駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

遊◎機械/全自動シアター『クラブ・オブ・アリス』

2009年12月01日 | 観劇記/タイトルか行
 青山円形劇場、2002年10月8日ソワレ。
 ひとり暮らしの中年女性「アタシ」(浅野温子)が誕生日に、ソファの下の穴ぼこにおっこちる。「アタシ」にほっておかれたかつての愛読書『不思議の国のアリス』の中のアリス(高泉淳子)が、ワンダーランドへの道行きをしていく。アリスはアタシの幻想の中に住んでいる少女でもあり、アタシの少女時代の姿でもある…作/高泉淳子、演出/白井晃、舞台装置・衣装デザイン/小竹信節。95年初演の『独りの国のアリス』の大幅改訂版。遊◎機械/全自動シアター最終公演。
 非常に女くさい話だなあ、とずっと思いながら観ていました。2時間の一幕ものにしては長く感じられました。退屈した訳ではありません。ただ、濃かったし、私はこういうテーマのものになるべくシンクロしないようにかまえているので、それがしんどかったんだと思います。
 主人公は、ひとり暮らしの、妙齢の、女性。家族はいない。食うに困らないだけの仕事と、住まえるだけの住居はあるらしい。だが、あるのはそれだけ。誕生日に、ひとりでワインを開けて乾杯する暮らし。お祝いしてくれるのは、前日に自分で留守電に吹き込んだ、昨日の自分の声だけ。友達もいない。恋人もいない。子供もいない。そして、それを楽しんでいない。
 幸いにも…と言っていいのかわかりませんが、私の現況はこうではないのですが、それに近い一時期はあったし(家族がないってことはないが、離れて暮らす状況はありましたし)、そのとき自分がこうまでつらかったかどうかは実はあんまり覚えていないのですが(そうつらくもなかった気もするが…強がっているだけだろうか…)、つらいだろう気持ちはわかります。でも、わかりたくなくもある。私だって今はこうじゃなくてもこの先どうなるかわからないしね(まあでも愛も友情ももともと保証などないものなのだけれど)。だから下手に「そうそう、わかるわ、私もそうなのよ」とかシンクロしたくないんですね。だって、わかっても、しょうがないんだもん。
 だから、結論だけが知りたかったんですね。だから芝居を長く感じたのでしょう。
 でも、オチは、納得のいくものでした。
「絶対とかそういうのって、この世にはないのよ!」
 この先もこのままかもしれない、そうでないかもしれない。それはわからないし、そのときどうしようなんて身構えなくていい、そのとき考えればいい。今までこうしてきたから今度もそうしようとか、今度はちがうふうにしようとか、今から考えることない。今まで十分生きてこられたんだから。それはすごいことなんだから。すべてはただ自分のせいな訳ではないのだから。
 …というようなことかな?
 次のチャンスは逃しちゃ駄目、とか言われるのも腹立つし、このまま変わらずにいけばいいのよ、とか言われるのもホントかよと思っちゃうし。この結論は妥当だと思います。でもそれも、アタシがアリスとともにワンダーランドをめぐって、自分の来し方を振り返ったからこそ導かれた結論なのです。そこが素敵。
 少女から老婆?まであいかわらず変幻自在の高泉淳子、声のハスキーさが似ていてなかなかナイスキャストだった浅野温子(しっかし細かったな!)、難役をもこなし歌い踊る白井晃以下6人の俳優陣、みなすばらしかったです。三層になったセットも素敵。シュールな衣装も素敵でした。
 ただ、家族をモチーフとしている部分では、『食卓の木の下で』などとやっていることがまったく同じところもあって、ちょっと興ざめな思いをしました。偽善的な親戚夫婦とか、本当のことをずばりと言っちゃう子供とか、意地悪な従姉妹とか、白井晃の女装とか(笑)。まあこのテーマを掘り下げてきた劇団で、その最終公演、集大成だからこそ、の部分もあるのでしょうが。
 ところで、
「ヤダヤダ、私はちがうわよ」
 とか言いつつ私が一番リアルだなあと感じてしまった点をひとつ。それは、好きになった人がみんな遠くに行ってしまうアタシが、向こうから好かれることもあった、という事例が、二件だった、ということ…
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