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ロシア大使館付属ロシア人学校にてリヒャルト・ソルゲの展示発見!
ソビエト政府から見放された革命戦士も、現在は再評価され、
これこのとおりロシアの子らのお手本に。
ああ、感無量。歴史は哀し。
気になるのは左下の色紙である。
ゾルゲのサイン(直筆?)の下に手書き文字で
1895年10月4日生
1944年11月7日10時36分10秒 プルス18分位
刑死 death by ex(e)cution
注*色紙では( )内が欠落
これって誰が書いたんだろう??
「プルス18分位」が生々しい。
ソビエト政府から見放された革命戦士も、現在は再評価され、
これこのとおりロシアの子らのお手本に。
ああ、感無量。歴史は哀し。
気になるのは左下の色紙である。
ゾルゲのサイン(直筆?)の下に手書き文字で
1895年10月4日生
1944年11月7日10時36分10秒 プルス18分位
刑死 death by ex(e)cution
注*色紙では( )内が欠落
これって誰が書いたんだろう??
「プルス18分位」が生々しい。
この写真が拡大不能のため不鮮明ですが、左下色紙に書き込まれている死因の英語表記は、正確には、"death by execution"です。ご注意を。
それと、この"パルス----"は、絞首台の踏み抜き板が下に落ちてから、ゾルゲ本人の脈が止まるまでに要した時間を意味しているのですか?
生生しい記述ですね。でもプロブレーマちゃん、お説の通り一体だれが、この時間を「測定して外部へ伝えた」のでしょうか? 伝達者が居なければ、此処に書き込みも出来ない筈ですよね?
一橋大学教授・加藤哲郎のHPには、彼が一昨年11月に実施したゾルゲ刑死60周年記念講演会の口述記録《イラク戦争から見たゾルゲ事件》が掲載されております。ご関心あれば、どうぞ。
確か、その関連サイトにてゾルゲ処刑時の死亡確認検分書が発見された新聞報道が紹介されていた筈です。こちらの「検分書」などで、「パルス---分」などと確認したのでしょうか?
また訪問します。お元気で。Yozakura敬白
この色紙(拡大写真も撮ってあります)には何の説明もなされていないので、正確にはわかりませんが、色紙そのものの色あせや、文字の風情からしてかなり古いもので、処刑後に周辺にいた誰か(立会い人?)が書いたようにも推察されます。「死亡確認検分書」の紹介記事も読みましたが、検分書の詳細までは書かれていなかったので、「プルス(色紙ママ)」の根拠は不明です。ひょっとして、検分書よりも、この色紙のほうが先に書かれたものだったりして……と、想像を膨らませております。