オーディションに遅れてきた女優ワンダと、オーディション会場から帰ろうとしている演出家トマ。最初こそワンダを追い返そうとしたトマだが、次第に彼女のペースに乗せられて・・・。
ラストは、驚愕とともに思わず笑いが、、、。
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本作は、度々予告編を見ていたので、ポランスキーだし見てみたいなぁ、と思っていて、ようやく先日見に行った次第。
いやぁ、しかし、これは面白い。というか、不思議な感覚に襲われました。
最後まで見て思うに、ワンダはトマの書いた戯曲を、最低の女を装いながら最高の方法でぶった切った、ってことでしょうねえ、これは。彼女の怒りを、妖艶に、かつ知的に、最上の趣向でぶつけたわけですね、トマに。
トマの書いた戯曲と、本作は見事にリンクし、最初こそオーディションとしてワンダとトマは「演じて」いますが、次第に、虚実の境が曖昧になってきます。もちろん、観客もトマ同様にワンダに誘われて、次第に、どこからが素の彼らで、どこからが演技なのか、もう分からなくなってくるわけです。
まあ、でも、これは想定内の展開です。
問題は、その曖昧さに酔いそうになって来たところで、いきなり横面を張られたかのように「現実」を差し入れてくることです。トマも、本作を見ている私たちも、ワンダに良い様にヤラれます。そしてまた、曖昧の世界へ・・・。
キーになるフレーズがありまして、「神、彼に罪を下して一人の女の手に与え給う」。これは「聖書外伝、ユディト記」からの一節だそうで(と、作中でトマが言っております)、このフレーズが、まさしく、本作を貫くテーマ、、、というか、ワンダが体現するものです。
考えてみれば、ユディトですもんね。本作のラストは暗示されていたわけです。いや~、やられました、、、。
トマは結局のところ、自分の書いた戯曲の女が自分自身の投影だということに、ワンダによって自覚させられるわけですが、その後がね、、、。これって、もしかして、ポランスキーの願望だったりして。
マゾと言えば、月並みに谷崎潤一郎が思い浮かぶけれど、ラストシーンなんか、「痴人の愛」そのものじゃんかー、と思った方は少なくないはず、、、!?
それにしても、本作のコピーにもある通り、ワンダとは一体、何者だったのでしょうか。
ワンダを演じたエマニュエル・セニエが素晴らしく、下品な商売女風から、知性ある貴婦人風まで、瞬時に演じ分け、顔や声まで違ってくるのだから、なんともはや、圧巻です。ちょっと前に見た『母の身終い』で、主人公の男が通りすがりの情事を交わす相手が、このエマニュエル・セニエでした。本作とは、似ても似つかぬ人物造形。恐れ入りました。
マチュー・アマルリックは、『チキンとプラム ~あるバイオリン弾き、最後の夢~』で初めて見て、その後『グランド・ブダペスト・ホテル』、そして本作と続いて、どれも同じ人とは思えないくらい、ゼンゼン違う顔を見せてくれています。
オープニングとエンディングの音楽も素敵です。90分ちょっとの異世界への入口と出口にふさわしい音楽です。
いまだに『戦場のピアニスト』の余韻にとり憑かれているというのに、こんな作品を見せられちゃって(って見に行ったんだけれど)、ポランスキーさま、あなたはなんちゅーことをしてくれるのでしょうか。私のこの持って行き場のない心持を、どーしてくれるのさ、と言いたい。
マゾとか倒錯とかより、これはある女の華麗なる激怒の表現、と見た
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