北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

地震予知と掛川の歴史的関係を思い出した話

2016-12-07 23:52:25 | Weblog

 

 今日は12月7日。

 72年前の今日、戦争真っただ中の昭和19年12月7日に、熊野灘を震源とするマグニチュード7.9のプレート境界型の巨大地震が発生しました。

 戦時中という事もあって、千名以上の死者を出しながら、東海地域の軍需工場が被害を受けたことを大っぴらにすることができず、情報統制がされ、具体的な被害はほとんど知らされることがありませんでした。

 ところで、おりしもこの地震発生当日の午前中に、陸軍測地測量部が掛川から御前崎までの水準測量作業を行っており、その際の測量で4ミリを超える大きな誤差が出現しました。

 また、作業時の手記に、「レベル(水準)を合致させようとするも、レベルの気泡が動いて静止しない。たんぼの中の一本道で強い風が吹き抜けていた。日傘で風よけを作らせたり、機械のセットをやりなおしたりいろいろ試みたが、レベルの動きはますます大きくなるばかりであった。そのうち、大地震がおき、瞬間、道路が波うってくるのがみえた」という表現があるとのこと。
 
 研究者の中には、測量の誤差よりも、レベルが動いたということの方が地震直前のプレスリップの現象ではないか、と考えられているようです。

 このことによって、東南海地震のみならずプレート境界型の地震には前兆現象があり、それをとらえることができれば地震予知ができるのではないか、という根拠となっているのだそう。

 掛川にいた時に、掛川市史を読んでいて、東海地震予知の基礎的研究に掛川が登場していて驚いた当時の思い出がよみがえります。

 毎朝NHKラジオを聞いていると、「今日はどんな日」というコーナーがあって、そこで今日が昭和19年に東南海地震発生が発生した日だ、という紹介があって掛川のことを思い出した次第。

 さて皆さま、地震への備えは大丈夫ですか?

 平時にこそ有事の備えを欠かさずに。

 
【参考:「水準測量データの再検討による1944年東南海プレスリップ」 名古屋大学 木股文昭・鷺谷 威】
http://bit.ly/2gaw314

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