宝塚歌劇団花組大劇場公演『巡礼の年/Fashionable Empire』の初日と翌日11時を観てきました。まどかにゃんが大好きだし、オリジナル新作はとにかく早めに観てわあわあ言いたいし、TLのみなさんの感想ツイートも薄目に流し読みすることなくすべて読みたいからです。
定期購読している「歌劇」が初日前日に届いたので、行きの新幹線で読んでいったのですが、座談会では配役というか各キャラの設定の説明に終始している印象で、それでどんなドラマを描くつもりなのかをもうちょっとだけ前情報として知りたいんだけど…とやや不安になりました。でも「ワールドワイドオブタカラヅカ」はとても良くて、このコーナーはいつもいい勉強になりますが、今回も有益だったと思います。そしてプログラムを買ったら、生田先生が史実を変えてでも表現したいことがあるようなコメントをしていたので、まあ生田先生だし大丈夫やろ、とまずはフラットに観てみようと思えたのでした。
ちなみに私のリストの知識としてはやはり『翼ある人びと』の愛ちゃんリスト止まりの、アイドル的な人気のあった、超絶技巧の天才ピアニスト、くらい。ショパンとジョルジュ・サンドについては去年の暮れにもこちらなど観ていますが、夭逝したピアノの詩人、大作曲家と夫も子供もいたけど男装していた女流作家のカップル、ということくらいでした。サンドがリストともつきあっていたことがあった、というのは史実なのかな? まどかはリストの恋人になるマリー・ダグー伯爵夫人役で、このトップコンビと二番手、三番手スターで構成される四角関係はなかなかおもしろく感じました。
なんせ冒頭の5分が濃い。もうすぐ夜、パリの屋根裏部屋でまどろむリスト、その傍らのサンド。リストは夜な夜な貴族のサロンに呼ばれて演奏していて大人気らしく、しかしただ貴族に仕えているだけじゃないんだぜ、みたいな野心をふたりは語ります。階級など芸術の前に無力だ、という芸術家の意気や良し!という感じ。そして演奏会までまだ時間はあると言って、愛欲に溺れていくふたり…キャー!
のちにリストとマリーの逃避行先のスイスを訪れたときに、「紹介してくれないの? あなたの恋人でしょ?」と言い放ってふたりに圧をかけるサンドですが、自身が恋多き女でもあるし(このときもショパンも同行しているのだし)そもそも結婚していたこともあるし(この時間軸のどこで離婚が成立しているんでしょうね?)、あまり一対一のステディな関係みたいなものを相手に強いないところがいいですね。つまり「キーッ、浮気者ーっ!」みたいに騒ぐことはしないわけです。でも相手にとって自分が一番の理解者だろうという自負はある。いい女だなあ!
さらに言うと、リストとサンドには冒頭のような絡みがありますが、どちらかというと世間的にはより有名なはずのショパンとサンドの関係についてはこの作品ではほぼ描かれていません。ちょいちょいショパンが優しくサンドのふるまいのカバーをしているような様子はあるのですが、周りがカップル扱いしていたりふたりがラブラブしているような場面はまったくありません。ちょっと説明不足というか、本当になんの知識もない人にはワケわからんのでは、生田先生そこは観客を信用しすぎでは…とはちょっと思いました。ショパンの死の場面もある種の幻想なわけで…でもふたりのある種の(しつこい表現ですみません)絆はちゃんと描かれていて、不思議な味わいではありましたね。こういうのが生田先生はあえてやりたかったのかな…
そういう意味では、ここを泥沼四角関係みたいにしなかったところこそ生田先生の眼目なのかもしれません。新鮮だし、ヨイと思いました。もちろんリストにはショパンを尊敬しつつその才能を嫉み妬み絶望していたようなところがあって、屈託がある。サンドもマリーが現れたことに平気な顔をしているわけではない。でもショパンはリストを気遣い、リストとショパンは良き友情を築いていて、マリーも文筆家の端くれとして先行するサンドを強くリスペクトしている。ことに女性同士はことさらやっかみ合う関係に描かれることが多いので、ここは本当に素敵だなと思いました。というかもう『マリーとオーロール』でいいのよこの話、ともちょっと思ったよね…
というわけでこの四角関係構造はおもしろいのですが、でも別に機能していないというか、つまり泥沼恋愛ドラマみたいなものは展開されないので、結局のところ作品としてはタイトルどおりというか、まさしくリストの「魂の彷徨」を描いていて、濃密な感情のドラマを描くというよりはその彷徨い流れ迷う様子がメインに描かれるので、ちょっと肩すかし感がありました。イヤ生田先生がリストの人生のこういう部分に興味があって、こう描いているのはわかるんだ。でもなんかちょっと、盛り上がりに欠けましたよね…別に偉人伝になっちゃってるわけではないんだけれど、結局変な方向の野心に走っちゃった男と、違う新たな政治理想に目覚めちゃった女の物語になってしまっているので、後半はそんなふたりにもうラブも接点もないわけです。
最後の場面は史実なのかなあ? ふたりはだいぶ老年になっているような芝居をしていましたが、そして確かにリストはショパンと違ってかなり長命だったそうですが、老境に入って再会し和解したって言われたってぶっちゃけだから何、って感じがちょっとしちゃいましたよねえ…
リストがタールベルクとの対決のためにパリに戻ったとき、マリーはふたりの安らかな暮らしから生まれた新たな音楽の響きに感動したけれど、リストは久々に浴びた聴衆の歓声に感動していて、そこからふたりの道は分かれてしまったわけですが(「わかる」となって盛り上がったふたりがここで「わからない」となる悲しさよ…! それは見事だったのですが)、なのでそれでおしまいなんですよね関係性としては…だから物語になりにくいのでしょう。
ハンガリーが出てくると『エリザベート』っぽいよねとか、革命となると『1789』っぽいよねとかすぐ言うのはヅカオタの良くない点ですが、でもどうしてもそういうイメージは強く、ちょっとどこかで観たような感が漂うのもあまり良くなかったかと思います。それこそ『ひかりふる路』という先行作品もあったわけですしね。装置とか、すごくよく考えられていて、いろいろよかったんですけれどねえ…
総じて、私はいつも生田先生とか景子先生の作品には感じがちなのですが、秀才肌の人がアタマで、理屈で作る作品で、ちょっと観念的で大味で、よくできてはいるんだけれど芯となる情熱やドラマや萌えがない…という印象でした。ピアノだんじり(笑)とか貴族たちのコーラスとかパリの屋根裏部屋での芸術家たちソングとか(でももっと誰が誰だか説明してくれないと、ホント単なるお友達のダンゴなんですけど…)つらかった過去や家族の回想場面とかスイスでの捕まえてごらんなさいキャッキャウフフとか、まあよくできてはいるんですけれどねえ…全体としては焦点がないというか、主人公に共感できない、応援しながら観ることがしづらい作品になっちゃってるのかな、とは感じました。
これでご卒業のつかさっちがマリーの夫、音くりちゃんがリストのパトロンで、ともに相手に真の理解がなく、フラれるみたいな役まわりになるところもちょっと残念だったかもしれません。まひろんはちょっとおいしいところをやっていたけれど、あとはほのかも役不足。専科になったさおたさんもわざわざ出てもらうこともない感じで、まあ良き別箱のあとは本公演ってみんな役不足に見えちゃうんですけれど、そのあたりもちょっとしょんぼりだったかな。
だいやがセンターパーツで銀縁丸メガネで素敵だったので、新公は楽しみです。星空ちゃんよりは都姫ちゃんやあわちゃんに台詞がありましたが、うーん…あ、愛蘭みこちゃんは確実に識別にできるようになりましたので大注目でした。美里玲菜ちゃんあたりといつもいて、目に優しい(笑)。
私は嫌いじゃない幕切れなんですけれどね…でもやっぱり「えっ、これで終わり!?」って感じは初日は漂っていた気はしました。今後はもうちょっと芝居にメリハリがついて、生徒とファンが補完していくのかなー…がんばっていただきたいです。
髪振り乱してピアノ弾いて踊り狂ってもれいちゃんは麗しい。でも歌はあいかわらずだし、もっとナンバーを減らして芝居をさせてあげた方がこの人にはいいと思います。まどかはさすがに上手いです。そしてほっぺがいつにも増してツヤピカでカワイイ。紺のドレス、素敵だけどまた来て出てくるのはどーなんだ実は貧乏なのか伯爵家…(着た切り雀で出ていったのでこれしか手持ちがない、という設定ならすみません)マイティーはこういう静かで優しくて儚げなお役も上手いよね、良きでした。そしてひとこは本当に躍進しているな! プログラムの写真もちゃんと男装している女性の姿になっていた感心しましたが、お役がいいのもあるけれど本当に演技がいい、歌も抜群にいい。今回のショルダータイトルはズバリ「ミュージカル」ですが、そこはまどかとひとこで担っているように聞こえました。
プログラム中ほどの、四人が一堂に会している横長の写真がいいですね。確かにショパンがヒロインかなって感じでもあるのですが(笑)、それぞれのキャラと関係性が出ているいい写真です。でもタイトルを「巡礼の年」にする以上、この物語にはなりえないところが敗因なのかもしれません。あっ、早くも負け判定とかしてすみません…進化、深化に期待します。
ショー・グルーヴは…私は悪評ふんぷんの河底衣装にこれまであまりそこまで何かを思ったことはないのですが、今回はちょっとあまりにこう、あの、その…まず全員分新調しちゃったプロローグのお衣装が、とにかく暑そうで生徒さんが気の毒でした。後半のモーメントの場面で上を脱ぐんだけれど、娘役ちゃんが単なる下着かタンクトップみたいに見えちゃうし、みんなスタイルが悪く見えて、ガッカリでした。プロローグの次のファッション・ショー場面も、まどかのドリームガールは可愛いんだけど何故この季節にモコモコファーをつける?って感じだし、変身後のお衣装がわりに普通のドレスなので、この場面のコンセプトとは…?となりました。スーツが多いのは個人的には花組っぽくて私は好きでしたけどね。あと『ジャンクション24』もかくやのロングコートね!
すでにローマ風呂とか言われているラビリンスの場面、イイですね。あおいちゃんと音くりが歌いまくるのがいいし、れいまいがバリバリ踊っているとやはり花組!って気がします。中詰めにひとこが歌って、れいまどとマイくりがバリバリ踊るダブルデュエダン(ものっそい旋回リフトつき!)があるのも良きでした。ロケットは中詰めのラストに置かれていて、センターはあわちゃんと星空ちゃん。どこでしたっけ、それぞれひとこ、マイティーと組んでトップコンビとトリプルデュエダンの場面もありましたね。
マイティーセンターのクラブ場面はまひろんのミスティAがめっちゃ色っぽくてチューもがっつりいってて、はわわわわとなりました。ここもミスティはあわちゃんと星空ちゃん。星空ちゃんはダンスはいいんだけどホント笑顔が硬くて見ていられないんです私、すんません…
あとらいととだいやは出るところがわりと一緒で、上下に別れられると目が足りない…でも糸ちゃんと組んでくれるところもあり、そこはいっぺんで見られて私得でした。あと常に下手にいる愛蘭みこちゃんを完全に識別できるようになり、常にガン見です。プロローグやフューチャーの金髪ハーフアップ、かーわーいーいー! モデルの緑のドレス姿では色っぽく、ダブルトリオもラブリーでした!
モーメントのあとの、『FF』であがちんセンターの100期以下がバリバリ踊る場面のようなほのかセンターのフューチャー場面があるのもよかったです。あえて入れたのだろう同じ振りがあるのもよかった。新公が飛んだ期へのフォローといった感じですよね、これぞ若さスパークリングでしょう。いいぞ!
フィナーレのデュエダンはあえて銀橋に出ないスタイル。チョコミント色目のお衣装でしたが、まどかが可愛かったのでいいです。
エトワールはでぃでぃ。音くりちゃんがひとり降りで、ラインナップでもキョンちゃんの内、対してつかさっちはまひろんとはなこに挟まれて降りて、あおいちゃんの外でした。こういうところ、いちいち、あるよね…くりすの方が下級生だけどスターとしての格は上、ということなのでしょうか。まあ別箱ヒロインも務めていますしね。でもじゃあ『Dream On!』ってなんだったんだってのは一生言っていきたいと思っていますけれどね…てか各組回せよホントもう…
でも今回のパレードは、やはりずばりマイティーの羽根!につきましたね。
ひとこが通常の三番手羽根で大階段センターに止まったあたりで、カゲ段から出てくるマイティーらしき足と背負ってる羽根の両脇に垂れ下がる端が見えたときに、「ああよかった大羽根だ、二番手羽根だ!」ってざわめきがもう客席に広がったのを私は感じました。で、降りてきて、ちゃんと全身が見えて、ソロ歌って、本舞台に出てきて、お辞儀したときに今日イチの拍手!でした。つかさっちにも、くりすにも大きな拍手が送られたけれど、まさしく割れんばかりの拍手でした。そりゃそうですよね、『バロクロネイション』初日パレードで隣の席のお友達と「(大羽根は?)」「(背負わせませんでしたね)」と無言のアイコンタクトで語り合ったことを私は忘れられません。
それこそ「歌劇」の次号予告が「表紙/水美舞斗」となっていたので、これも立派な二番手スターの証ですし、今度こそは…とは思っていたんですよ。でもプログラムのスチールの大きさがひとことまったく一緒で、見開きだから見間違えようもなく、オイオイ…ともなったんですよね。ちょうどその数日前、スカステ20周年ポスターに五人のトップスターと五人のトップ娘役と四人の各組二番手スターが載っていて、紛糾したという事件もありました。トップトリオみたいな場面もあるし、別箱主演で東上もしているし、円盤もグッズも出ているし、なのになんで差をつけるの? タレント契約とかの問題? じゃあなんで契約の方を整えないの? あまりに不誠実では? とその生徒のファンならずともみんな憤りますよね、明日は我が身だもん。
でも、今回やっと、マイティーはいわゆる二番手羽根と呼ばれる大羽根を背負いました。こういう記号化ってホントにここ二、三十年くらいのものだと思うのだけれど、でも近年はそうやってきたんだし、だったらちゃんと貫いてほしいですよね。まどかの大羽根と綺麗に対になってれいちゃんを囲む構図は、美しかったです。
ただ、二回目かな?のカテコで、れいちゃんが「水美の…羽根…!」と感に堪えぬ様子で言及したのには、正直ちょっとざらっとしました。そこは、フェアリーでいるべきだったのではなかろうか。背負おうが背負うまいが、素知らぬ顔をし続けるべきではなかったのではなかろうか。前回もなんで?と思い、だから今回は素直によかったと思い素直に嬉しい、みんなもでしょ?とただ一緒に喜び合いたかったのだろうとは思うけれど、中の人が運営への抗議を表立ってするようなことはマズいのではなかろうか、それはファンをも微妙な立ち位置に置くことになるのではなかろうか…とちょっと感じたんですよね、私は。実際、タカラヅカニュースではカットされていましたしね。
まさかファンは生徒にそういうことをいちいちお手紙に書いたりはしないと思うのです。でも生徒も今どきエゴサくらいするやろと思うし、何より前回公演では初日のマスコミ記事に羽根の大きさに言及するものがありました。それは劇団も検閲はできないのだろうし、そもそも単なる事実だし、また今のマスコミはそういうことをわざわざ書くものだし、そしてそれは公式の報道記事として生徒の目にも触れるだろうし、そりゃ思うところも出てくるでしょう。たとえば他組の公演を観て、似たポジションの同期がやっていることを見れば自分とつい比較することもあるのでしょう。生徒たち同士はライバルというよりあくまで同志、仲間で、それは大人数でひとつのものを作る大変さを身をもって知っているからで、足を引っ張り合ったり嫉んだり妬んだりするよりまず協力し合わないと成立しない仕事をしているからで、そこにプライドも持っていることでしょう。でもやっぱり人と比較したり傷ついたり不満に思ったりすることだってあるはずなんですよフェアリーだって人間だもの。
しかしホント実際どうなんでしょうね…今回の芝居でも、リストれいちゃんが芸術家仲間たちに「オレよりウケてるヤツいんのかよ」みたいな台詞を吐くわけですが(こんな言い回しではありません)、私はかなりざらりとしましたし、リストれいちゃんがマイティーショパンの真の天才を羨み苛まれるようなくだりにもやはりざらりとさせられたんですよね…こういうモチーフを扱うときには仕方がないことなのかもしれませんけれどね。でもあたりまえですが音校時代からずっと同期で、一緒にやってきて、でもいつしか差がつけられて、立場が違ってきて、でもずっと隣にいて…トップスターはあくまで自分の進退を考えるもので誰に譲りたいとかは言えないものなんだろうけれど、でも同期が自分の二番手をしてくれていたらそら自分の次は、と思うよねえ? 自分の進退ったって組のこととかいろいろ考えちゃうのがトップさんなんじゃないの?と思うと、次代が定まっていないように思えたら自分の進退だっておちついて考えられないでしょう。なんかホントもっとちゃんと上手くしてあげられなかったのここまでに劇団?って思いますよね…同様に100期は、まあ男役の路線は見えてきた気はするけど、本当は娘役も粒揃いだったんじゃないの? 今回のくりすといい組替えしているじゅっちゃんといい、組配属も組替えも下手打ちだったんじゃないの劇団?ってなりますよね…
コロナでいろいろ予定が狂っているのかもしれませんし、劇団が敷いたレールどおりに進まないことなんていくらでもあるだろうし、人事より何よりまず作品だろとも言いたいんですけれど、とにかくなるべく生徒全員が輝き、ファンが喜ぶよう、劇団にはがんばっていただきたいです。そして路線スターはやはり学年順に並び、次代の、次々代のトップと目されるのが自然の流れではないかしらん。三番手くらいまでは不確定だとしても、せめて二番手は。それに漏れても、それこそトップスターになることがすべてではないわけで。スターシステムを取っているんだから、スターを大事にしてくれないと。百年以上やってるんだから、もう彷徨ってる場合じゃないっつーの!とは強く言いたいです。
毎度ガタガタうるさくて、愛が重くてすみません。滅ぶのなんのと言いつつ全然見限れません、おもしろいと思っているからです。ファンとして気持ちよく支えたいので、どうぞよろしくお願いいたします…
定期購読している「歌劇」が初日前日に届いたので、行きの新幹線で読んでいったのですが、座談会では配役というか各キャラの設定の説明に終始している印象で、それでどんなドラマを描くつもりなのかをもうちょっとだけ前情報として知りたいんだけど…とやや不安になりました。でも「ワールドワイドオブタカラヅカ」はとても良くて、このコーナーはいつもいい勉強になりますが、今回も有益だったと思います。そしてプログラムを買ったら、生田先生が史実を変えてでも表現したいことがあるようなコメントをしていたので、まあ生田先生だし大丈夫やろ、とまずはフラットに観てみようと思えたのでした。
ちなみに私のリストの知識としてはやはり『翼ある人びと』の愛ちゃんリスト止まりの、アイドル的な人気のあった、超絶技巧の天才ピアニスト、くらい。ショパンとジョルジュ・サンドについては去年の暮れにもこちらなど観ていますが、夭逝したピアノの詩人、大作曲家と夫も子供もいたけど男装していた女流作家のカップル、ということくらいでした。サンドがリストともつきあっていたことがあった、というのは史実なのかな? まどかはリストの恋人になるマリー・ダグー伯爵夫人役で、このトップコンビと二番手、三番手スターで構成される四角関係はなかなかおもしろく感じました。
なんせ冒頭の5分が濃い。もうすぐ夜、パリの屋根裏部屋でまどろむリスト、その傍らのサンド。リストは夜な夜な貴族のサロンに呼ばれて演奏していて大人気らしく、しかしただ貴族に仕えているだけじゃないんだぜ、みたいな野心をふたりは語ります。階級など芸術の前に無力だ、という芸術家の意気や良し!という感じ。そして演奏会までまだ時間はあると言って、愛欲に溺れていくふたり…キャー!
のちにリストとマリーの逃避行先のスイスを訪れたときに、「紹介してくれないの? あなたの恋人でしょ?」と言い放ってふたりに圧をかけるサンドですが、自身が恋多き女でもあるし(このときもショパンも同行しているのだし)そもそも結婚していたこともあるし(この時間軸のどこで離婚が成立しているんでしょうね?)、あまり一対一のステディな関係みたいなものを相手に強いないところがいいですね。つまり「キーッ、浮気者ーっ!」みたいに騒ぐことはしないわけです。でも相手にとって自分が一番の理解者だろうという自負はある。いい女だなあ!
さらに言うと、リストとサンドには冒頭のような絡みがありますが、どちらかというと世間的にはより有名なはずのショパンとサンドの関係についてはこの作品ではほぼ描かれていません。ちょいちょいショパンが優しくサンドのふるまいのカバーをしているような様子はあるのですが、周りがカップル扱いしていたりふたりがラブラブしているような場面はまったくありません。ちょっと説明不足というか、本当になんの知識もない人にはワケわからんのでは、生田先生そこは観客を信用しすぎでは…とはちょっと思いました。ショパンの死の場面もある種の幻想なわけで…でもふたりのある種の(しつこい表現ですみません)絆はちゃんと描かれていて、不思議な味わいではありましたね。こういうのが生田先生はあえてやりたかったのかな…
そういう意味では、ここを泥沼四角関係みたいにしなかったところこそ生田先生の眼目なのかもしれません。新鮮だし、ヨイと思いました。もちろんリストにはショパンを尊敬しつつその才能を嫉み妬み絶望していたようなところがあって、屈託がある。サンドもマリーが現れたことに平気な顔をしているわけではない。でもショパンはリストを気遣い、リストとショパンは良き友情を築いていて、マリーも文筆家の端くれとして先行するサンドを強くリスペクトしている。ことに女性同士はことさらやっかみ合う関係に描かれることが多いので、ここは本当に素敵だなと思いました。というかもう『マリーとオーロール』でいいのよこの話、ともちょっと思ったよね…
というわけでこの四角関係構造はおもしろいのですが、でも別に機能していないというか、つまり泥沼恋愛ドラマみたいなものは展開されないので、結局のところ作品としてはタイトルどおりというか、まさしくリストの「魂の彷徨」を描いていて、濃密な感情のドラマを描くというよりはその彷徨い流れ迷う様子がメインに描かれるので、ちょっと肩すかし感がありました。イヤ生田先生がリストの人生のこういう部分に興味があって、こう描いているのはわかるんだ。でもなんかちょっと、盛り上がりに欠けましたよね…別に偉人伝になっちゃってるわけではないんだけれど、結局変な方向の野心に走っちゃった男と、違う新たな政治理想に目覚めちゃった女の物語になってしまっているので、後半はそんなふたりにもうラブも接点もないわけです。
最後の場面は史実なのかなあ? ふたりはだいぶ老年になっているような芝居をしていましたが、そして確かにリストはショパンと違ってかなり長命だったそうですが、老境に入って再会し和解したって言われたってぶっちゃけだから何、って感じがちょっとしちゃいましたよねえ…
リストがタールベルクとの対決のためにパリに戻ったとき、マリーはふたりの安らかな暮らしから生まれた新たな音楽の響きに感動したけれど、リストは久々に浴びた聴衆の歓声に感動していて、そこからふたりの道は分かれてしまったわけですが(「わかる」となって盛り上がったふたりがここで「わからない」となる悲しさよ…! それは見事だったのですが)、なのでそれでおしまいなんですよね関係性としては…だから物語になりにくいのでしょう。
ハンガリーが出てくると『エリザベート』っぽいよねとか、革命となると『1789』っぽいよねとかすぐ言うのはヅカオタの良くない点ですが、でもどうしてもそういうイメージは強く、ちょっとどこかで観たような感が漂うのもあまり良くなかったかと思います。それこそ『ひかりふる路』という先行作品もあったわけですしね。装置とか、すごくよく考えられていて、いろいろよかったんですけれどねえ…
総じて、私はいつも生田先生とか景子先生の作品には感じがちなのですが、秀才肌の人がアタマで、理屈で作る作品で、ちょっと観念的で大味で、よくできてはいるんだけれど芯となる情熱やドラマや萌えがない…という印象でした。ピアノだんじり(笑)とか貴族たちのコーラスとかパリの屋根裏部屋での芸術家たちソングとか(でももっと誰が誰だか説明してくれないと、ホント単なるお友達のダンゴなんですけど…)つらかった過去や家族の回想場面とかスイスでの捕まえてごらんなさいキャッキャウフフとか、まあよくできてはいるんですけれどねえ…全体としては焦点がないというか、主人公に共感できない、応援しながら観ることがしづらい作品になっちゃってるのかな、とは感じました。
これでご卒業のつかさっちがマリーの夫、音くりちゃんがリストのパトロンで、ともに相手に真の理解がなく、フラれるみたいな役まわりになるところもちょっと残念だったかもしれません。まひろんはちょっとおいしいところをやっていたけれど、あとはほのかも役不足。専科になったさおたさんもわざわざ出てもらうこともない感じで、まあ良き別箱のあとは本公演ってみんな役不足に見えちゃうんですけれど、そのあたりもちょっとしょんぼりだったかな。
だいやがセンターパーツで銀縁丸メガネで素敵だったので、新公は楽しみです。星空ちゃんよりは都姫ちゃんやあわちゃんに台詞がありましたが、うーん…あ、愛蘭みこちゃんは確実に識別にできるようになりましたので大注目でした。美里玲菜ちゃんあたりといつもいて、目に優しい(笑)。
私は嫌いじゃない幕切れなんですけれどね…でもやっぱり「えっ、これで終わり!?」って感じは初日は漂っていた気はしました。今後はもうちょっと芝居にメリハリがついて、生徒とファンが補完していくのかなー…がんばっていただきたいです。
髪振り乱してピアノ弾いて踊り狂ってもれいちゃんは麗しい。でも歌はあいかわらずだし、もっとナンバーを減らして芝居をさせてあげた方がこの人にはいいと思います。まどかはさすがに上手いです。そしてほっぺがいつにも増してツヤピカでカワイイ。紺のドレス、素敵だけどまた来て出てくるのはどーなんだ実は貧乏なのか伯爵家…(着た切り雀で出ていったのでこれしか手持ちがない、という設定ならすみません)マイティーはこういう静かで優しくて儚げなお役も上手いよね、良きでした。そしてひとこは本当に躍進しているな! プログラムの写真もちゃんと男装している女性の姿になっていた感心しましたが、お役がいいのもあるけれど本当に演技がいい、歌も抜群にいい。今回のショルダータイトルはズバリ「ミュージカル」ですが、そこはまどかとひとこで担っているように聞こえました。
プログラム中ほどの、四人が一堂に会している横長の写真がいいですね。確かにショパンがヒロインかなって感じでもあるのですが(笑)、それぞれのキャラと関係性が出ているいい写真です。でもタイトルを「巡礼の年」にする以上、この物語にはなりえないところが敗因なのかもしれません。あっ、早くも負け判定とかしてすみません…進化、深化に期待します。
ショー・グルーヴは…私は悪評ふんぷんの河底衣装にこれまであまりそこまで何かを思ったことはないのですが、今回はちょっとあまりにこう、あの、その…まず全員分新調しちゃったプロローグのお衣装が、とにかく暑そうで生徒さんが気の毒でした。後半のモーメントの場面で上を脱ぐんだけれど、娘役ちゃんが単なる下着かタンクトップみたいに見えちゃうし、みんなスタイルが悪く見えて、ガッカリでした。プロローグの次のファッション・ショー場面も、まどかのドリームガールは可愛いんだけど何故この季節にモコモコファーをつける?って感じだし、変身後のお衣装がわりに普通のドレスなので、この場面のコンセプトとは…?となりました。スーツが多いのは個人的には花組っぽくて私は好きでしたけどね。あと『ジャンクション24』もかくやのロングコートね!
すでにローマ風呂とか言われているラビリンスの場面、イイですね。あおいちゃんと音くりが歌いまくるのがいいし、れいまいがバリバリ踊っているとやはり花組!って気がします。中詰めにひとこが歌って、れいまどとマイくりがバリバリ踊るダブルデュエダン(ものっそい旋回リフトつき!)があるのも良きでした。ロケットは中詰めのラストに置かれていて、センターはあわちゃんと星空ちゃん。どこでしたっけ、それぞれひとこ、マイティーと組んでトップコンビとトリプルデュエダンの場面もありましたね。
マイティーセンターのクラブ場面はまひろんのミスティAがめっちゃ色っぽくてチューもがっつりいってて、はわわわわとなりました。ここもミスティはあわちゃんと星空ちゃん。星空ちゃんはダンスはいいんだけどホント笑顔が硬くて見ていられないんです私、すんません…
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モーメントのあとの、『FF』であがちんセンターの100期以下がバリバリ踊る場面のようなほのかセンターのフューチャー場面があるのもよかったです。あえて入れたのだろう同じ振りがあるのもよかった。新公が飛んだ期へのフォローといった感じですよね、これぞ若さスパークリングでしょう。いいぞ!
フィナーレのデュエダンはあえて銀橋に出ないスタイル。チョコミント色目のお衣装でしたが、まどかが可愛かったのでいいです。
エトワールはでぃでぃ。音くりちゃんがひとり降りで、ラインナップでもキョンちゃんの内、対してつかさっちはまひろんとはなこに挟まれて降りて、あおいちゃんの外でした。こういうところ、いちいち、あるよね…くりすの方が下級生だけどスターとしての格は上、ということなのでしょうか。まあ別箱ヒロインも務めていますしね。でもじゃあ『Dream On!』ってなんだったんだってのは一生言っていきたいと思っていますけれどね…てか各組回せよホントもう…
でも今回のパレードは、やはりずばりマイティーの羽根!につきましたね。
ひとこが通常の三番手羽根で大階段センターに止まったあたりで、カゲ段から出てくるマイティーらしき足と背負ってる羽根の両脇に垂れ下がる端が見えたときに、「ああよかった大羽根だ、二番手羽根だ!」ってざわめきがもう客席に広がったのを私は感じました。で、降りてきて、ちゃんと全身が見えて、ソロ歌って、本舞台に出てきて、お辞儀したときに今日イチの拍手!でした。つかさっちにも、くりすにも大きな拍手が送られたけれど、まさしく割れんばかりの拍手でした。そりゃそうですよね、『バロクロネイション』初日パレードで隣の席のお友達と「(大羽根は?)」「(背負わせませんでしたね)」と無言のアイコンタクトで語り合ったことを私は忘れられません。
それこそ「歌劇」の次号予告が「表紙/水美舞斗」となっていたので、これも立派な二番手スターの証ですし、今度こそは…とは思っていたんですよ。でもプログラムのスチールの大きさがひとことまったく一緒で、見開きだから見間違えようもなく、オイオイ…ともなったんですよね。ちょうどその数日前、スカステ20周年ポスターに五人のトップスターと五人のトップ娘役と四人の各組二番手スターが載っていて、紛糾したという事件もありました。トップトリオみたいな場面もあるし、別箱主演で東上もしているし、円盤もグッズも出ているし、なのになんで差をつけるの? タレント契約とかの問題? じゃあなんで契約の方を整えないの? あまりに不誠実では? とその生徒のファンならずともみんな憤りますよね、明日は我が身だもん。
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ただ、二回目かな?のカテコで、れいちゃんが「水美の…羽根…!」と感に堪えぬ様子で言及したのには、正直ちょっとざらっとしました。そこは、フェアリーでいるべきだったのではなかろうか。背負おうが背負うまいが、素知らぬ顔をし続けるべきではなかったのではなかろうか。前回もなんで?と思い、だから今回は素直によかったと思い素直に嬉しい、みんなもでしょ?とただ一緒に喜び合いたかったのだろうとは思うけれど、中の人が運営への抗議を表立ってするようなことはマズいのではなかろうか、それはファンをも微妙な立ち位置に置くことになるのではなかろうか…とちょっと感じたんですよね、私は。実際、タカラヅカニュースではカットされていましたしね。
まさかファンは生徒にそういうことをいちいちお手紙に書いたりはしないと思うのです。でも生徒も今どきエゴサくらいするやろと思うし、何より前回公演では初日のマスコミ記事に羽根の大きさに言及するものがありました。それは劇団も検閲はできないのだろうし、そもそも単なる事実だし、また今のマスコミはそういうことをわざわざ書くものだし、そしてそれは公式の報道記事として生徒の目にも触れるだろうし、そりゃ思うところも出てくるでしょう。たとえば他組の公演を観て、似たポジションの同期がやっていることを見れば自分とつい比較することもあるのでしょう。生徒たち同士はライバルというよりあくまで同志、仲間で、それは大人数でひとつのものを作る大変さを身をもって知っているからで、足を引っ張り合ったり嫉んだり妬んだりするよりまず協力し合わないと成立しない仕事をしているからで、そこにプライドも持っていることでしょう。でもやっぱり人と比較したり傷ついたり不満に思ったりすることだってあるはずなんですよフェアリーだって人間だもの。
しかしホント実際どうなんでしょうね…今回の芝居でも、リストれいちゃんが芸術家仲間たちに「オレよりウケてるヤツいんのかよ」みたいな台詞を吐くわけですが(こんな言い回しではありません)、私はかなりざらりとしましたし、リストれいちゃんがマイティーショパンの真の天才を羨み苛まれるようなくだりにもやはりざらりとさせられたんですよね…こういうモチーフを扱うときには仕方がないことなのかもしれませんけれどね。でもあたりまえですが音校時代からずっと同期で、一緒にやってきて、でもいつしか差がつけられて、立場が違ってきて、でもずっと隣にいて…トップスターはあくまで自分の進退を考えるもので誰に譲りたいとかは言えないものなんだろうけれど、でも同期が自分の二番手をしてくれていたらそら自分の次は、と思うよねえ? 自分の進退ったって組のこととかいろいろ考えちゃうのがトップさんなんじゃないの?と思うと、次代が定まっていないように思えたら自分の進退だっておちついて考えられないでしょう。なんかホントもっとちゃんと上手くしてあげられなかったのここまでに劇団?って思いますよね…同様に100期は、まあ男役の路線は見えてきた気はするけど、本当は娘役も粒揃いだったんじゃないの? 今回のくりすといい組替えしているじゅっちゃんといい、組配属も組替えも下手打ちだったんじゃないの劇団?ってなりますよね…
コロナでいろいろ予定が狂っているのかもしれませんし、劇団が敷いたレールどおりに進まないことなんていくらでもあるだろうし、人事より何よりまず作品だろとも言いたいんですけれど、とにかくなるべく生徒全員が輝き、ファンが喜ぶよう、劇団にはがんばっていただきたいです。そして路線スターはやはり学年順に並び、次代の、次々代のトップと目されるのが自然の流れではないかしらん。三番手くらいまでは不確定だとしても、せめて二番手は。それに漏れても、それこそトップスターになることがすべてではないわけで。スターシステムを取っているんだから、スターを大事にしてくれないと。百年以上やってるんだから、もう彷徨ってる場合じゃないっつーの!とは強く言いたいです。
毎度ガタガタうるさくて、愛が重くてすみません。滅ぶのなんのと言いつつ全然見限れません、おもしろいと思っているからです。ファンとして気持ちよく支えたいので、どうぞよろしくお願いいたします…