北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

稚内と皇室の思い出

2019-10-09 23:50:29 | Weblog

 稚内勤務経験者による集いが開かれました。

 稚内は我が国最北の町ですが、札幌から行くにしてもかなり遠く、基本的に転勤族である官庁関係の皆さんにしてみると、ここの厳しい気候の中で暮らすということはかなり強烈な思い出になることでしょう。

 今日も40人ほどの方が参加してくれて嬉しい限り。

 そういう思いを共有しているからこそ、こういう同窓会のような会には皆さん楽し気に参加してくださるのでしょう。

 稚内市からは工藤市長さんが参加してくださって、稚内の近況をお話してくださいました。

 市長さんによると、ここのところ漁業が好調でホタテの値段も良く宗谷漁協の収入はやはりホタテで有名な猿払漁協の収入を超えたのだそう。

 また酪農も入荷が安定しまた個体の取引価格も好調で世帯収入は安定しているとのこと。

 さらに、風力発電用風車の建設もいよいよ本格化して来て、これから数年間は建設業も忙しくなりそうです。

 また空港民営化に伴って、新しいSPCは稚内空港の全面リニューアルを計画しているのだそうで、各方面からの航空路線の充実も期待しているとのことで、産業部門は全体に明るい雰囲気だそう。

 しかし各方面での人手不足は深刻なようで、このあたりをいかに乗り越えてゆくかは地方都市の大きな課題です。


    ◆


 今日の参加者のなかで最長老の方から挨拶をいただいた際に、現在上皇となられた平成時代の天皇陛下のエピソードがありました。

 その方は天皇皇后両陛下がまだ正式に天皇に即位する前の平成元年に宗谷地域を訪れになった際にご案内をしたのですが、その栄誉が嬉しかったと語ります。

 私の隣に座った工藤市長さんに「市長はその時何をしておられたんですか」と訊いてみたところ、「私はまさにそのご行幸の際の担当係長でしたよ」とのこと。

「なにか思い出はありますか?」と訊くと、「あるどころではありませんよ。そのときは陛下が氷雪の門へお越しになるということで、門の周りにはテレビ局が足場を組んで一番良い角度で撮影しようと陣取っていたんです。ところが当時の浜森市長がどうしたことか、門の前で両陛下を待ち構えていた市民の方へとお連れしたんです。市民にすればもう陛下が近くにお越しになってもう感激で滂沱の涙ですよ」

「それって相当まずいんじゃないですか?」

 なにしろ天皇陛下のご移動にはものすごい事前の調整があって、時間まで細かく予定が組まれているのです。

「市民にすれば嬉しかったでしょうけれど、一連の行事が終わったところで私たちは宮内庁の方に呼ばれました。(何を言われるのかなあ)と思いましたが、見事にこっぴどく叱られましたよ。まあマスコミも相当怒って突いたかもしれませんが(笑)」
「なるほど」

「実はその少し前に今上天皇陛下の浩宮様が若かりし頃、利尻島で利尻山へ登山をされていたんです。きっとその思い出を平成の天皇陛下にお話になったと思うのですが、当時の陛下も島へ渡りたいという思いがお強く感じました。
 で、実際に平成23年に天皇陛下が利尻島へ行幸されるというプランがあったのですが、東日本大震災でその話は流れてしまいました。しかしその思いがお強かったのか、平成30(2018)年の8月という平成の御代の締めくくりに利尻島へご行幸していただくことができました。実に名誉なことでありました」

 稚内にもいろいろな歴史と思い出がありますね。

 さて、少し遠いけれどまた営業で赴くとしますか。 

 

コメント
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