いわゆる「名言」というものが、ひとり歩きすることがある。
束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。
マハトマ・ガンディーの“遺言詩”と言われているこの言葉、
ガンディーの言葉集(「『ガンディー 魂の言葉』太田出版)のなかに
ぜひ入れたいと思い、出典をあたってみたことがある。
が! あたるといっても、ガンディーという人は、
毎日何かしら書きまくっていて、全集だけで5万ページ!もある。
一体このなかからどうやって探せばいいの!?
幸いこの全集(英語版)、全文PDF化されていて
CD内やネット上で検索できるのだが、
何せわかっているのは日本語訳だけ。
適当に英単語をいくつか入れて、クロス検索を繰り返す。
これでもダメならこの単語で、さぁどーだっ!
・・・あった。それらしき文章が。
といっても、この段階でわかるのは、
この文章が何番のファイルに収められているか?
ということだけなので、原典をあたったことにはならない。
さらにこのあと該当するファイルのなかで検索を繰り返す。
そしてついに発見!「ハリジャン」1947年10月12日号より
「ある友人が、ジョージ・マセソンの次のような名句を
引用して送ってくれた;
束縛があるから、私は飛べるのだ。
悲しみがあるから、高く舞い上がれるのだ。
逆境があるから、走れるのだ。
涙があるから、前に進めるのだ……」
え…。てことは、これはガンディーの言葉ではなく、
スコットランドの盲目の牧師マセソンの言葉の孫引き??
実はガンディーは自分の新聞(ハリジャンもそのひとつ)に
自分の文章だけでなく、気にとまった他人の文章や
知人からの手紙を、ちょこちょこ引用して紹介している。
「新聞」なのだから、それは当然なのだが、
膨大な文章のなかに「引用」が紛れこんでいるものだから、
ガンディーの言葉だと思い込んでしまうのも無理からぬこと。
かく言う私も危うく、引用されていた米国人記者の言葉を
ガンディーの言葉として紹介してしまうところでした!
「名言」のなかには、このようにしてつくられ、
伝説化してしまうものが少なからずあるに違いない。
言葉を引用する際は、原典にあたる手間暇を
惜しんではならない、と痛感したしだい。
束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。
マハトマ・ガンディーの“遺言詩”と言われているこの言葉、
ガンディーの言葉集(「『ガンディー 魂の言葉』太田出版)のなかに
ぜひ入れたいと思い、出典をあたってみたことがある。
が! あたるといっても、ガンディーという人は、
毎日何かしら書きまくっていて、全集だけで5万ページ!もある。
一体このなかからどうやって探せばいいの!?
幸いこの全集(英語版)、全文PDF化されていて
CD内やネット上で検索できるのだが、
何せわかっているのは日本語訳だけ。
適当に英単語をいくつか入れて、クロス検索を繰り返す。
これでもダメならこの単語で、さぁどーだっ!
・・・あった。それらしき文章が。
といっても、この段階でわかるのは、
この文章が何番のファイルに収められているか?
ということだけなので、原典をあたったことにはならない。
さらにこのあと該当するファイルのなかで検索を繰り返す。
そしてついに発見!「ハリジャン」1947年10月12日号より
「ある友人が、ジョージ・マセソンの次のような名句を
引用して送ってくれた;
束縛があるから、私は飛べるのだ。
悲しみがあるから、高く舞い上がれるのだ。
逆境があるから、走れるのだ。
涙があるから、前に進めるのだ……」
え…。てことは、これはガンディーの言葉ではなく、
スコットランドの盲目の牧師マセソンの言葉の孫引き??
実はガンディーは自分の新聞(ハリジャンもそのひとつ)に
自分の文章だけでなく、気にとまった他人の文章や
知人からの手紙を、ちょこちょこ引用して紹介している。
「新聞」なのだから、それは当然なのだが、
膨大な文章のなかに「引用」が紛れこんでいるものだから、
ガンディーの言葉だと思い込んでしまうのも無理からぬこと。
かく言う私も危うく、引用されていた米国人記者の言葉を
ガンディーの言葉として紹介してしまうところでした!
「名言」のなかには、このようにしてつくられ、
伝説化してしまうものが少なからずあるに違いない。
言葉を引用する際は、原典にあたる手間暇を
惜しんではならない、と痛感したしだい。
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