駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宮部みゆき『荒神』(朝日新聞出版)

2016年05月01日 | 乱読記/書名か行
 時は元禄、東北の山間の仁谷村が一夜にして壊滅状態になる。二藩の因縁、奇異な風土病を巡る騒動などね不穏さをはらむこの土地に「怪物」は現われた。仁谷擁する香山藩では病みついた小姓・直弥や少年・蓑吉らが、香山と反目する永津野藩では専横な藩主側近の弾正やその妹の心優しき朱音らが山での凶事に巻き込まれていく。恐るべき怪物の正体とは…

 新聞小説として連載されていたときもちょこちょこ目は通していたのですが、追いきれず…まとめて読みたくて、単行本化を待っていました。
 中盤くらいまでは、パニックホラーだな、と思いながらガシガシ読み進めていました。作家たるもの必ず一度は怪力乱神ものを書きたくなるものだ、というのは確かさる漫画家さんの言葉だったかと思うのですが、そういうものかな、と。で、やはりこれは、時代私小説という形になっているけれど、現代のテロとか戦争とか原発とか、そういった暴力的なものへの暗喩みたいなものを込めて書かれたものなのかな…などと考えていました。
 最後まで読んで、「怪物」の正体がわかって、まあありがちといえばそうかもしれないのだけれど、結局今も昔も人間って変わらないんだな、愛しさも愚かさも変わらないんだな、と思ったりしました。そういう変わらぬ営みを、人間の物語を、書きつけるのが小説家というものなのでしょう。
 本当に、老若男女、多彩で多様なキャラクターを描き出しますよね。そこが本当にいい。似たような歳や育ちや考え方のキャラクターしか出てこない、薄っぺらくて狭っ苦しい世界の物語とは違います。もちろんそれはそれで読みでがあるものもたくさんあるのだけれど、やはりたまには大きく深いお話を読んで、いろいろ考えたりもしてみたいものなので…
 そしてやっぱり、呪いの力への信奉とか、その反対であるかのような生薬生成の技術への傾倒とかって結局現代に至るまであって、今はそれが原子力への信奉、原発エネルギーをコントロールできているという技術への過信とかになっていて、怪物は放射能の暗喩みたいになっていたりするのではないかしらん…とか、考えないではいられないのでした。
 愛と勇気と知恵と、なにがしかの犠牲でそれは食い止められることもある、と今回の物語は描いているけれど、食い止められないこともあるわけで…こうした物語を読んでそういったことを考えた者として、やはり何かはしなくてはいけないな、と思ったりも、しました。てかこんだけ揺れてて止めないなんておかしいよ、やっぱり。一度止めたら再開させるのにお金がかかる、とかはわかるけれど、お金では取り返せないものがあるんだからさ。少しずつでも学んで、賢くなっていこうよ…

 ところで、やじは萩尾望都『スター・レッド』でいうところの黒羽みたいなものだったのかしらん。女性というよりは両性具有というか、むしろ睾丸も子宮も持たないような人だったのではないかしらん。でないとさすがにこんなには働けないのではないかしらん。
 でもなんか、最後に直弥とやじがしみじみしているの、すごくいいなと思いました。男女が残ってよかった、というか。別にここにラブが生まれればいいとかそういうことではまったくなくて、でもやっぱり異性ふたりって最小の単位で、ここからいくらでも始められる、って気がしたので。やじとおせんとか、直弥と宗栄とかの場面では、そういう空気は作れなかったんじゃないかな、と思ったのでした。


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