北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

魂の蓄え

2006-05-13 23:02:17 | Weblog
 札幌市内でもシラカバの花粉が飛んでいる地区とそうでもない地区がありそうです。やたらに目がかゆくなるところがあるんです。
 今日は地域活動への参画で過ごした一日でした。

【魂の蓄え】
 今日の始めは娘の高校の参観日へ夫婦揃って出席です。高校ともなるとあまり親の出番もないようですが、まだまだ細かいところで子供に対しては目が離せないものです。

 娘のクラスの場合は、親が全員で10人ほどの出席でそのうちの父親は私ともう一人の全部で二人でした。もっとももう一人はおやじの会の会員の知人でした。やはり子供に関して同じような態度をとるものなのでしょうか。ちょっと笑ってしまいました。

    *   *   *   * 

 午後には、中学校の吹奏楽の演奏と吹奏楽講演会の総会に妻が出席するというので演奏会だけを聞きに中学校まで出かけました。今年は例年になく一年生が多く入部したとの事で総勢が60名にもなるのだとか。
 
 吹奏楽の大会に出るにはいわゆるA編成といって50人までが出られるランクがあるのですが、これまでわが中学校は人数が40人弱と足りないのにA編成にこだわって誇りを持ち続けて参加してきたのですが、60人であれば音量としては充分に迫力をだせるだけの人数が揃ったことになります。

 あとは先生の指導で、一人一人をどう育て上げるかという力量が問われる事になります。

 中学校の吹奏楽の大会も、優勝する学校には大抵中学校音楽会の名物先生がいて、「ああ、あの先生がいるから強いんだよ」と良く言われます。

 ほとんどの子供達は小学校では楽器に触った事もないのですから、まったく白紙の状態から育て、鍛え上げて、学校単位で演奏を行うのですから、指導する先生に与えられる条件はほとんど同じと言って良いでしょう。まさに先生の力量が問われる場面です。

 仕事だって同じで、上司も部下もお互いに知らない事を学びながら切磋琢磨して互いにより優秀なチームになろうとすべきなのです。優秀な部下が欲しいなんて贅沢は言いっこなしです。
 自分を育ててくれた上司にはいくら感謝しても、し足りることはないでしょう。しかしその恩義は上司にではなく、今度は自分自身が部下を育てる事で返されるべきでしょう。

 親から受けた恩義を親ではなくて子に返すことで、我々人間の社会は連綿と受け継がれてきたのです。親不孝はまだ良いのです。でも親として子供を不幸にするような行動やあるいは子育ての放棄・無視は許されるべきではないと思うのはそういう理由だからです。

 誰も条件は同じです。自分だけが与えられすぎていたり、自分だけが不足しているわけではないと考えましょう。

 1日が24時間という事も誰にも等しく同じなのです。早く物事に気付く事、早く始める事、誰よりも長く続ける事が自分を成長させて行きます。

 最近「オーラの泉」というテレビ番組を好んで観るのですが、「魂の成長」ということが良く言われます。果たして前世が本当にあるのかどうかも私にはよく分かりませんが、それでも今自分が一定の時間を与えられて生きているということだけは真実です。

 仮に魂に再生があるのならば、この今を生きている時間を使って自分自身の魂を成長させておくべきでしょう。前世の蓄えをむさぼるのでもなく、次への蓄えを自分が少しだけでも増やせるように、です。

 そして魂に再生が無くっても、回りを朗らかにしながら一生懸命に生きる事は意味のある事だと思うんです。

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 夕方にはおやじの会の今年初めての役員会がありました。さて、今年も楽しみましょう。
コメント (2)
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