅の途中でお接待をしてくれる人、声をかけてくれる人もお大師さんだ。お大師さんを信じて、お遍路の後にお大師さんを見ている人はその心の中にお大師さんがいる。ぼくにとってはそういう人たちは皆お大師さんだと思うようにしている。


 12:47
善楽寺を出るときに水屋で水をくもうとしたら、先の遍路小屋にいた男の人がやってきて声をかけてくれる。昨日27番の山門ですれ違った人だった。彼は23番までは快調だったけれど、その後足を痛めて思うように歩けなくな
ったそうだ。今日は高知市内のビジネスホテルに泊まるけれど、連休で明日の宿がとれない、何とか土佐市の喜久屋旅館(ぼくと同じだ)に受けて貰えたけれど、30kmくらいあるので辿り着けるかどうか微妙な感じだという。
 24分の休憩で、電車の時間に合わせて12時47分に出る。写真は善楽寺を出たところから山門まで続く砂利道、歩きにくいけれど気持ちがいいので脇道を行かず敢えてこの道をジャリッ、ジャリッと進む。


 12:50
善楽寺へは裏から入るので、出るときにしか山門をくぐらない、でもこの山門は善楽寺の山門ではないようです。土佐一宮神社の山門のような感じ、でも神社に山門というのもおかしいし、なんだか納得いかない。考えてみれば善楽寺は一宮の一部、間借りしているような感じがしないでもない。納経帳にも、善楽寺ではなく土佐一宮と墨書されている。


 13:03 土佐一宮駅
遍路道を離れて電車に乗る、白衣もとって観光モード。


 13:19 高知駅
ここに着くすぐ前に絶好の撮影ポイントがあったのに逃してしまった。残念!
高知駅は6年前、須崎市の大間からここまで電車に乗って降り立ったことがあるけれど、そのときとは全く様子が違ってしまった。高架でもなければ、ドームもなかった。


 13:34
高知駅で降りてもよかったけど、料金が同じなのでより高知城に近い入明駅まで乗る。高知駅で12分待ちの乗り換え。ここから高知城の登り口まで800m。


 13:47 高知城
山の上にあることは判っていたけれど、思った以上にしっかりした坂道だった、登り口から4分かかる。この天守閣の前まで来る分には無料。天守の中に入ると有料になる、もちろん入らない。時間の余裕もそんなにない。


 13:50
真ん中に顔を出す穴が空いているけれど、多くの観光地にある撮影用の看板とは値打ちが違う。何しろこの絵はアンパンマンのやなせたかし先生が描いたもの。


 13:54
慌ただしく天守から下りてくる、天守は小さいけれど城の縄張りは想像以上にしっかりして見応えのあるものだった。もっと時間をかけてくまなく歩いてみたいけれど、今回は時間の余裕がない。大手門の手前に大層立派な板垣退助の像があった。


 13:56
素晴らしく勇壮な山内一豊像、彦根駅前の井伊直政像以上にかっこいい。


 13:56
高知城では大手門を追手門という。それにしても見事な造りでしばし見惚れてしまう。なにせ姫路城の大手門はちゃちなまがい物、この門と比べるのも恥ずかしいくらい。姫路城の大手門は三重の立派なものが江戸時代にはあったけれど、明治になって陸軍が完全に破壊してしまった、現在の大手門は昭和初期に国宝に指定されるときに二番目の門があったところに形ばかりのものを無理矢理取り付けたもの、子供のころ、その大手門が江戸時代のものと思い込んでいた。それが昭和のものと判ったときには本当にがっくりした。この立派な追手門を見ると、その失望感が蘇ってくるようだ。


 14:08
追手門から高知駅へ向かう、予定通りの道を歩いていたけれど、初めて歩く道で距離感がつかめなくて、本当にあっているのか気の迷いが起こって、おかしな方向へ曲がってしまった。そして見覚えのある商店街に入る。やっちゃった、駅と反対側の方に折れて遠回りをしてしまった。でもそのおかげで、はりまや橋の写真を撮ることができた。この前を通る予定ではなかった。400mの遠回り。


 14:17
高知駅南側の開発はこれからというところ。


 14:22
一番奥にかすかに白く見えているビルが四国通建のアパート、大学時代お世話になったT先輩が長らく住まわれていた。


 14:54
3時までには無理だったけれど、何とかいい時間までに土佐一宮に戻ってきた。今日も素泊まりなので、一宮の手前のコンビニで食料を仕入れる。このコンビニにも3度入ったことがある、進行方向は逆だったけれど。


 15:07 レインボー北星
宿に着くすぐ手前のところで、男の人がゆるゆるとやってくる。もしかしたら、松本大師堂の手前で追い抜いた人かもしれない。あれから5時間経っている、距離は13km弱、時速3kmくらいしか出ていない感じだったから可能性は十分だ。15時7分に宿に到着、遠回りしていなかったらほぼ3時、追手門からここまでの時速は6.37km。最後は暑くなって、かなりばてた感じもあったけど思った以上にちゃんと歩けていたようだ。足を痛めたご夫婦は今日この宿に泊まると言っていたので、女将さんにそのことを尋ねると、今日泊まる夫婦の方からはキャンセルの電話があったという。う~ん、やっぱり、ここでリタイアということなのか。今日は距離が短いからあのスピードでもこの宿まで来ることは難しくはないはず、でもやはり乗り物を使いながら無理して続けるよりも、体調を整えて改めて出直す方がよいと判断されたのだろう。須崎市の宿(2日か3日先)まで予約をしていると言っていたから、それを全部キャンセルするのは相当な決断だったと思う。連休は今日からなのに、それを家に帰って足の治療に終始するというのも何とも口惜しいことだろう。でも、賢明な選択だったと思う。自分自身に優しくできなければ他人に優しくなれる訳がない。
 今日の泊まりは2階の左の方の部屋、大部屋で4人が相部屋で泊まれるようになっている。予約はぼくともう一人だけだったけれど、後から飛び込みで二人が来て満室になった。でも3人ともいびきもかかず、非常に快適に休むことができた。徳増より余程快適だった。