駒子の備忘録

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赤坂大歌舞伎『廓噺山名屋浦里』『越後獅子』『宵赤坂俄廓景色』

2021年11月20日 | 観劇記/タイトルあ行
 赤坂ACTシアター、2021年11月20日12時。

 料亭・駿河屋では江戸留守居役の侍・秋山源右衛門(片岡亀蔵)たちが花魁の誰袖(中村鶴松)をはじめ芸者や幇間を従えて月見の宴の最中。そこへ遅れてやってきたのは、秋山たちと同じ大名家の江戸留守居役の酒井宗十郎(中村勘九郎)である。実直な酒井は、寄り合いと称して毎度茶屋や料理屋で遊興に耽る秋山たちの様子を内心では苦々しく思っている。一方、そんな酒井を風流を知らぬ野暮天、田舎者と蔑む秋山たちは、次の寄り合いではお気に入りの花魁たちを江戸の妻として披露し合うことが決まっていると言い、酒井には贔屓にする花魁もいないだろうと嘲り、主君までも馬鹿にして挑発し…
 原作/くまざわあかね、脚本/小佐田定雄、演出/今井豊茂。実話をもとに2015年に笑福亭鶴瓶が公演した新作落語を歌舞伎化、16年初演。その5年ぶりの再演。18世中村勘三郎を中心として2008年に幕開けした「赤坂大歌舞伎」の第6弾。

 私はいわゆる歌舞伎というものをおそらくこれまでに十回ほどしか観たことがなく、演目のことも役者も興行ルールもよくわかっていませんが、最近では『ナウシカ』歌舞伎をおもしろく観たり、またテレビドラマなどで見るからということもありますがこの中村兄弟くらいは知っているので(親子のドキュメンタリー特番なんかもテレビで見たことがあります)、お友達に誘っていただいてミーハーに出かけて参りました。来年の夏にはこの劇場はハリポタのロングランに入ってしまうので、赤坂歌舞伎もこれで一区切りなんだそうです。
 1時間のお芝居と、2本の舞踊というのかな、の2幕3本立てで、まあそういう意味では宝塚歌劇と同じですね(笑)。お友達のおかげでほぼどセンターのとても観やすいお席で観られて、とても楽しかったです。というか、爆泣きしました。
 吉原ものというか遊郭もの、遊女もの、花魁ものというか…なんと呼ぼうと、そして惚れた腫れたのロマンだと言おうと、やはりぶっちゃけ売買春の話であり、現代の視点から見るともはや苦しい話が多い…というのが私の勝手な認識でしたが、この作品は落語が原作の新作だからか、実に上手くいろいろと逃げていて、感心しました。そしてカワイイ、せつない、いじらしい、萌える、泣ける!と感情揺さぶられまくりだったのです。
 朴訥で馬鹿正直で不器用で唐変木の朴念仁、という主人公のキャラクターがまずいい。そしてそれに対して、熱心さにほろりとしつつも、でもビジネスはビジネスで女は売り物、金出して買えとすごめる廓の主の平兵衛(中村扇雀)がまたいい。武士に対して怯んだりしない町人、商売人の意地が見えました。そして自民党のおっさんたちもこんな感じでしょーもないいじめを未だやってるんだろうなー、と思わせる秋山氏(「うじ」ってのがまたよかった)がまたよかった。そこからの、出てくればいつもあたりを払う華と美とオーラで自然と拍手が湧く七之助さまの浦里たんが本当に素晴らしかったです。
 惚れた、というのは本当の意味で、人柄丸ごとを好きになったのであって、酒井があくまで国もとの妻を尊重し操を守り(この時代のことはともかく、本来婚姻は対等で貞操の義務は双方にあるに決まっているのです)、だからそういう意味では浦里のことは受け入れられない、と言うなら何も寝なくてもいい、男女の仲ではなく兄妹でいい…というのは、そりゃ欺瞞だなとも嘘だなともファンタジーだなと、私だって思いますよ。女ナメるな、って別の意味で言いたくなりますよね。女にも性欲も独占欲もあるんです。真心だけでいいの、なんてそりゃ嘘ですよ、お伽話です。それとも過酷なセックスワークに疲れた女はセックスありの愛と真心ある恋人なんかより、セックスなしの対等に尊重し合い慈しみ合える友愛の相手を求めるものなのでしょうか、それこそが至高で究極の理想の関係性なのでしょうか。その問いを我がこととして感じ考えられる人は観客にはおそらくほぼいないでしょう、だからこそのファンタジーな結論なのかもしれません。でも、そのファンタジーを成立させる確かな何かがあれば、人はそこに夢とロマンを見られるんですよね。そういうハッピーエンドもあるのかもしれない、と思える。というか、思いたいから気持ち良く騙され、目をつぶり、よかったねと微笑んで拍手できるのです。
 ヒロインは依然女郎のままで苦界にいることに変わりはなく、何も解決されていないし救われてもいません。でも、心が通じる人が持てたという幸せは確かにここに芽生えたのであり、その尊さは誰にも否定できない。万感のラスト、花道での美しい引っ込みの艶やかさよ…! 「後輩の女方がみんな『演りたい、演りたい』って言いに来」たというのもむべなるかな、のいいお役です。「歌舞伎には女形が中心になる演目はそんなにない」し「だいたいが不幸になったり殺されたり悲劇に終わる」そうですが、そうではない演目として作られたところが、やはり現代歌舞伎だったのかもしれません。
 奉公人の友蔵(中村虎之助)といい、彼と主人の上方出身設定といい、芝居として本当に絶妙に作りが上手い。卑怯なくらいに上手い、よくできています。セットチェンジなども素晴らしいものでした。
 浦里が身の上を語るくだりは最初の落語にはなくて、歌舞伎版で足されたからそれを受けて今は落語の方にも取り入れられて語られているのだとか。絶対にあった方がいいでしょう、これまた卑怯なくらいのベタなんだけど万人が泣かされますよね。美化はしちゃいけないんです、でも事実としてあった過去だから、なかったこととしたり変に上書きしたりもしちゃいけない。絶妙な塩梅だったと思います。またこの場面での普段着?の浦里の美しいこと、単に退室するだけでも身のこなしの美しいことよ…!
 兄弟ともにニンの合った、実に良きお芝居でした。

 『越後獅子』の角兵衛獅子は中村勘太郎。正直、歌詞はよくわからないし何を踊っているのかも理解できないままに観ていましたが、のびのびキビキビ踊るさまは清々しく、晒の技といい、筋力その他いろいろ技術が要るすごいことを軽やかにやっているのだろう、というのは素人目にもわかって、楽しかったです。御年10歳だとか、頼もしいなあ。
 『宵赤坂~』はフィナーレめいた趣向ですよね、粋な鳶頭と芸者のダブル・デュエダンもありました(笑)。しかしさっき廓の主だったおっさんが今度は粋なお姐さんって、どういうことなの!? そしてオチがハリポタ宙吊りってどんだけサービス精神あんのよ、笑ったわ!
 お着物の観客も多く、楽しかったですが、同様にお茶の間かってくらい上演中もべらべらしゃべる老夫婦もいて、そこは痛し痒しというかなんというかだな、とは思いました。ハリポタは私は原作派で映画は一本目しか観ていないくらいなので、来夏以降はしばらくこのハコには来ないかなあ。歌舞伎はいろいろとまたくわしいお友達に連れて行ってもらいたいと思いました。






 
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