映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

蜜蜂と遠雷(2019年)

2019-10-19 | 【み】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66490/

 

以下、上記サイトよりあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 3年に一度開催され、若手ピアニストの登竜門として注目される芳ヶ江国際ピアノコンクール。

 かつて天才少女と言われ、その将来を嘱望されるも、7年前、母親の死をきっかけに表舞台から消えていた栄伝亜夜(松岡茉優)は、再起をかけ、自分の音を探しに、コンクールに挑む。

 そしてそこで、3人のコンテスタントと出会う。岩手の楽器店で働くかたわら、夢を諦めず、“生活者の音楽”を掲げ、年齢制限ギリギリで最後のコンクールに挑むサラリーマン奏者、高島明石(松坂桃李)。幼少の頃、亜夜と共にピアノを学び、いまは名門ジュリアード音楽院に在学し、人気実力を兼ね備えた優勝大本命のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)。そして、今は亡き“ピアノの神様”の推薦状を持ち、突如として現れた謎の少年、風間塵(鈴鹿央士)

 国際コンクールの熾烈な戦いを通し、ライバルたちと互いに刺激し合う中で、亜夜は、かつての自分の音楽と向き合うことになる。果たして亜夜は、まだ音楽の神様に愛されているのか。そして、最後に勝つのは誰か?

=====ここまで。

 2017年に史上初の直木賞&本屋大賞をW受賞した恩田陸原作、同名小説を映画化。

 

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 原作も読んでいないし、見に行く予定もなかったのだけど、たまたまEテレの「ららら♪クラシック」を見たら、本作の特集をオンエアしていて、その中で、本作のオリジナル曲「春と修羅」を作曲した藤倉大氏のインタビューがあって(藤倉氏のことは名前くらいしか知らない)、それで興味を持った次第。ちょうど6ポイント鑑賞も溜まっていることだし、タダならいいか、、、と思って劇場へ。

 タダで見ておいて文句言うな、と言われそうだけど、感じたままを書きます、もちろん。

 

◆刈り込み跡が痛々しい、、、。

 まず、これは原作を読めば分かることなんだろうけど、本作を見る限りタイトルの『蜜蜂と遠雷』の意味がさっぱり分からん。遠雷に関しては、ほんの少し遠くに雷が鳴っているシーンがあるが、だから何だ?というレベル。蜜蜂に関しては、風間塵のお祖父さんだかが養蜂家かなんかで、、、というエピソードがセリフで出てくるだけなので、ますます謎。

 原作ありきの映画化なので、タイトルを変えられないんだろうけど、だったらもう少しタイトルを感じる描写があっても良くない? と、ちょこっと思った。

 ……とまぁ、それはともかく、これはかなり原作を大幅にカットしたんだろうなぁ、、、、ということがもの凄くよく分かる映画でありました。一番それを感じたのは、二次審査の後にすぐ本戦の話に飛んだから。そんな大きなコンクールで、予選が二次までしかないのはあり得ないし、原作では当然三次の描写があったに違いなく、ということは三次は本当はあったけど、ストーリーとしてはカットしたんだろうな、、、と。

 あとは、主要4人のエピソードがブツ切りで、絡ませ方が強引かな、と。亜夜とマサル、亜夜と塵、それぞれがコンクールで顔を合わせるシーンがあるけど、コンテスタントって誰が出るかなんて絶対把握しているはずなので、「あれ、いたの?」的な会い方はヘンだよね、かなり。多分、この辺は原作にはきちんと背景から微妙な関係性まできちんと描写があるに違いない、と思わせる。

 原作モノの場合、別に映画は映画で独立した作品なので、原作に忠実である必要はないのだけれど、「あー、苦労してカットしたね、、、」と観客に感じさせる、ってのは映画のシナリオとしてはイマイチだろう、とは思う。難しいのは分かるけど、映像化はムリだと言われていた小説に手を出した以上、もう少し何とかならなかったのかな、と。

 敢えてモノローグを入れなかったのは正解だと思うが、オープニングを始め度々出てくる雨の中を疾走する馬のスローモーションのイメージ映像は、アレはナニ??状態。これも原作にはそれを創造させる描写があるのだろう。しかし、本作内ではゼンッゼン話に絡んでいなくて、かなり違和感。スローモーションを多用するのはダサいと思っている者としては、ああいう意味不明なイメージ映像はちょっと見ていて萎える。

 ……などなど、原作を刈りまくったんだろうなという痕跡があちこちに感じられて、ちょっと音楽を堪能する気分になれなかった。

 

◆ピアノ曲「春と修羅」

 で、私が一番本作で興味があったのは、本作内での架空の課題曲「春と修羅」でありました。この映画のために藤倉氏が書き下ろしたというピアノ曲だそうで。

 「ららら♪クラシック」の番組内でも河村尚子さんが弾いていたんだけど、なかなかステキな曲だった。主要4人のために、それぞれカデンツァも書き下ろしたということだったので、それも聴きたかった。

 そのタイトルどおり宮沢賢治の詩から連想する曲ということになっている。いかんせん、私は音楽の感想を書くのが恐ろしく下手クソなので控えておくけれど、水の流れをイメージするような全体像の中に、4つのカデンツァが4人の音楽性の違いを際立たせるようになっている。私が一番いいなぁ、、、と思ったのは、明石版カデンツァ。音も明石の音が私は一番好きだな。ちなみに、明石のピアノを弾いているのは福間洸太朗氏。彼のライブ演奏を聴いたことはないけど、クリアで美しい音だった。

 多分、カデンツァを弾かせるコンクールってあんましないのではないかしらん。本作では、コンテスタント自身に作曲させるようになっていて、亜夜などは直前まで「全く白紙」などと言っていた。もちろん世界レベルのピアニストが即興で弾けるのは不思議でも何でもないことだし、コンクールでカデンツァを課題にするのって、なかなか面白いなぁ~と思って見ていた。

 「春と修羅」面白い曲だった。CDも出ているみたいだから、買っちゃおうかしらん、明石版を。

 ただ、本戦の演奏は皆さん熱演だったけど、明石は二次で落ちちゃったから、一番聴きたかった人の本戦が聴けなかった、、、、というわけ。残念。

 役者さんたちは皆、相当ピアノの演奏の訓練をしたのだろう。手の動きや指の運び方など、決して付け焼き刃的な印象はなく、皆さん素晴らしかった。本物のピアニストっぽく見えたよ。

 

◆天才と秀才

 松岡茉優は、『万引き家族』でも絶賛されていたが、本作でも、この亜夜という人物の感情表現は難しかっただろうなぁと思う(モノローグがないからね)。ただ、本戦の前に、亜夜がコンクールから逃げ出そうとする描写があるんだが、こういうのが私はもの凄くキライで、逃げ出したくなるほど追い詰められるのは分かるが、そこで葛藤して立ち向かうからこそ一流なんだろうが、、、と思っちゃうんだよね。

 コンクールのドキュメンタリーはいくつか見たことあるが、どれも本戦に進むような人たちは、もの凄いプレッシャーと自分との闘いに立ち向かっており、地獄に引きずり込まれそうな不安と、強烈なプライドのせめぎ合いなのだ。亜夜みたいな根性なしのヘタレでは上位入賞は難しいと思う。本戦の試合時間に遅れそうになるなんて展開いらんから、胃がキリキリするような神経戦の描写を入れて欲しかったな~。それでこそ、世界有数のコンクールの舞台裏ってもんでしょ。

 出色は、明石を演じた松坂桃李でしょう、やっぱり。二次で落ちたところの独白シーンは、彼の演技力の高さを発揮する、本作での白眉です。本戦シーンよりも、私はこちらの方が遙かに印象深かったし、泣けた。明石自身は淡々としていたのにね。彼は、本当にこれからが楽しみな素晴らしい俳優だと思う。

 森崎ウィンくんと鈴鹿央士くんは、正直、あんまし印象に残らなかった。塵が練習に使っている木で出来た音の出ない鍵盤だけど、あれで本当に世界に通用するピアニストになれるのか、、、??とものすごーーーく引きました。

 3人の天才と、1人の秀才(明石ね)の物語なんだけど、天才たちの苦しみって、こんなもんじゃないだろうな、というのが率直な感想。峰高ければ、それだけ谷が深いのが道理。秀才は秀才の悩みがあるけれど、天才とは根本的に違うのよ。それを明石が実感する浜辺のシーンなどは印象深いが、亜夜と明石の苦悩は伝わってきても、あとの2人のはゼンゼン分からない。天才と秀才の対比、ということであれば、亜夜と明石の2人に主要人物を絞った方が良かったのかも知れない、と感じた次第。

 そして、何気に存在感を発揮していたのは、ここでもやっぱり平田満氏でありました。さすが、、、。   

 

 

 

 

 

つい、“ハチミツと遠雷”と思っちゃうんだよね、、、。

 

 

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