映画 ご(誤)鑑賞日記

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2重螺旋の恋人(2017年)

2018-09-01 | 【に】



 以下、公式HPよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 原因不明の腹痛に悩まされていたクロエ(マリーヌ・ヴァクト)は、精神分析医ポール(ジェレミー・レニエ)の元を訪れる。穏やかなカウンセリングによって痛みから解放されたクロエは、ポールと恋に落ち、同居を始める。

 そんなある日、クロエは街でポールにうり二つの男と出会う。ルイ(ジェレミー・レニエ)と名乗るその男はポールと双子で、しかも同じ精神分析医だという。

 なぜポールはルイの存在を隠しているのか。真実を突き止めようと、偽名を使ってルイの診察室に通い始めたクロエは、優しいポールと異なり傲慢で挑発的なルイに惹きつけられていく……。

=====ここまで。

 オゾン作品は、何となく見たくなるというか(見ていない作品も結構あるけど、、、)、本作も予告編を見て、ううむ、、、という感じだったけど、結局見に行ってしまいました。……まあ、なんというか、あんましオゾンぽくないような、……でもやっぱしオゾンかなぁ、、、とか、ちょっとモヤモヤ感が残る作品でございました。

 
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◆クロエ=オゾンの思い込みの塊、じゃない?

 私のオゾン作品に対するイメージは、シニカルで意地悪、妄想もリアルも入り乱れサスペンス色濃く、人間の醜さを描いている、という感じなんだよね、、、。妄想も結構あるけど、リアリティというか、人間のリアルな醜悪さを描いていることが多いので、あまり観念映画を作る人というイメージはなかったんだけど、本作は、もう徹頭徹尾、彼の観念映画としか思えなかった。

 彼はゲイだから女性を客観的に見ている、というのはよく聞くオゾン監督評だが、本作に限ってはそれは当てはまらないと思う。マリーヌ・ヴァクト演ずるクロエは、オゾン監督の脳内で産み出した、彼の女性に対する“思い込みの塊”に見えて仕方がなかった。

 つまり、女は優しいだけの男には飽き足らず、粗野な男に(適度に)乱暴に扱われることを密かに望んでいるはずだ、という思い込み。オゾン監督ほどの人でも、そんな巷で言われる陳腐なデマを信じるものなのねぇ、、、と、まあぶっちゃけて言えば、軽く失望したのよね。

 彼はフランス映画祭で来日した際に、「私がこの作品で描きたかったのは『性の不満足』。セックスと心の問題の乖離だ」と語っているとか。性の不満足の解消=パートナーと正反対の性癖を持つ相手とのセックス(本作の場合はそれが“暴力的なセックス”)ってのはかなり短絡的な思考回路だと思う。彼がそう考えたかどうかは定かではないが、本作を見る限りは、そう考えたんじゃないかと思える。

 これって、非常に危険な思い込みで、こういう思い込みの延長上に、「女にはレイプ願望がある」とかいうトンデモな発想があるわけで、ハッキリ言って、女の私からするとかなり不快である。

 暴力的なセックスを好む女性はいるかも知れない。しかし、だからといって、“女は暴力的なセックスもOKなんだ”という思考は、絶対的にNGである。セックスの嗜好は千差万別だから、それは当人同士がきちんとコミュニケーションをとりながら楽しむものであって、飽くまで当人同士の間の了解があってのこと。本作では、ルイがいきなりクロエを襲うという、レイプまがいのシーンもある。

 別に本作で、クロエにレイプ願望があるという描写がされているわけではないけれど、優しいポールと荒っぽいルイとの3Pをクロエが妄想するシーンがあり、これなんかは、もうホントに言っちゃ悪いがゲスな男の妄想シーンとしか思えなくて、苦笑してしまった。オゾン監督も、ヘテロの男とおんなじこと考えるんやなぁ、、、と。だから、ちょっとオゾンぽくないような感じを受けたわけ。


◆どこまでがリアルなのか、、、?

  双子って、創造力を刺激する存在なんでしょうねぇ。本作を見ながら、クローネンバーグの『戦慄の絆』を思い浮かべておりました。『戦慄の絆』でも、やはり双子が1人の女性を共有していたのだけど(その女性を、大好きなビジョルドが演じていたけど、あの作品でのビジョルドはイマイチ素敵じゃなかった……)、あちらの作品はリアルな世界での出来事を描いていて、ジェレミー・アイアンズ演ずる双子は悲劇的かつグロテスクな最期を迎えていた。

 方や、こちらのポールとルイの双子は、、、私は見ている間中、ルイの存在はクロエの妄想ではないかと感じていた。しかし、終盤、ポール自身がルイのことを語るシーンもあり、ああ、やっぱり双子なんだ、、、と思わせられる。それに、この双子はある女性を悲劇に陥れた過去を共有しており、その事実をクロエが突き止める、、、などというエピソードも出てくる。

 まあ、あとはネタバレになっちゃうから書かないけれども、とにかく、この双子が実在するものと確信させられた挙げ句に、ラストで足下を掬われるわけだから、こういう作りは、やっぱしオゾンだなぁ、と思った。決して観客を安定した場所に置いておかない、という意地悪さ。まあ、そこが好きでもあるんだけど。

 終盤出てくるジャクリーン・ビセットが結構カギを握っていると思う。え、、、ええ~~??な役回り。彼女が、クロエが入院して駆けつけたときに襟に付けていたのが、あの“猫のブローチ”(詳しくは本作を見てください)ってのが、うわぁ、、、って感じだった。未見の方には何のことやらさっぱり分からなくてスミマセン。


◆その他もろもろ

 マリーヌ・ヴァクトは美しかった。ちょっと、ビノシュを思わせる感じがしたんだけど、それってあんまし彼女にとっては嬉しくないことかしらん? 途中、ルイとの関係を重ねるうちに、どんどん妖艶さをまとって美しくなるんだけど、この辺の描き方も、若干陳腐さを感じた次第。まあ、精神的にも肉体的にも充たされていく、、、ってことを描いているんだろうけどね。

 全裸で椅子に座っているシーンで、マリーヌ・ヴァクトもジェレミー・レニエも、段腹なんかにゼンゼンなっていなくて(アタリマエか?)、こういうところも役者さんって大変なお仕事よねぇ、、、などと思ってしまった。

 クロエが苦しんでいた腹痛の原因が、“寄生性双生児”だった、と判明するシーンは、ちょっとグロいです。寄生性双生児って、もしかして、「ブラック・ジャック」のピノコが生まれたエピソードと同じかな? ピノコは人間になるだけの“部品”が奇形嚢腫にあったのだけど、本作では、、、(グロです)。

 双子を演じたジェレミー・レニエが頑張っていました。当初は別の俳優になるはずだったけど、その人が降りちゃった、、、とのこと。ゼンゼン違うキャラの人間を見事に演じ分けておられました。『戦慄の絆』のジェレミー・アイアンズ演ずる双子は、どっちがどっちか分からなくなる場面もあったけど、本作は混同することはまったくナシ。奇しくも双子を演じたのはどちらもジェレミーだね、、、。ものすごくどーでもよいことで、、、スミマセン。








ラストシーンでビックリ&ちゃぶ台返し!?




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2 コメント

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双子のリリース (松たけ子)
2018-09-02 22:34:52
すねこすりさん、こんばんは!
この作品、観たいです!私も観てないオゾン監督作品、結構あります。
ゲイの名匠たちの作品は、かなりイビツな女性賛歌映画が多いけど、オゾン氏もそんな感じですよね~。レイプ願望とか、やっぱゲイも男だよなと失笑しちゃいます。
オゾン監督作品に出るのは超久びさなジェレミー・レニエ、すごく好きなんですよ~。この映画でもすっぽんぽんになって頑張ってるみたいですね。今回の彼みたいな役を、日本の人気俳優に演じてほしいけど、ぜったい無理なんでしょうね~。
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贅肉のない人々 (すねこすり)
2018-09-03 21:04:21
たけ子さん、こんばんは〜♪
ジェレミー、頑張ってましたよ! サンローランでも大胆でしたが、こちらも引けを取らない脱ぎっぷりです。
是非でっかいスクリーンでご覧くださいましっ!
さしものオゾン監督にも凡庸なとこがあるんだなぁ、とガックシくるやらホッとするやら。
でも、楽しめると思います♪
たけ子さんの感想が楽しみです!
台風来るみたいなのでご用心ください。
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