駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『岸 リトラル』

2018年03月03日 | 観劇記/タイトルか行
 シアタートラム、2018年2月27日18時半。
 
 青年ウィルフリード(亀田佳明)はある夜、物心つく前に離れ離れになった父イスマイル(岡本健一)の死を突然知らされる電話を取った。彼は死体安置所で変わり果てた姿の父親と対面する。自分を産んですぐにこの世を去った母ジャンヌ(中島朋子)の墓に父の亡骸を埋葬しようと決意するが、母の親族たちから猛反対される。父と母の過去には何があったのか? 突如起き上がった父の死体とともに、内戦の傷跡が未だ癒えぬ祖国に向けて、奇妙な親子の旅が始まる…
 作/ワジディ・ムワワド、翻訳/藤井慎太郎、演出/上村聡史。1997年初演、全2幕。

 『岸』『炎』『森』『天』という「約束の土地」四部作があるそうで、第一作『炎 アンサンディ』は2014年の日本初演を観劇しました。そのときの感想はこちら
 ターコさん目当てで行ったし(あと岡本健一。なんか好きなんですよねー)、ヒロインの物語だったので、好みで言えば『炎』の方が好きです。でもこの『岸』もとてもおもしろく観ました。休憩込み3時間半の長丁場ですが、まったく飽きませんでしたし集中力が途切れませんでした。しかし役者さんはホント大変だろうなあ!
 確か朝日新聞の劇評にも出ていましたが、あらすじとしてまとめてしまうと、祖国への旅でいろいろな人と出会い、それぞれの家族の死や喪失とそれぞれが向き合いアイデンティティを確立させていき、父親を海に埋葬してそれを岸辺で見守って終わるお話、ということになるのかもしれません。でもそういうふうにストーリーをまとめたり、「~ということが描かれているのである」と語ってしまうことが陳腐に思えるくらい、豊かなイマジネーションが舞台ならでは、演劇ならではの展開で繰り広げられる夢幻の世界に揺蕩う時空間の体験でした。劇場ってすごい。
 でも私が想起していたのは、萩尾望都の漫画『トーマの心臓』のエピグラフみたいな一節でした。今でもすべて暗誦できますが、ことに「人は二度死ぬという まず自己の死 そしてのち友人に忘れられることの死」という部分です。これはそれを描いた物語なのだろうな、と私は感じました。電話帳とか、出会った人々の名前を忘れないようにしている女のやっていることとか、これですよね。
 そして最後まで観て思ったのは、やっぱり主人公はウィルフリードではなくイスマイルなんだな、ということです。これはウィルフリードがイスマイルを無事に埋葬できてよかったよかった、という話ではない。だってイスマイルは岸辺で言うのです、海になんか入りたくないと。もう死んでいるのに。子供に覚えてもらえているから死んだことにはならない、なんて本人にとっては確かに詭弁です。彼は天寿をまっとうしたわけではなく、不慮の死を遂げました。無念だったはずなのです。埋葬されて悼まれてそれで終わりなんて冗談じゃないと、そりゃ暴れたくもなりますよね。
 でもまあ、鎮められ、そして沈められちゃうんですけれど。それもまた仕方ないことなのです、だって死んでしまったのだから。
 でもそれはなかったことと同じことではない、ともまた思いました。そして覚えていてくれる、思い出してくれる子供たちがいなくても、たとえば私のようにそういう次の世代を持つことなく死んでいくことになるであろう者たちもまた、誰からも忘れられたとしてもそれでも、だからっていなかったことにはならない、という想いも受け取れた気が私はしました。
 ユーモラスの部分も多々あったから、というのもありますが、全体にとても明るいトーンの物語でしたよね。若書きだけあって粗暴だったり凄絶だったりする部分も多かったけれど、それでも明るい。それもまた若さだなと思いました。
 レバノンのことだという内戦の傷癒えぬ祖国、というのもかなり漠然と、ファンタジックに描かれていたようでもありますし、そういう意味でも普遍的な浸透力を持てる強い作品だな、と思いました。
 8人が何役もこなす大変な舞台でしたが、しっかり受け止められてよかったです。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« スティーグ・ラーソン『ミレ... | トップ | 『天河』原作&「歌劇」座談... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

観劇記/タイトルか行」カテゴリの最新記事