映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ニュースの真相(2015年)

2016-08-11 | 【に】



 ジョージ・W・ブッシュ大統領はコネを使ってベトナム派兵を逃れたのではないか、、、という噂はもともとあった。が、飽くまでも噂は噂のまま、彼が大統領2期目を目指していた2004年、再選されるか否かという微妙な時期に、大統領自身の軍歴に疑問を投げ掛けるスクープが報道された。

 ブッシュの軍歴詐称疑惑について追跡取材を進めるうちに、決定打と思われる資料“キリアン文書”を入手した、CBSテレビのニュース番組プロデューサー、メアリー・メイプス(ケイト・ブランシェット)は、苦心の末に資料の裏をとり、ダン・ラザー(ロバート・レッドフォード)がアンカーマンを務めるCBSの看板番組で報道に踏み切ったのだった。

 が、しかし、、、。報道直後から、裏をとったはずの決定打と思った“キリアン文書”にケチがつき、報道の真偽に疑問が持たれるように。他の報道各社も調査に乗り出し、CBSのニュース自体がクローズアップされ騒ぎになる陰で、ブッシュの軍歴詐称疑惑自体は闇に葬られ、、、。

 実際に起きた“大誤報事件”を映画化。同じことは日本でも起きていますが、、、。



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 実話ものはイマイチ苦手なのに、なぜかこれは興味をそそられ見に行ってしまいました。サービスデーだったからか、なんと全席完売。ひょ~~。ま、イロイロ考えさせられました。


◆報道モノの定番を覆す映画

 ダン・ラザーの名前は、私の年代くらいまでの人ならよく知っているはず。CBSニュースは日本でも夜中に放送されていました。確か、吹替えで。本作のネタとなった事件は、実は私はあまりよく知らなくて、ブッシュの軍歴詐称疑惑報道はよく覚えていますが、なんだかうやむやになったなぁ、、、くらいにしか認識していませんでしたが、こんなことがあったのですね。

 これだけ人物関係も事実関係も複雑に入り組んだ話だと、ちょっと、事態を正確に理解するのは難しいです。大体の流れは分かりますけれども。字幕を追うのに必死になってしまい、映画に集中できないというか、、、。こういう作品は吹替えで見た方が分かりやすいかも知れません。

 ただ、本作は、中盤以降、観客が??と思うところについて、きちんと説明したり、まとめて解説したりしてくれているシーンがあります。それも、わざとらしい説明セリフではなく、必然性を持った形でね。なので、途中で???と思っていても、ラストまでにはキッチリ収集がついていますので辛抱して最後までしっかり見れば大丈夫。伏線もきれいに回収してくれていますので、この辺りの脚本の妙は素晴らしいです。

 報道モノの映画だと、大抵は『スポットライト 世紀のスクープ』みたいに、大スクープをしてそれまでのスタッフの苦労が報われ、、、というお話が多い訳ですが、本作は、スクープ報道後が本筋で、凄まじい権力との闘いが繰り広げられ、結果的に報道側が屈するという、報道モノの定番とは異なる展開です。
 

◆スクープして祝杯を挙げる、ということ。

 序盤、ブッシュの軍歴詐称をスクープ報道した後、メアリーとダンら、スタッフが祝杯を挙げるシーンがあるのですが、、、。正直、ちょっと失望しました。あれだけの大スキャンダルを報じたことに対する緊張というか畏怖というか、報道の重みを感じていないように見えたからです。違う意味で重みは感じていたからこその祝杯なんでしょうが、少なくとも、報道が引き起こす事態に対する緊張感は感じられなかった。

 報道する側というのは、報道対象が権力者であれ犯罪者であれ、自分たちが報道する内容によって、関係者の人生を狂わせるかも知れない、という自分の仕事に対する畏怖と緊張感が欠かせないと思うわけです。だからこそ、“確実に裏をとれ”ということなんだけれども、裏をとったら報道して、報道した側の勝利で終わって良いのか。

 メアリーとダンの祝杯には、勝利で終わった!!という満足感がありありと現れており、そこに軽く失望を覚えました。なので、私はその後の展開もむべなるかな、、、という思いで見てしまいました。

 メディアは権力の監視者である、けれども、メディアはそれだけで存在自体が正義な訳じゃありません。メアリーに、そのことに対する驕りはなかったと言えるだろうか、、、。私は、あの祝杯シーンに、やはりそれを感じたのです。“私たちこそ、正義よ”という驕りを。


◆蟻の一穴から全てが崩壊

 こういう、検証報道というのは、本当に、蟻の一穴から崩されて、コトの本質が見誤れることはよくあります。

 どんなことでも、何かを批判するということは、自分にも同じかそれ以上の批判が返って来るということ。卑近な例でも、誰かを批判すれば「お前はどーなんだよ?」ってことになるわけで。「お前だって○○じゃん」と、相手は些末なことでも揚げ足を取ってくる。人間、図星をつかれて追い詰められると、反撃のためには手段を選びませんから。地位や肩書にこだわる人ほど、この傾向は顕著でしょう。

 報道というか、メディアの役割とは、権力の監視がその第一義である以上、権力批判が仕事みたいなものです。であればこそ、蟻の一穴の隙もないほどに、事実を固め、批判を完全にかわさなければならない。少なくとも、本作でのこのネタにおいては隙があった。そこから突き崩されて、結局、大本命のブッシュのベトナム逃れは吹っ飛んでしまったのです。ん~~、残念。

 ブッシュはきっと、ほくそ笑んでいたことでしょう。なんだかんだと、結局2期目も務めましたからね。

 日本でも、捏造だ、誤報だ、というのはしょっちゅうです。中でも、慰安婦問題などは、その報道の在り方ばかりがフォーカスされてしまい、しかも対象となったお隣の国がまた一筋縄ではいかない相手だったということもあって、結局、あの問題の本質は何なのさ、、、ということになっています。


◆会社は社員を守らないのよ

 こういう問題が起きると、誰かシンボリックな一人が人身御供になって、組織は保身に走る、というのが定石です。

 本作でも、メアリー一人が槍玉に上がってしまい、ブロデューサーとしての手腕を問われるのは当然としても、その思想信条、家庭生活、生育環境、果ては彼女を虐待してきた父親にまでメアリー批判をさせるという、異常な状況が生まれていました。本来なら、彼女を虐待した父親こそ非難されるべきなのに、虐待した当事者が「あの女はリベラリストの困ったフェミだ。育てにくい可愛げのない女だ」という言葉を、無批判で報道する。それは、メアリーの過失に見合うものなのか。

 問題は、ブッシュの軍歴詐称でしょう。大統領ともあろう人間が、軍歴を偽っているかもしれない、そのことの重みを、もう大衆は忘れてしまう。忘れるように、実に狡猾・巧妙に権力側は誘導するのです。これに、我々大衆は乗ってはいけないのに。

 終盤、メアリーが第三者委員会で最後に反撃するシーンが印象的です。そう、彼女の言っていることは正論です。そのとおりです。でもね、正論が封じられてしまうのよ、ほんの小さなほころびがあったというだけで。彼女の無念はいかばかりか、、、。

 結局、会社は社員を守らないのですよね。メアリーが証拠をねつ造していたのなら、そら解雇は当然でしょう。誤報でさえなかったはずなのに、誤報にされた。会社は権力にあっさり屈したのです。メディアって何なんでしょうねぇ。組織になった瞬間に、メディアも権力になってしまうということを、本作は描いています。


◆その他もろもろ

 それにしても、ロバート・レッドフォード、すごい歳とりましたね、、、。でも、彼は、ずっと映画を撮ったり出演したり、一線に居続けているので凄いなぁ、と思います。ただまぁ、、、ジャーナリストって感じではなかったかな。ちょっと目に鋭さが足りない感じがしました。

 ケイト・ブランシェットは相変わらずの存在感。バリキャリのプロデューサーがハマっていました。メアリーを支えた夫・ジョナサンがイイ男でした。ルックスが、じゃなくて、人間としてです。決してメアリーを責めずに、常に勇気づけてくれる夫、、、。なかなかいないんじゃないでしょうかね、こんな大人な器の大きな男は。

 メアリーと一緒に取材に駆け回るスタッフのおじさんの顔、どっかで見たよなぁ、、、と思っていたら、デニス・クエイドだった!! ごめん、最後まで気付かなかった! 別にすごいルックスが変わったとかじゃないのに、なぜか、分からなかったわぁ。

 まあ、実話が元ネタなので、真に迫っていて面白いとは思いますが、好き嫌いで言っちゃうと、好きじゃない作品です。








で、真相(TRUTH=原題)は“ブッシュは詐称していた”ってことを言っているのね。




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