映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

皆殺しの天使(1962年)

2018-01-17 | 【み】



以下、イメージフォーラムHPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 オペラ観劇後に晩餐会が催された邸宅。20人のブルジョアが宴を楽しんでいる。夜が更け、やがて明け方になっても、誰も帰ろうとしない。次の夜が来ても、誰もが帰らない。皆、帰る方法を忘れたか、その気力も失われたかのように客間を出ることができないのだ。

 召使いも去り、食料も水も底をつく。何日間にもわたる幽閉状態が続き、人々の道徳や倫理が崩壊していく。突如現れる羊や、歩き回る熊の姿。

 事態は異常な展開を見せていく・・・。

=====ここまで。

 不条理映画は大好きだけど、これは想像の斜め上を行く展開で、ボーゼン、、、。

   
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 イメージフォーラムでのブニュエル特集にて。平日だったのに結構な人。先週いっぱいで終わりの予定が、「好評につき上映延長」なんだとか。スクリーンで見ることができる機会はそうそうないので、分かる気がする。


◆これはサバイバルの話よ、多分。

 冒頭から、同じシーンが繰り返されて、映写機のトラブルかと思ったよ、、、。まあ、もちろんトラブルなんかじゃない。上記にストーリーをコピペしたけど、見ているとストーリーと呼べるストーリーはないと言っても良い。

 本作は一般的には、“ブルジョワ批判”と言われていて、まあ確かにそうだと思うけれど、なんかもう、それ以前の問題という気もする。つまり、ブルジョワ批判というより、人間批判、みたいな。人間のおかしさをこれでもか、と描いていると思うのだよね。屋敷に閉じ込められて(というか、勝手に閉じこもって)数日過ぎて、水が無くなってきた辺りから、もう、ブルジョワもクソもない、遭難した人々のサバイバルみたいな様相を呈してくるのだから。

 挙げ句の果てには、熊やら羊やら、動物たちが屋敷内を闊歩し、人間たちを嘲笑うかのよう。羊の内の1匹は、人間たちにおびき出されて(喰うために)殺されてしまうんだけれど。

 そもそも、屋敷から、どういうわけか出られなくなる、、、、なんてのは、不可抗力、神の見えざる手による仕業。ブルジョワだって逆らえない。しかも、彼らは、必死で屋敷を出ようとはしていない。

 この、何だか分からなさ、、、が、本作のミソだけれど、閉じこもっている間に、自殺者も出るし、病気で瀕死の状態になる人もいるし、まさしく屋敷内はカオスと化していて、『ビリディアナ』の乞食たちの宴会と同じく、またしても“滅茶苦茶”なのよ、、、。ブニュエルさんは、こういう混沌とか、滅茶苦茶、グチャグチャがお好きなのね。見ている方の頭の中も、ウニ状になります。


◆皆殺しの天使

 で、このタイトルですよ。ブニュエルは、親しい作家が将来の作品のために用意していたタイトルを拝借して、本作に付けた、ってことなんだけど。

 この、意図せずに閉じ込められて、屋敷から出ない限り死を待つのみ、つまり、自分の命運を神の見えざる手に委ねるしかない状態が、まあ、まさに“皆殺しの(鍵を握る)天使”という風にも言えなくもないかな、と。

 まあ、究極的には、人間というのは自分の寿命は自分で決められない、何か見えざる力に動かされている要素が多分にある、と考えれば、世界中の人々は、皆殺しの天使に操られている、とも言えるんじゃない? とか。

 閉じ込められていた人たちは、一旦、屋敷を出ることが出来るんだけれど、その後、教会にぞろぞろと入っていき、そこでふたたび閉じ込められることが暗示されてエンドマークとなるんだけど、なんか、こうして閉じ込めが繰り返されること自体、人生のメタファーなのかもね、とか。だって、生きていれば、どうにもならなくて足掻いたりもがいたりするだけの事態に直面すること、誰にだってあるじゃない? ある意味、人生のブラックボックスに閉じ込められた感じよね。

 屋敷から一旦出る過程が、実にふざけていて笑っちゃう。ワルキューレ(じゃじゃ馬の処女という意味)と呼ばれているレティシアという女性が、いきなり「今、私たち、あの時(閉じ込めが始まったとき)と同じ位置にいるわ!」とか言って、皆がその時の会話や行動を再現してみると、難なく部屋からも屋敷からも出ることができたのです! っていうことなんだけど、、、見ていて思わず噴き出しました。そりゃないでしょ、ブニュエルさん、、、。

 屋敷から出ると、屋敷の異変に気付きながらも屋敷に突入できずにいた警察が待ち構えていたり、晩餐会が始まったときに出て行ってしまった使用人が戻ってきたり、、、。なんか、狐に化かされて元に道に戻ってきた迷い人のような感じです。あらら、、、。

 まぁ、とにかく、本作はブニュエルさんのやりたい放題に翻弄された挙げ句に、最後はあっけなく放り出されてぽか~ん、、、て感じでした。

 

 




あと、5回くらい見たら、もう少しマシな感想が書けるかも。




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