駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『The PROM』

2021年03月24日 | 観劇記/タイトルさ行
 赤坂ACTシアター、2021年3月20日13時。

 アメリカの高校で、卒業を控えた学生たちのために開かれるダンスパーティ「プロム」。インディアナ州の高校に通うエマ(葵わかな)は、同性の恋人アリッサ(三吉彩花)とプロムに参加しようとするが、多様性を受け入れられないPTAがプロムを中止にしてしまい、それが原因でいじめを受けていた。そこに、落ちぶれかけたブロードウェイ・スターたちが、自分たちの話題作りのためにエマを助けるべく街にやってきて…
 脚本/ボブ・マーティン、チャド・ペゲリン、音楽/マシュー・スケラー、作詞/チャド・ペゲリン、日本版脚本・訳詞・演出/岸谷五朗、演出補/寺脇康文、寺崎秀臣、音楽監督・歌唱指導/福井小百合、訳詞/長島祥。2018年ブロードウェイ初演、2020年にはNetflixにて映画化されたミュージカルの、初・海外プロダクション。全2幕。

 オリジナルにこだわってきた地球ゴージャスの、初の海外ミュージカル作品だそうですね。私の地球ゴージャスの観劇記はこちらこちら。いつもなんか大味で、なんだかなあな印象があったのですが、今回は話題の演目を扱うというので、一応観ておくか、と出かけてきました。でも海外版も映画版もまったく観られていません。2010年にミシシッピ州で実際に起きた出来事に着想を得た作品だそうですが、その事実も私は今回のプログラムを読んで初めて知りました。
 なので、どの程度まんまなのかはわかりませんが…もっと手を入れてほしかった、というのが正直なところです。役者と題材と楽曲は素晴らしい。でも翻訳と訳詞はあんまり良くなくて、脚本が足りてなくて、演出は雑でした。もったいない!!!
 あらすじはブログラムから書き写しましたが、まずこの「プロムとは何か」が舞台では一切説明されていません。え、それで今の日本で通じるか? 私ですらイメージでしか捉えていなくて本当はどういうものなのかよくわかっていないので、きちんと説明してほしかったんですけれど? だってまずはそこからじゃない? タイトルの意味がわかっていなくても劇場に来る客ってけっこういると思うんだけど…つきあわされただけ、とか役者のファンで、とかさ。そういう人たちにそもそもの題材をもっとわかってもらおうとする親切さが、足りてなくないですか?
 それに、ファーストクレジットはエマ役の葵わかなですが、作品自体はD.D.アレン(この日は草刈民代)たち「落ちぶれかけたブロードウェイ・スター」たちから始まる構造になっています。そしてプロムはすでに中止になっていて、エマがどんな行動を起こそうとしたのか、それにどんな反発があったのかが全然描かれていません。エマが同伴しようとしたパートナーが誰なのかも全然出てこないので、私はパートナーは別にいて、アリッサは学園の人気者でシスヘテロの女の子で、だけど友達として人間としてエマの主張に同調して協力を申し出ようとするキャラクターなのかと思ってしまいました。だって説明が全然ないんだもん。でもそれじゃわからなくないですか?
 アメリカで、ブロードウェイで上演するならある程度自明だったのかもしれないけれど、日本でやるなら、まず全体の立ち位置を確認してから始めた方がよかないですか? だっていうても観るのはシスジェンダーヘテロセクシャルの女性がほとんどじゃない? そりゃこういう演目を観に来る以上ゲイ・ポジティブかもしれない。でも作品の中では、あるいは一般的な世間では、どういう状況なのか、それに対してヒロインは、そしてそれを見守る自分たち観客は何を主張していこうとしているのか、ってことをまず抑えてから話を始めた方がよかないですか? でないと観てる方だって自分の立ち位置が不安になると思うんですよ。
 アレンたち側は、いい。新作ミュージカルの劇評がさんざんで、セレブ気取りのナルシスト呼ばわりされて、汚名挽回のために手頃な社会運動に参加して名声を上げようとする、というセコさはわかるし、ちゃんとそう説明されているし、物語のスタートとしていいと思いました。それがいつしか本気になって終わるのよね、というゴールが見えるのもいい。
 でもきりやんのアレンが観たかったよね…てかこのトリプルキャスト、大黒摩季は初舞台だそうだし、となると保坂知寿一択でしたよね。だって草刈民代は歌えないんだもん…こんなにデカい役だと知らず、誰でもいいかと日時の都合だけでこの回のチケットを取った私が馬鹿でした。草刈民代の舞台は何度か観ていますが、バレリーナとしてはともかく、そしてストプレならまだしも、ミュージカル女優としては技量的に明らかに苦しい。この役に起用したのには完全に無理がありました。『エレノア』が作品としてハズレだから、出演者たちに往年の力がもうないから、ではなく、単に下手だからそのまま劇評に出ているだけでしょ、って気がしちゃったもん。でもそれじゃ駄目じゃん…とっくに盛りが過ぎているのにいつまでも大物気取り、って芝居も足りていなかったと思います。残念すぎました…あと、この人は離婚歴もあるしシスへテロ女性っぽいですが、何故ゲイ・ポジティブなの? そこも説明が欲しかったなあ…そこだけが進んでる、って設定なのは変じゃん。
 バリー(岸谷五朗)はゲイなんだけれど、このコケた作品ではタイトルロールのヒロインより前に俺が俺がと出ようとするマッチョなところがあって…というようなことだったのかなと思ったんだけれど、違うのかな? このあたりも中途半端でしたね。そしてこの役はブロードウェイ版では中年太りでお腹が出た男優さんがやっていたそうで、そういうおかしみもあったんだろうけれど、岸谷さんだとそこはスマートすぎましたね。でもいいギャグいくつかやってたのになー、ことごとく滑っていて気の毒だったなー…
 トレント(寺脇康文)が舞台では端役も怪しいくらいの役者なのに、過去にテレビ番組に出ていたことがあって田舎町ではよっぽどメジャー、というのもおもしろい設定だったんだけれど、これも今ひとつ伝わっていない気がしました。あと、遠目にはバリーとほとんど同じ枠に入っちゃう、つまりわりとスマートな中年男になっちゃうので、差異が出ないんですね。これも意外と痛かったと思います。日本で日本人だけでやると、そもそも幅の狭い多様性しか表現できないんだな、と痛感しましたね…
 その点、小浦一優(芋洗坂係長。役者としては本名でいくことにしたのかな? この間観た舞台ではまだ芸人の芸名だった気が…)の体型は強みなんだけれど、シェルドンがやっていることってトレントにやらせちゃってもよかったと思いました。キャラクターというか役割が分散している気がしました。これだけの役者にこの役不足っぷり、もったいないよー…この人は本当にいいミュージカル俳優だと私は思っているのです。そしてそれはアンジー(霧矢大夢)にも言えて、20年間『シカゴ』のアンサンブルをやっているという設定はいいんだけれど、でもぶっちゃけキャラクターや作中での役割がアレンと差別化できていません。エマを励ますのはアレンでいいし、アレンであるべきだったのでは? だからきりやんがアレンをやった方が話が早かったと思いますし、芋洗坂係長はホーキンス校長(この日はTAKE)をやればよかったと思います。
 そしてちゃんと、という言い方はアレかもしれませんが、校長役は黒塗りすべきだったんじゃないかなあ。だって台詞でしか出てこなくて「えっ、そうだったの!? てか全然そう見えないし全然わかんないんですけど!?」ってなっちゃったけど、この校長先生が黒人さんという設定であることには意味があるんじゃないでしょうか。おそらく彼もまた差別されているんですよね。ブロードウェイのファンで、独身。こんな田舎町ではこうした芸術鑑賞が趣味だなんて理解されないし、いい歳して独身だなんて「オカマなんだろ」とか言われていたに決まっているのです。そういう描写が全然ない。この作品は単にセクシャルマイノリティ差別を告発しているだけではなくて、こうした人種差別とかマイナー趣味差別とか、もっといろいろな、あらゆることを描いているはずなんですよ…もったいないです。そして彼は普通に(あえて言いますが)シスヘテロ男性でたまたま理想が高すぎたかたまたま今まで女性と上手くいかなかったかで独身であるにすぎず、しかもきちんとした教育理念を持った進歩的で開明的で熱心な教師なのに、周りから陰に日向に馬鹿にされ嘲笑され差別され、でも憧れの大スター・アレンと出会って、アレンもまた…ってドラマがあるのが、素敵なんじゃないですか。なのにこの中途半端な描写よ…
 そして主人公のエマも、その描写や演出がいろいろと足りてなくて、歯がゆかったです。もっと彼女に最初にガツンと主張させるべきだったと思うんですよね。「卒業記念のダンスパーティー。みんな着飾って、パートナーと出席する、楽しい、晴れがましい、高校生活最後で最大のイベント。私もここの生徒で、みんなと一緒に卒業する。だから私も最愛のパートナーと参加したい。それが同性だからって、なんで駄目なの?」と。それに対して、学友たちやPTAがわあわあ反発するくだりもちゃんと欲しい。きっと、「そんなの不自然だわ、病気だわ、異常だわ。神の教えに背くことよ、パートナーは異性って決まってるの。モテないからってひがんじゃ駄目よ、誰かが誘ってくれるわよ、大丈夫よプークスクス」みたいなことがあったんでしょ? それをまず見せなきゃ。そこがスタートラインなんだから。主人公の主張と、世間の反応と。それをどう貫き、どうひっくり返すかって話なんだからさ、そこをあいまいにしたまま出発してもグズグズになるだけです。
 エマとアリッサがどんなカップルなのかも、もっと知りたいです。最初からできあがっているカップルが出てきてそれを応援していくような構造の作品もあるけれど、本当は出会って恋に落ちるところから一緒に観客に体験させてくれる形の方が感情移入はしやすいです。今回もせめてちょっと遡って、ふたりの出会いを描いてほしかった。台詞だけでいいから触れてほしかったです。さらにいえば、エマはいつどうしてレズビアンであることを家族に、また周りにカミングアウトしたのか?とか。アリッサはいつ自分がレズビアンだという自覚が芽生えて、なのに親にも周りにも言えず葛藤してきたのか、とかも知りたかった。そしてエマとアリッサがどう出会い、お互いのどこにどう惹かれて、とりあえず周りには内緒でつきあい続けてきたのか、とかをもっと説明してほしいです。そりゃ出歯亀的な興味もありますよ、でも観客がその恋心に共感できないとたとえ主人公カップルだって応援しづらいしじゃないですか。しかも観客の大半はおそらくシスヘテロ女性で、同性と愛し合うってことが感覚的にピンと来ていないはずなんです。そこを、「あ、別に性別なんて関係ないね、人がことは好きになるってそういうことだもんね、わかるよ、応援するよ!」って気持ちにさせるための描写が今、全然ない。基本的にずっと喧嘩してるか諍いを起こしてる、これじゃつらいですよ…
 個人的には、アリッサの造形はプログラムの写真にあるブロードウェイ版よりすごくいいと思ったのです。つまり三吉彩花は、すらりと背が高くてほっそりと美しく、赤毛のロングヘアがとても素敵で、ああ男女ともに人気がある学園のアイドルで母親はPTA会長で優等生で先生方の信望も篤い存在なんだろうな、とパッと想像できたからです。だからプロムに関しても「誰と行くの? ボブ、トム、ジム、それともハリー? いいなあ、選びたい放題じゃん」とか周りから言われるのを懸命に流していて、実はエマと行くことにしていて、そこでカミングアウトもするつもりなんだけれど、でもやっぱり不安で…みたいな葛藤がすぐにも想像できる、そしてその葛藤がとても似合いそうなキャラクターになっていたんですよ。そしてそういう心情は、たとえ同性愛者じゃない観客にもすごくわかりやすいものじゃないですか。だからそういうふうに、観客の理解や共感を綺麗に丁寧に落とし込んでいく脚本に、きちんと仕立ててほしかったのです。でも、今、残念ながらできてない…もったいないです。もっとわかりやすく伝わるのに、もっとわかりやすく盛り上がれるのに!
 お衣装もメリハリが利いていなくて、アレンたちはもっとド派手でギラギラで周りから浮いているものをいつも来ているべきだし、バリーが選んだエマのドレスも今レトロでシックでちょっといいじゃん、ってなっちゃってるけど、駄目でしょ? もっとダサダサに見えるデザインのものを着せなきゃ意味ないじゃん。1幕ラストのエマのドレスが素敵なのは正解。でもエマは「ガーリーすぎない?」と違和感を持っている、大事。これが、2幕ラストでタキシードで出てくることにつながる。このタキシードが、宝塚歌劇の男役みたいにスマートに似合いすぎちゃっていないところがまたミソで、大事なの。ちんちくりんに見えるところがいいの、それでもエマはそれでやっと自分らしくいられて、輝いているの。そこが大事なポイントなのです。エマは別に男装したいトランスジェンダーなのではなくて、あくまで性自認は女性で性的指向が同性のレズビアンで、でもガーリーな服よりボーイッシュな服の方が楽だし自分らしいと思っているだけの女の子、なんですよね。それがちゃんと表現できている。そしてエマより背が高くてスレンダーでスタイルのいいアリッサが、とても素敵なパーティードレスを着ている。そこに男男カップルや女女カップルや男女カップルが集まってくる。でもみんな足もとはスニーカーで、バリバリ踊る…そこがいいのです。最高に素敵なラストシーンでした。
 だからこそ、そこまでに至る流れが、なんかふわふわしていてキメ切れていなかったようだったのが残念な舞台でした。アンサンブルのダンスも身体能力も素晴らしく、葵わかなもめっちゃ歌えて、三好彩花とのデュエットもめちゃくちゃ素敵で、ああ女声二声の歌っていいな!とマジで感動したんですよ…この役者を得てこの脚本、もったいない…としょんぼり劇場をあとにしたのでした。
 ちなみに市松配席で、それは居心地がよかったです。しかしこの劇場の2階席は通路の作りがなってなくてダメダメですね…これまた残念でした。




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