駒子の備忘録

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『Shakespeare’s R&J』

2018年01月28日 | 観劇記/タイトルさ行
 シアタートラム、2017年1月26日19時。

 鐘の音に24時間を支配されている、厳格なカトリックの全寮制男子校でクラス4人の学生たちは、抑圧された環境の下、夜中にこっそりベッドを抜け出し、読むことを禁じられているシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のリーディングを始める。見つかってしまう不安に怯えながら夢中になっていく学生たちは、ロミオ、ジュリエット、修道士ロレンス、乳母たちさまざまな登場人物を演じていくうちに…
 原作/W・シェイクスピア、脚色/ジョー・カラルコ、翻訳/松岡和子、演出/田中麻衣子。日本初演は2005年、全1幕。

 パルコ劇場での初演も観ていて、そのときの感想はこちら
 当時は、おもしろい企画だなと思ったものの戯曲や舞台の真価を私が完全には捕らえきれなかったような、そんな印象が残っていました。その後私もいろいろな舞台を観てきて、ちょっとは進歩したんじゃない?と思えたのが今回の観劇でした。
 まず、前回は役者の個性というかぶっちゃけ顔形がうまく見分けられなかったせいで、誰が誰だか今ひとつ捕らえきれず、学生たちが素の自分として『ロミジュリ』の台詞を言っているのかそれとも『ロミジュリ』のお話の世界に入り込んでしまってそのキャラクターとして台詞を言っているのか、が区別できずもったいない気がしたものですが、今回はそんなことはなかったのです。
 まず学生1の矢崎広はアカレンジャー・タイプというか、いかにも主人公というかヒーローというかクラスの人気者というか、要するに「主にロミオを担当」する生徒にちゃんとハナから見えたのです。丸顔で目鼻立ちもはっきりわかりやすくて、上背もある、というような。
 そして学生2の柳下大はその双子のような背格好に見えて、でもよく見るとこちらの方が顔の造作が中央に集まっていてより精細に、なんなら女性的に見える。だからジュリエット役者に見えるのです。
 続く学生3の小川ゲンが、眼鏡をかけていたこともあるのですが、ふたりより小柄で細面で、だからちょっと神経質そうな優等生っぽそうなキャラクターに見えました。学生4の佐野岳は彼と同じくらいの背でやはり小柄で細面で、こちらはなんとなくマッチョな顔立ちに見えました。そしてその立ち居振る舞いから、道化役というかグループの中で賑やかし役を進んでやりそうな生徒に自然と見えたのです。学生3がキャピュレット夫人やマーキューシオを、学生4が乳母やティボルトを演じる役回りになるのはとても自然なことに思えました。
 この作品にはオリジナルの台詞がなくて、すべてがシェイクスピアの、『ロミジュリ』でなければ『夏の夜の夢』などの台詞から取られています。学生たちはあくまで最初は単なる朗読のようにして読み始め、やがて興が乗って感情的になっていき、お芝居ごっこを始めるようにして役になり出し台詞を語り始めます。でもロミオ役の学生1とジュリエット役の学生2が、お芝居としてなんだけれどキスしたときに、嫉妬のようなヒステリーのようなものが仲間たちの中に渦巻いて、読んでいた『ロミジュリ』の本のページが数ページ引き裂かれてしまうくだりがあります。
 台詞がわからなくなったロミオ役の学生1はそこで「君を夏の一日にたとえようか?」というシェイクスピアのソネット集からの一説を暗唱することで芝居をつなぐのですが、今の私がそれがわかってこの舞台にニヤリとできるのは、宝塚歌劇宙組の『Shakespeare』を観ているからです。あの作品の中でウィルがアンに言ってみせるくだりがあったからです。こういうことがあるから、観劇は楽しいし、知識や教養は多い方がいろいろな物事を楽しめるのですよね。
 学生たちは同性愛者ではないけれど、思春期にいる男子たちであり、そのエネルギーがあちこちにぶつかり爆発して、それがこのお芝居ごっこを盛り上げます。
 ラストは、学生1の夢オチ…ということではないとは思いますが、私は初演観劇時の印象よりも、寂しく感じました。3人の学生たちが学生1をおいて現実に戻っていってしまったことを暗示しているようで…確か『ナルニア国物語』では、四兄弟のうちひとりだけが早く大人になってしまって、洋服ダンスの奥に別世界なんかない、私は行かない、と言い出すのではなかったでしたっけ。そんなことも思い起こして、ちょっとほろ苦く感じたのでした。
 でも本当におもしろい作品だと思います。そしてこうやっていろいろな翻案作品が生まれるシェイクスピア戯曲というものは本当にものすごいものなんだろうなあ、と改めて思いました。でもやっぱり大元の戯曲を今まんま上演されても観るのは絶対につらすぎる…とも改めて思いましたけれどね。それは学生たちが読み上げる台詞があまりに詩的でかつ長々しく、とても現実の人間が現実の生活の中で話す言葉とは思われなかったからです。もちろんそれはあたりまえで、シェイクスピアはこれをリアルなお芝居ではなく、あくまで詩の朗読に近いようなものとして書いたのだろうなとはわかっているのですけれどね。
 簡素な美術や音楽も美しく、このごくシンプルな台詞劇をしっかり支えていたと思いました。いい舞台でした。役者さんたちはみな若く、映像なんかでも露出がある人たちなので、若いファンが劇場に来るきっかけになるといいな、とも思いました。


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