先日大学の同期3人と久しぶりに飲みました。
皆まだまだ元気そうですが、だんだんと「体のここが…」とか「内臓の数値が…」などと弱気な近況報告。
さらには「親の介護はどうだい?」とこの世代ならではの共通の話題を振ってみます。
一人は「うちは母を昨年看取って終了」、次は「うちもそれぞれの両親とさらに同居していた叔母を送って終了したけど、独り身だった叔母の相続をまだ引きずっている」とのこと。
3人目は「本州で独身の弟と暮らしていて、退職したら実家で過ごそうかなと思ったけど意に反して継続雇用になってしまった」と言います。
「『退職したら実家へ』って奥さんなんかは?」
「うん、妻もこっちでやることがあるから二地域居住しようかと思ったんだけどね。結果的には前と変わらずで、たまに実家に顔を出すことになるかな」
「そうか、僕はこれから3人を見送らなくちゃいけないからなあ。孝行をできるうちにしておくよ」
ひとそれぞれ、いろんな人生模様です。
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ところで、この世代がそんな日々の暮らしの中で関心があることってなんでしょう?
一人は「僕は福祉と旅をつなぐNPO活動をしている。だんだん立場が上になってきて自分中心でやらなくちゃいけなくなってきた。次に任せられる奴が出てこないと身動きが取れなくなりそう」とのこと。
社会参加は心身の健康に良さそうです。
二人目は「自分は親の家の敷地で家庭菜園をやっているのと、公共施設の中庭の庭園整備をボランティアでやろうかと思っている。そういえば小松君は造園だよね。どんな花とか植物を植えたらいいかアドバイスくれないか?」と突然話を振ってきます。
「ギクッ!…まあ…先輩にもっとプロがいるよ(笑)」 うまく逃げました。
三人目は「僕は郊外に農家さんから土地を借りて日曜菜園をやっている。福祉系の団体に営農体験なんかをしてもらってそれが生きがいにもなっているよ」
聞けばかなり広い土地を借りて作物を作っているようで、「それってもう農家さんなんじゃないの(笑)」というくらいのめりこんでいます。
「そうなんだけど、畑には週に一度しか行けなくて最近は雨が少ないものだから水やりが不足で作物は青息吐息だよ」
そういいながら彼は野外作業が多いので顔や腕は日焼けして真っ黒です。
「でも貸主のおじいちゃんが入院しちゃって、もうここでは今年が最後になっちゃう。来年はちょっと離れた別なところを借りて活動を続けるつもりなんだけど」
夏野菜のこの時期は水やりもそうですが、そろそろ収穫も始まるし、いろいろと手入れをしないと成長が早いので週一では手が回りきらないかもしれません。
そういう私も家に囲まれて日当たりの悪い庭にほそぼそとトマトやキュウリなどを植え、日当たりのよい二階ベランダではプランターでトマトを育てています。
そろそろキュウリが取れ頃になってきてチョコチョコ取れると嬉しくなります。
実家の92歳の母も、もう「体を動かすとこわいこわい(疲れる)」と言いながらキュウリやトマトを庭に植えています。
「もう体が動かないんだからやめたら」と言っても「だって庭が開いているんだからもったいないじゃん」と聞きません。
年を取ると土とか植物を育てることへの愛着がだんだん増してくるのでしょうか。
子供が手を離れて愛情を向ける先が少なくなると、その対象にペットやら植物栽培など何かを求めるのでしょうか。
今日集まったのは北大農学部農学科の同期なので、農はマインドとして刷り込まれているはずなんですが、私自身、実際のテクニックは農家さんには全くかないません(笑)。
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