映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

人間の値打ち(2013年)

2016-11-16 | 【に】



 イタリア・ミラノ郊外の豪邸に暮らすベルナスキ家の息子マッシミリアーノと、自分の一人娘セレーナが恋人関係にあるのを良いことに、しょぼい不動産屋のディーノは、ベルナスキ家の主で投資家のジョヴァンニに取り入り、自分も投資で一儲けしようと企む。

 もちろん、失敗し、借金で作った投資金はパー。

 ところが、どん詰まりだったディーノに格好の金儲け材料が転がり込んでくる。なんと、とあるひき逃げ死亡事件でマッシミリアーノが容疑者扱いされていたところ、真犯人を偶然知ったことで、マッシミリアーノの母親でベルナスキ夫人のカルラ(ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ)に、真相を教えることの引き換えに大金を要求するという取引を持ち掛けるのだ。

 それだけではない。もともと、カルラをイイ女だと憧れていたディーノは、ディープキスまで要求するのである。ヤな男、、、。

 ディーノ、カルラ、セリーナの3人の視点から同じ事象を見る手法で描かれる。
 

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 ホントは別の映画を見る予定だったんだけど、ちょっと想定外のことが起きまして、終映間近な本作を見てみました。新聞の映画評で、格差社会のひずみをあぶり出す上質ミステリー、みたいなことが書いてあったので、そこそこ興味を持って見たのですが、あの映画評はかなり的外れだったんじゃないかと感じた次第。


◆格差社会、、、とはあまり関係ないような。

 アメリカの次期大統領がトランプ氏に決まり、メディアは社会の分断だの、格差が浮き彫りになっただの、、、イロイロ言っていますが、本作に描かれる3つの家庭の経済格差は、確かに大変なものがありますけれども、こういう設定は、何も現代の格差社会を反映したものなんかではゼンゼンなく、非常に古典的かつ類型的なものです。

 強いて、現代を反映しているというのなら、それはジョヴァンニが投資家として大金を得ている、という点でしょうか。以前なら、大きな会社の社長とか、大病院の院長とか、悪徳弁護士とか、政治家とかでしょ、金持ちの典型的職業は。

 でもって、金持ちの奥様は、贅沢三昧だけれど毎日に退屈している美しい有閑マダムで、当然、夫婦の関係は冷えている、、、って。ありきたり過ぎで、これのどこが上質ミステリー?

 おまけに、一攫千金を企むディーノの商売は不動産屋、離婚歴があって(妻に逃げられた)、娘は賢くてしっかり者、、、。ううむ、つまらん。

 なんかもう、序盤でちょっとガッカリ感が、、、。


◆金持ちのドラ息子がひき逃げ犯なのか?

 ただ、本作は、作りが3つのチャプターで構成されていて、一連の同じ出来事を違う目線で追い、また、それぞれのチャプター独自の描写も織り交ぜながら、コトの真相を描いて行くので、その作りはなかなか面白いし上手いな、と思いました。

 最後のチャプターが、セリーナの視点なんだけれど、これで、ひき逃げ事件の真相が分かります。ここには真相は書きませんけれども、私はちょっと、その成り行きには解せない部分もありますねぇ、、、。かなりムリがないか? と思っちゃう。

 結論だけ書くと、マッシミリアーノはひき逃げ犯ではありません。容疑者扱いされて、世間でさんざん両親も叩かれます。おまけにジョヴァンニは途中で投資に失敗し、それこそ家も土地も全ての資産を手放さなければならなくなるかもしれない危機に陥ります。そんな中で起きた息子のひき逃げ犯疑惑。金で解決できそうだと持ち掛けられても、ジョヴァンニは自分にとって1銭の得にもならないと見向きもしません。この辺が、金の亡者のドライさなんでしょうかねぇ。

 でも、マッシミリアーノの疑惑が晴れると、ジョヴァンニの賭けみたいな一発逆転投資が功を奏し、再び大富豪に返り咲き、大邸宅では贅を尽くしたパーティーが開かれる、、、というのがラストシーン。


◆人物造形も物語も類型的過ぎ

 その間、ずっと憂いの表情を浮かべているのがヴァレリア・ブルーニ・テデスキ演じるカルラです。

 本作の何がイマイチかって、登場人物に魅力的な人が、セリーナ以外誰もいないんですよねぇ。一番嫌悪感を催すのは、もちろんディーノですけど、カルラもなんだかなぁ、、、な人なんです。

 金持ちの奥さんで、ちょこっと不倫なんかもして、夫の稼いだ金で文化活動に精を出そうとしたりもするけど、どれも中途半端。

 こんな人生、つまらないだろうなぁ、、、と、見ていて思いましたねぇ。まあ、金があってもこういうのはいかがなものか、というキャラなんだから、私がそう感じたということは、作り手の狙いどおり、とも言えますが。

 金持ちの奥さんで、旦那が稼いだ金しか使えるお金がなくても、もっと人生楽しんでいる人もいるはずでしょ。別に不倫なんかしなくたって。

 でもって、しょぼい不動産屋の娘セリーナは魅力ある少女で、主体的に生きている、というキャラ。

 金持ちでもつまらん人生 VS 貧乏でも充実した主体的な人生、という掃いて捨てるほどありそうな物語。だから、こういう類型的な人物造形がイヤだなぁ、と思っちゃったんです。

 
◆その他モロモロ 
 
 ヴァレリア・ブルーニ・テデスキは相変わらず美しかったです。セリーナを演じたマティルデ・ジョリは、当時24歳くらい? 個性的な美人で、大胆に裸体を晒して、才能も度胸もある女優さんとお見受けしました。

 翻って、男性陣は、うーーーん、イマイチ。マッシミリアーノを演じたグリエルモ・ピネッリくんも、イケメンとは言い難い。イタリアにはイイ男がもっと一杯いると思うけれど、本作では見当たりませんでした、、、、ごーん。

 タイトルは、あまり深読みするほどの意味はないかと思いますね。最後に字幕で出た通り、保険の支払で算定される根拠=その人の値打ち、ってことでしょう。思わせぶりなタイトルをつけた本作自身の値打ちも、さほどのものではないように思えます。






地下(?)にプールのある家、住んでみたいですか?




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