駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『貴婦人の来訪』

2022年06月05日 | 観劇記/タイトルか行
 新国立劇場、2022年6月2日18時半。

 小都市ギュレンは、かつては栄えていたが今は貧困に喘いでいる。ある日、この町出身の大富豪クレール・ツァハナシアン夫人(秋山菜津子)が帰郷する。彼女が町を復興させてくれるのではと期待に胸を膨らませる町の人々。夫人はある条件のもとに巨額の寄付を申し出る。「正義の名において、かつてこの町で私が受けた不正を正してほしい」と彼女は言うが…
 作/フリードリヒ・デュレンマット、翻訳/小山ゆうな、演出/五戸真理枝。1956年スイス初演、何度も映画化されオペラ版やミュージカル版も存在し、日本でも何度も上演されている作品。全2幕。

 ミュージカル『貴婦人の訪問』は観ていて、そのときの感想はこちら。このときは話の流れがよく理解できなかったような口ぶりの私ですが、今回はそんなことはなかったです。もちろん細かいことは特に描かれていないのだけれど、そんなことは枝葉末節で、必要なことは十分に理解できた芝居でした。
 いつの時代の、どこの国のお話かわからないように仕立てたような、戯画的な寓話のような見せ方で、ユーモラスで、でもじんわり怖くなっていくのが良くて、休憩込み3時間の長さを感じさせませんでした。
 でも、これは拝金主義を批評したり貧すれば鈍するというようなことを描きたいブラックな作品なのかもしれないけれど、もともとは男同士のお話だったのがこの男女の話になったというのはどういう変化なんでしょうねえ? これまた物語のために女が殺されるパターンで(死んだのはクレールではなく彼女の娘だけれど)、正直ケッと思いました。というかこれは単純に正義の物語だと思う。お金なんかどうでもいいです、単に正義が行われたってだけのお話でしょ?
「10兆円って何円?」とか言いたくなりそうな、とんでもない巨額を持ち出すまでもない話で、正義はなされなければなりません。ことにこんな不正義は許されません。イル(相島一之)のしたことは「モラルに反している」なんてレベルのものではなく、立派な犯罪であり、現に殺人であり、ひとりの女性の魂を、人生を滅ばしている恐ろしい罪です。目には目を、歯には歯を、命には命を、当然の結果です。
 世の男性は全員、己が射精にもっと責任を感じるべきです。少なくとも女性の膣に挿入して射精するなら、パイプカットでもしていない限り完全な避妊はありえないので、授精し着床し命になり人間が生まれる可能性があること、親としてその子供が成人するまできちんと養育する義務があることを常に念頭に置いてすいるべきです。そんなことを考えていたらイケないよ、というならイクなとしか言えません。女性の方は常にそれを考えていて、恐ろしくてイケないことがほとんどだからです。
 この問題に対して、男性の、すなわち世の認識は甘すぎると思います。ましてイルはクレールの子供の認知からただ逃げただけではなく、男友達ふたりに頼んで彼女と寝ていると偽証させたのです。クレールが産んだ子供を父親として養育しなかったこと、子供を一年で亡くしたのち娼婦になるしかなかったクレールを放任したことよりも、そちらの方が罪が重いとさえ言えるでしょう。愛と尊厳の否定は魂の殺人です。クレールはそんなふしだらな娘ではなかったはずだからです。なのにクレールにそんな汚名を着せたイルは地獄に落ちて当然だと思います。それだけの話です。10兆円とかどうでもいいです。
 寄付金のために町民を殺したことに無自覚な町民たち…より何より、イルのそもそもの罪を理解していない人々の方がよほど怖いです。せめてこの作品を観劇する人にはそれを理解してほしいです。学んでくれ、そして変わってくれ、でないと世界は良くなっていかないよ…その絶望をこそ描いている作品なのだ、と思いたいです。





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