新橋演舞場、2003年1月10日マチネ。
雨の降る両国橋の下を、少年が泣きながら駆けていた。経師屋「芳古堂」の見習い職人さぶ(萩原聖人)である。店できつくしかられて飛び出してきたのだ。そのあとを同い歳の見習い職人栄二(市川染五郎)が追いかけてきた。栄二は器用で男前、さぶは不器用で仕事の覚えも遅いが、お互いに支え合う仲だった…おのぶ/雛形あきこ、おすえ/寺島しのぶ、「綿文」主人徳兵衛/江守徹、その内儀美代/波乃久里子、「芳古堂」主人芳兵衛/大和田伸也。原作/山本周五郎、脚本・演出/ジェームス三木。
配役からして若い女性客が主な観客かと思いきや、さすがに場所柄か、渋い客席でした。老夫婦など男性率も高かったです。
その客層に合わせたのか、ゆっくりと静かな、世話物ふうの展開でした。修学旅行なのか社会見学なのか、高校生が団体で入っていましたが、彼らにはスローすぎてかったるかったかもしれませんね。でも、最後にはやはり引き込まれていたようで、よかったです。
許すんだ、迎えに行くんだ、間に合ったんだと筋がわかってなお、誰が何をどう言うか、どう動くか、固唾を飲んで見守る空気が劇場内に張り詰めましたからね。
市川、萩原、雛形といった彼らがテレビでも見てきたような俳優さんが、その場で、生身でお芝居して、時にとちったり逆に明らかなアドリブ入れたりしながら物語を進めていき、舞台劇のアップがあるわけでもない制限となんでも描き出してみる無限を感じてくれるといいな、ともはや気分は若者を見守るおばちゃんです。
ともあれ、私も原作を読んだときには事件の真犯人に
「えええ?」
とやや納得しがたいものを感じたのですが、今回はずいぶんと素直に受け止められて、よかったねええと幕が下りるのを見守れました。
寄せ場のシーンをカットしたことで原作に比べるとややライトな青春劇になっていることは確かで、初日すぐの新聞評などはあまり誉めていず、不安だったのですが、私はそれでもおもしろく感じました。さぶものぶ公(よかった!)もすえも演技が確かだったし。栄二は、舞台用の発声をしていて、それがかえってすごく実直でまっとうな青年に見えてしまっていたところが、栄二としてはどうかしらん、とだけちょっと思いましたが。むしろテレビでやっているようなナチュラルなしゃべり方の方が栄二っぽかったのかもしれません。
つまりこのお話は、栄二がごく普通の好青年であっては成り立たないのではないかしらん、と私は思うからです。栄二が見舞われた災難というものは現実の社会ではどこにでも転がっていて誰の身にも降りかかるものかもしれませんが、お話としては、栄二が才走っていてやや賢しらな青年であったからこそ、なのだと思うのです。栄二には自分が人よりちょっとは優れているという自負が確かにあったはずで、だからこそなんでこの俺がこんな目に、という思いがより強く、まあそういうこともあるさ、ここからまたがんばろう、などとはなかなか思えず、騒ぎが大きくなったという構造になっているのだと思うのです。のぶが言うとおり
「だから頭のいい人はだめなんだ!」
ってことですね。
けれど、そんな栄二が自分を振り返り再び歩き出すのは寄せ場での経験があったからこそで、そのくだりをカットしている以上、やはりこのお芝居での栄二は多少好青年よりでもやはりよかったということなのでしょうか…うううむ。
まあでもおもしろかったし、役者さんはみんな着物での所作が美しくて見ていて気持ちがよかったし、花道ってやっぱりいいし、よかったからいいか。
栄二が酔って綿文に乗り込むのは原作でもお正月でしたでしょうか。このお芝居では正月公演を意識してなのかそういう設定にしていて、獅子舞の芸を見せたりというサービスがよかったです。あと、綿文の何も考えていないふたりのお嬢さん(尾上紫、鴫原桂)がまたいかにもそれっぽくてよかったなああ。
そうだ、ひとつ。あの音楽はどうなんでしょう。ファドみたいなやつ。わりとじっくりしっとりしたお芝居だったので、
「さあここからドラマチックに盛り上げますよ!」
というタイプの音楽はやや耳障りに感じました。かといってまったく何もないのも興冷めなのかもしれませんし、和楽ではいかにもすぎて嫌われたのでしょうか…うううむ。
雨の降る両国橋の下を、少年が泣きながら駆けていた。経師屋「芳古堂」の見習い職人さぶ(萩原聖人)である。店できつくしかられて飛び出してきたのだ。そのあとを同い歳の見習い職人栄二(市川染五郎)が追いかけてきた。栄二は器用で男前、さぶは不器用で仕事の覚えも遅いが、お互いに支え合う仲だった…おのぶ/雛形あきこ、おすえ/寺島しのぶ、「綿文」主人徳兵衛/江守徹、その内儀美代/波乃久里子、「芳古堂」主人芳兵衛/大和田伸也。原作/山本周五郎、脚本・演出/ジェームス三木。
配役からして若い女性客が主な観客かと思いきや、さすがに場所柄か、渋い客席でした。老夫婦など男性率も高かったです。
その客層に合わせたのか、ゆっくりと静かな、世話物ふうの展開でした。修学旅行なのか社会見学なのか、高校生が団体で入っていましたが、彼らにはスローすぎてかったるかったかもしれませんね。でも、最後にはやはり引き込まれていたようで、よかったです。
許すんだ、迎えに行くんだ、間に合ったんだと筋がわかってなお、誰が何をどう言うか、どう動くか、固唾を飲んで見守る空気が劇場内に張り詰めましたからね。
市川、萩原、雛形といった彼らがテレビでも見てきたような俳優さんが、その場で、生身でお芝居して、時にとちったり逆に明らかなアドリブ入れたりしながら物語を進めていき、舞台劇のアップがあるわけでもない制限となんでも描き出してみる無限を感じてくれるといいな、ともはや気分は若者を見守るおばちゃんです。
ともあれ、私も原作を読んだときには事件の真犯人に
「えええ?」
とやや納得しがたいものを感じたのですが、今回はずいぶんと素直に受け止められて、よかったねええと幕が下りるのを見守れました。
寄せ場のシーンをカットしたことで原作に比べるとややライトな青春劇になっていることは確かで、初日すぐの新聞評などはあまり誉めていず、不安だったのですが、私はそれでもおもしろく感じました。さぶものぶ公(よかった!)もすえも演技が確かだったし。栄二は、舞台用の発声をしていて、それがかえってすごく実直でまっとうな青年に見えてしまっていたところが、栄二としてはどうかしらん、とだけちょっと思いましたが。むしろテレビでやっているようなナチュラルなしゃべり方の方が栄二っぽかったのかもしれません。
つまりこのお話は、栄二がごく普通の好青年であっては成り立たないのではないかしらん、と私は思うからです。栄二が見舞われた災難というものは現実の社会ではどこにでも転がっていて誰の身にも降りかかるものかもしれませんが、お話としては、栄二が才走っていてやや賢しらな青年であったからこそ、なのだと思うのです。栄二には自分が人よりちょっとは優れているという自負が確かにあったはずで、だからこそなんでこの俺がこんな目に、という思いがより強く、まあそういうこともあるさ、ここからまたがんばろう、などとはなかなか思えず、騒ぎが大きくなったという構造になっているのだと思うのです。のぶが言うとおり
「だから頭のいい人はだめなんだ!」
ってことですね。
けれど、そんな栄二が自分を振り返り再び歩き出すのは寄せ場での経験があったからこそで、そのくだりをカットしている以上、やはりこのお芝居での栄二は多少好青年よりでもやはりよかったということなのでしょうか…うううむ。
まあでもおもしろかったし、役者さんはみんな着物での所作が美しくて見ていて気持ちがよかったし、花道ってやっぱりいいし、よかったからいいか。
栄二が酔って綿文に乗り込むのは原作でもお正月でしたでしょうか。このお芝居では正月公演を意識してなのかそういう設定にしていて、獅子舞の芸を見せたりというサービスがよかったです。あと、綿文の何も考えていないふたりのお嬢さん(尾上紫、鴫原桂)がまたいかにもそれっぽくてよかったなああ。
そうだ、ひとつ。あの音楽はどうなんでしょう。ファドみたいなやつ。わりとじっくりしっとりしたお芝居だったので、
「さあここからドラマチックに盛り上げますよ!」
というタイプの音楽はやや耳障りに感じました。かといってまったく何もないのも興冷めなのかもしれませんし、和楽ではいかにもすぎて嫌われたのでしょうか…うううむ。
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