北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

水やり三年

2012-05-30 23:45:23 | Weblog
 「水やり三年」という言葉があります。

 園芸の世界の言葉ですが、植物の状態を見極めて必要な時に必要なだけ水をやるというのは実に難しいものです。

 サボテンのように乾燥に強くて水やりがほとんどいらないような植物もあれば、サクラソウ(プリムラ)のように乾燥に弱くて毎日水をやらないと萎れてしまう花もあります。

 松のように砂浜や尾根の頂上など乾燥するところでも平気な木もあれば、ニレのように潤沢な地下水があるところで大きく枝を伸ばす木もあるのです。

 水は植物にとって必須の要素ですが、園芸家にとっての水やりは植物に対して注ぐ愛情そのもの。

 水を媒介にして植物に愛を注いでいると言っても過言ではないのですが、それだけに少なかったり多かったり、タイミングを間違えたりするのは、植物にストレスを与えてしまいます。

 水やりは園芸家は必ず身につけたい素養です。





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 植物にとっての水は愛情そのものですが、人間も植物と同じように愛情に対する要求度合いが十人十色。

 日々愛してもらっている実感がないといたたまれなくなる人がいれば、愛情には淡白な人がいます。

 愛情を注いでいないと気が済まない人もいれば、愛を注ぐのが下手な恥ずかしがり屋もいます。

 自分のパートナーは、愛情の要求度が強いのか弱いのかは一度しっかりと見極めたり、対話を通じて互いの理解を深めておいた方が良いでしょう。

 何も言わないから平気なんだろう、などと高をくくっていたら、後になって、「ずっと寂しい思いをしていたのに、あのときのあなたは冷たかった」と言って恨まれたりするかもしれません。

 逆に少し放っておいてほしいのに、良かれと思ってやたらに愛情を注いでくるパートナーだっているかもしれません。

 水は多すぎても花を枯らせるのに、です。



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 「水やり」を身に着けるのと同じように、愛情の注ぎ方も難しいもの。

 自分の一方的な思いだけでなく、相手との関係の中で学ぶしかありませんね。

 「水やり」はいいですが、くれぐれも「水を差したり」はしないように。

 
コメント
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