駒子の備忘録

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くらもちふさこ『天然コケッコー』

2009年12月01日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名か行
 集英社ヤングユーコミックスコーラスシリーズ全13巻
 そよの村の学校は小・中学生あわせて6人。そこへ東京から転校生の大沢くんがやってくる。そよにとっては初めての同級生で、ぜひとも村を気に入ってほしいのだが…著者の最長編になる、リリカルでハストラルな思春期讃歌。
 遠目に眺めていたときは、絵が荒れてしまったのかと思ったものでしたが、どうしてどうしてやっぱり上手いです。でもあの枠線の処理は個人的には好きではありませんが。
 お話もよくて、青春というよりまさに思春期、第二次成長期のとまどいや痛みや甘やかさを実に実に上手く描いています。
 それから方言の美しさ。私は街っ子なので、方言には本当にあこがれます。
 そしてそして巻末の描き下ろし。作中のキャラクターである漫画家志望のあっちゃんが描いた作品ということになっている『そよ風のあいつ』の絶品ぶり。自分の体験をすぐ都合よく美化して作品にしてしまうところなんざ、かつて漫画家を目指したことがある元少女ならば誰でもこの感じがわかるでしょう。下手さ加減も上手すぎます。本人が描いたのかなあ。
 集英社文庫版『海の天辺』の秀逸な解説にあったように、この作品でもこの作者の不親切ぶりは発揮されています。そよの父親と大沢くんのお母さんとの焼けぼっくいが本当のところどうだったのか、浩太朗は本当にあっちゃんに惚れちゃったのか、遠山さんの真意はなんだったのか、宇佐美くんのそよへの思いとは、といったことがみんな宙ぶらりんなままお話が完結してしまうからです。本当は、全部決着をつけたほうが読者としては安心できます。その方が落ち着くからです。でもこの作者は往々にしてそうしません。実際には何もかも明らかになるなんてことの方が少ないし、これはそんな中のそよと大沢くんの部分だけを切り取ったお話だからこれでいいのだ、というスタンスなのでしょう。それもありだと思います。でも、ラストシーンは、私はちょっと絵で見たかったなあ。つまり、喜ぶそよの顔なり、てれる大沢くんの顔なり、抱きつきあうふたりなり、という絵を、ね。ここを描かないというのも演出のひとつの手法だとは思うんですけどね。
 ある掲示板で、この作者のことを、『いつもポケットにショパン』の台詞になぞらえて、「少女漫画に愛されている」と評しているものがありました。本当にそうだと思います。
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