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映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ガリレアの婚礼(1987年)

2025-05-09 | 【か】

作品情報⇒https://press.moviewalker.jp/mv14196/


以下、上記リンクからあらすじのコピペ(長いので要約)です。

=====ここから。

 イスラエル軍による厳重な戒厳令の敷かれたパレスチナのある村落。村長は、息子の結婚式をアラブの慣習通り夜を徹して行おうと決意、イスラエル軍の司令官に、一晩だけ外出禁止令を解除してもらえるように要請する。司令官は、これを軍の支配権の大きさを知らしめる好機と思い、式に自分と部下の将校を主賓として招待すること等を条件に、それを了承する。

 パレスチナの伝統と格式にのっとった婚礼の宴は盛大に始まり、イスラエルの将校たちも次第に心なごませる。しかしその一方で、司令官暗殺を企てる青年グループと、それをたしなめようとする穏健派、そして軍の秘密警察が、祭りの喧騒の陰で暗躍していた。

 夕刻、花婿と花嫁が寝室へと消えたが、重圧から、花婿は花嫁を抱くことができない。アラブの伝統的な婚礼では、花嫁の鮮血が染みついたシーツを客に披露することで、夫婦の証として儀式は完結するのだ。焦る花婿、せかす両親、村内の緊張感が極限に達し……

=====ここまで。


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 TwitterのTLに、シネマブルースタジオの特別上映情報が流れて来たので、映画友を誘って見に行ってまいりました。シネマブルースタジオは、北千住にあるのですが、今回初めて存在を知り、当然、初めて行きました。

~~ネタバレしておりますので、よろしくお願いいたします。~~


◆結婚式(披露宴)って恥ずかしい。

 上記あらすじには言及がないのだが、舞台となるパレスチナの村はアラブ人キリスト教徒の村で、それをあまり本作内で主張はしないけれども、パレスチナ=ムスリムの結婚式、というのではない。

 とはいえ、アラブの伝統を大事にした婚礼であり、花嫁・花婿の準備のシーンはかなりの時間をかけて描写される。花嫁が全裸になって身体を洗われ、化粧を施され、衣装を着けられ、、、というのをひたすら見せられるのは、風俗の描写としては興味深いものの、複雑な気持ちにもなる。

 ストーリー的なヤマ場は、花婿が“出来ない”状態に陥って、すわ、新婚夫婦の契りの証である血染めのシーツのお披露目はどうなる??というところ。

 血染めシーツお披露目習慣は世界各地にあるようだが、いくらその土地の風習で大事にするべきものとはいえ、立派な人権侵害にしか見えないのだが。人権なんて概念のない時代からあった慣習かも知らんが、時代と共に見直してもいいんじゃないですかね、こういうのは。婚前交渉しただけで女性が焼き殺されるなんていう野蛮な習慣もあるけど、この血染めシーツは、本作で描かれているとおり、男性にも相当負荷のかかるものだよねぇ。悪趣味だと思うけど、彼らにとってそれくらい婚礼は子孫繁栄のための神聖なもの、、、ってことなのかね。

 でも、日本でも(最近はだいぶ減っているようだけど)結婚披露宴とかで新郎新婦が金屏風の前に座らされているもんね。血染めシーツはないけど、似たようなもんかも知れん。私にはあの金屏風前の新郎新婦の“晒し”が、「公的肉体関係のお披露目」にしか見えないのだが、、、。新郎新婦、何で皆、あんなに無邪気に嬉しそうにしていられるのか、昔から不思議で仕方がない。

 ……それはともかく。その新婚初夜、花嫁が花婿の脚を丁寧に洗うシーンが、何とも、、、。ベッドにでんと座る新郎の足元に首を深く垂れて脚を洗う新婦、、、という図式は、どう見ても主と奴隷そのもの。父親には逆らえないこの新郎、新婦には威圧的な物言いをするくせに、いざ“出来ない”となると急に卑屈になって泣き出す始末。肝が据わっているのは新婦の方だ。

 はたして新婦がとった行動は、、、、えぇ? そんなこと出来る?? というのが率直な感想。つまり、花嫁が自らの手で出血させるのである。見終わって、映画友(女性)とも「あれは可能なのか?」考えたが、なかなか難しいのでは、、、との意見で一致した。とはいえ、あり得ないことではないのだろう、、、分からん。

 その一連の様子を見ている新郎。もはや、男の沽券も何もあったもんじゃない。でもきっと、ほとぼりが冷めたらこの男は妻に人生救われたことなど都合よく忘れて、威張り腐った夫になるんだろうなぁ、、、と思うと、やり切れない思いになる。


◆印象深いシーンいろいろ。

 タイトルには「婚礼」とあるけれど、本作は、婚礼という舞台装置を利用した群像劇である。

 パレスチナの村人たちの描写が色々面白い。私が一番印象に残ったのは、子どもたちが逃がしてしまった馬が地雷原に入り込んでしまうシーン。ふと手綱から解放された馬は、自由になった喜びからか、気の赴くままに走り去って行き、地雷原の中で立ち止まると、悠々と辺りを見渡している。大人たちが慌てて馬を連れ戻そうとするものの、そこは地雷原。おいそれと足を踏み入れることが出来ず、歌声のような音を発したり、誘うような音を出したりして、どうにか呼び戻すことに成功する。

 このシーンが結構長くて、彼らの日常生活を垣間見られた気がして興味深い。

 また、序盤のシーンでは、結婚式を開いても良いと聞いて村の女性が(喜んで)奇声を発するのだが、その声にかなりビックリさせられた。これは、劇場に掲示してあった解説によると「ザガリート」というアラブの女性たちが強い感情を表す際の発声だそう。古くは良いニュースがあることを広めるために用いたとされる。ウルレーションとも呼ばれ、世界中に広く分布していた。歓喜だけではなく悲嘆も表し、転じて連帯をも含意する、とのこと。このザガリートは、その後、何度か描写があった。

 イスラエル軍の女性兵士のエピソードも驚かされた。結婚式に上官と共に来た女性兵士は、具合が悪くなって倒れるのだが、村の女性たちに介抱されて事なきを得る。回復すると、女性たちに着替えさせてもらって、すっかり村人に溶け込むのだが、、、ここで女性兵士と村の女性たちの間に同性愛的な官能シーンが描かれるのだ。これには少々面食らった、、、というか、ハーレム的なもの??と思いきや、そうではなく、完全な女性たちだけの空間であり、そこに異性の介入はまったくなさそうなのである。イスラエルの女性兵士も、その官能に浸っており、そこに民族間の対立など全く意味をなさないことが暗示されているかのようだった。

 劇場の掲示にもあったが、「男たちが外で民族解放を叫びながら、家で妻や妹を殴るのはおかしい。身近な女性を殴らないことが民族解放の第一歩だ」という言葉を、監督のクレイフィは述べているらしい。本作は、それをそのまま映像化したような作品とも言える。

 この劇場の掲示が、簡素ながら、内容は本作の理解に非常に助けになって有難かった。イスラエルに対する辛辣な解説が印象深い。一部引用する。

 イスラエルは法外な存在として法外な暴力を振るい続け、声を上げ続けて来たアラブを西洋世界は等閑視し続け、イスラエルは不処罰の伝統の下で侵略を続けて来た。西洋の等監視はユダヤ人虐殺というヨーロッパの問題を中東に押し付けた結果であり、イスラエルへの不処罰は、オリエンタリズム・レイシズム・犯知性主義に裏打ちされたものにほかならない。

 思いがけず逸品に出会えて得した気分だった。こういう映画はもっと上映してほしいものだけど、色々権利関係とか難しいのかな。

 

 

 

 

 


父親が夜通し婚礼を主張したがゆえに追い詰められた息子、、、お気の毒。

 

 

 

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