北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

お盆のちょっと不思議な話 ~ 我が家の墓参り

2024-08-13 23:12:59 | Weblog

 

 先日両親などと共に、我が家のお墓参りに行ってきました。

 数年前に建立したお墓は父の小松家に加えて母方の家も加えて両家で建てた形になっています。

 母の両親にはもともと子供がいなくて、母は養女として愛情深く育ててもらって父と結婚し今日に至ります。

 その歴史が私に繋がっているわけです。

 そしてそうやって建てたお墓に入っているのは、40年ほど前に亡くなった母の両親だけ。

 こうやって墓参りに来るのが一族が揃う数少ない機会になりました。


      ◆


 母方の祖母は晩年にすい臓がんになり3か月ほど入院を余儀なくされました。

 遠方で暮らしていた祖父母の面倒を見るために母は毎週鉄道で実家へ戻ってお世話やら看病をしていました。
 
 母は当時のことを「婆ちゃんが入院した始めの頃に、お医者さんから『喉が渇いても水を飲ませてはいけません』と言われたんだよ」と振り返って言います。

「婆ちゃんが『喉が渇いた』と言っても水を飲ませるわけにいかないから、口を湿らせるだけでね、可哀想だったんだよ」

 祖母を最後に見舞いに行ったときに、細い手で私の手を握ってくれたことを今でも思い出します。

 ところがそんな祖母が「あるときから『喉が渇いた』と言わなくなったんだよ」と母が言います。

「それが、爺ちゃんが毎朝水を一杯仏壇に供えて、誰も見ていないうちに家の横に流れている川に流すのを一週間やったんだよ。そうしたらピタッと婆ちゃんは『喉が渇いた』と言わなくなった。不思議だったねえ」


    ◆


 信じない方もいるかと思いますが、祖母はいわゆる霊感が強い方だったようです。

 当時祖母は家の一部を間貸ししていたのですが、そこの住人が外にいるときに入院して動けないはずの母に会ったという話が伝わっています。

「あら、お婆ちゃん、退院できたの?」
「はい」

 そんな会話をしたんですよ、と後々間貸しを受けていた住人の方から伺ったものです。

 お盆の時期のちょっと不思議な話でした。

 お墓への考え方も多様になってきましたが、我が家ではまだ心のよりどころになっています。

 

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