北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

道路開発の歴史ネタ

2007-03-01 23:23:51 | Weblog
 朝外は、ふわっと軽い雪が積もっていました。気温も低い日が続いていますが、今日からは三月。
 鼻がむずむずしてきました。そろそろ花粉の飛び交う時期かな?

【北海道の道路開拓の歴史】
 明日の観光ガイド検定へのお話のために、あらためて道路開発の歴史を紐解いていましたが、調べれば調べるほど面白い話題がでてきて嬉しくなってしまいます。

 国道230号線は、札幌市のど真ん中を南に向かい、石山~簾舞~定山渓~中山峠を経て洞爺湖畔へと向かう、南側への交通の大動脈ですが、この歴史がまた面白いのです。

 明治維新で徳川時代が終わりを告げたときに、困ったのは浄土真宗の東西の本願寺の一団でした。

 なにしろ、浄土真宗は徳川幕府からは随分と厚遇されたので、明治新政府からはにらまれました。下手をするとお取りつぶしになるかも知れない、という噂まで流れました。

 そこで教団の人たちは戦々恐々としていたのですが、何しろお金のない新政府の側ではそういう状況を背景に、さまざまな事業を教団に寄付させてやらせることにしました。

 北海道の道路開拓に当たっては東本願寺がその役割を受け持つことになり、形としては東本願寺がやらせて欲しいとお願いをする形で、道路開削を行うこととなったのでした。

 札幌から有珠へ抜けるこの道路は、かつては近藤重蔵が踏査をし、また松浦武四郎も通り、「ここに道路ができれば随分便利になるだろう」といったことを書いていて、踏み分け道のようなルートが元になったようです。

 そして、この事業の責任者となったのが弱冠19歳の現如上人で、彼は明治3年に函館から小樽回りで札幌に入り、札幌を検分し、今の南7条西8丁目付近で、時の政府から下賜されたその地に管刹(寺)が設立されたのは、検分後まもなくで、そこが「札幌別院」と改称されたのは、明治9年のことである。

 現在そこには「東本願寺」の「真宗大谷派札幌別院」が建っているのですが、よくよく考えてみると、私の次女が通ったのはここにある大谷幼稚園だったのでした。

 ふーん、そういうことで建てられたお寺だったのですねえ。

    *   *   *   * 

 道路の方は、明治3年から4年にかけて突貫工事で草を分け木を切り、木橋を架け、それまでの踏み分け道を馬が通れるくらいにまでしたのでした。そしてこのことから道路は本願寺道路と呼ばれるようになったのです。

 やがてこの道路は少しずつ拡幅が行われて行きますが、山道であるためになかなか本格的な工事ができないままになりました。

 自動車交通が本格化し、冬期の交通止めを解消すべく本格的な道路整備が行われたのは、北海道開発局の手による昭和44年の本格開通を待たなくてはなりませんでした。
 
 道路一本とってみても、近藤重蔵や松浦武四郎に始まって、東本願寺の僧侶達、アイヌの人たち、そしてわが開発局まで幾多の苦労と歴史があるのです。

 ふるさとの苦労談にも観光のネタはあるというお話、いやそういう歴史にこそ他にはない地域の物語があるということです。

 勉強しなくちゃ駄目だなあ。
 
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6 コメント

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講義聞きたかったです (MarsP)
2007-03-02 23:49:02
コママサさん、こんばんわ!!

本日、父がコママサさんの講義を受けたそうです。「この人の講義本当におもしろかった」と私が帰るなり資料とともに報告がありました。
資料を見て、コママサさんだ!!と驚きつつ・・・そういえばブログに書いてあったと改めて思った次第。。。
何度も何度も「おもしろかった~勉強になった~」と繰り返しておりました。
ありがとうございます。私も聞きたかったな~
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Unknown (たびびと)
2007-03-03 08:11:21
札幌シティガイドのたびびとです。

長文お許しください。

率直な感想は「観光は奥が深い」です。
新しい視点での「札幌の魅力」を知ることができました。本当にありがとうございます。

講演は、ロシア情勢に始まり開拓の歴史、二宮報徳氏と大友亀太郎氏。川との戦い、そして道路。

まず、人に歴史在り。
次に、川に歴史在り。
最後は、道路に歴史在り。堪能しました。

前半、偉人の生き方が熱く語られまして、楽しく伺いながらも、あれっ何のセミナーだった?(^^;)と感じていました。

それからの川の話も凄かった。
札幌開拓の歴史は川との戦いだったのですね。新たな視点。これからそんな目で豊平川を眺めてみます。

最後に36号線と230号線のお話。
今まで何気なく使っている道が、先人のまさに「遺業」によってつくられていることが理解できました。

日本の舗装道路の先駆けが36号線だったとは。

受講者にとって、目から鱗の講演だったと思います。
また、何かの機会に是非是非ご披露?下さい。

ありがとうございました。
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コメントお礼 (管理人)
2007-03-03 09:11:26
 MarsPさん、こんにちは。そうですか、お父さんがいらしていたのですか。面白く聴いて頂けたようで良かったです。

 私のことは知っていたのでしょうか?何も事前情報なしで素直に聞いていただいて「面白かった」と言われるのは大変嬉しいですね。よろしくお伝えください。

 たびびとさん、昨日はご聴講頂きありがとうございました。タイミングがずれましたが、昨日の分をアップしておきました。

 1時間半話そうと思うと、ネタ集めに1ヶ月、話したい内容に沿った資料作成に2週間ぐらいかかりましたが、お褒めの言葉をいただいて、頑張った甲斐がありました。

 目に見える施設があっても、その時代背景を添えるとずっと物事が見えてくることでしょう。

 簾舞に「旧黒田邸(旧簾舞運行屋)」がありますが、例えばこれを「明治5年にできました」というだけではなく、「前年に開通した本願寺道路のための官営の宿泊所として建てられました」といって、本願寺道路を説明するとずっと分かりやすくなるでしょうね。

 観光ガイドって、「へぇ!」とか「聞いて得した」と思わせる「幸せ提供業」なんですね。私もやろうかなあ。
  
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御礼 (たびびと)
2007-03-03 12:01:59
こままさ師匠!

まさに観光ガイドは「幸せ・感動提供業」ですね。

師匠に適任だと思いますが、まず観光ガイド向けのセミナー講師を主に、副業で観光ガイド業を(^^;)

今回のような説明を受けたら来道観光客は、食べ物で満足、さらに知識欲も満たされて、大満足でしょうね。

それにしても、業務の合間の相当な準備も含め、ありがとうございますm(_ _)m

会場が熱意のあるたくさんの皆さまで埋められたことも喜ばしいことでした。
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本願寺道路について (nikumaru)
2007-03-05 09:27:16
はじめまして。
「CALS斬りっ」さんからやってきました。
私も「230号線の歴史」に興味を持ったことがあり、色々と調べたことがあります。
http://blog.livedoor.jp/rusuthu/archives/cat_50027687.html

また、私も西区のとある中学校のPTA活動にも協力しています。(今回卒業ですが・・・)

これからも。遊びに来ますのでよろしくお願いします。
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すごいブログですね (管理人)
2007-03-08 01:02:16
 貼って頂いたブログを拝見しました。素晴らしい出来で感心しました。

 こういう方ともっと地域の歴史やそこに隠された観光ネタについて意見交換をしたいものです。われわれも単なる事業説明ではなく、そこに感動の物語があるということを伝える技術をもたなくてはいけませんね。

 講演での話し方だって、練習しないと上手にはならないものです。これからもよろしくお願いします。
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