映画 ご(誤)鑑賞日記

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ディーパンの闘い(2015年)

2016-02-27 | 【て】



 以下、公式サイトのあらすじのコピペです。====ここから

 主人公は、内戦下のスリランカを逃れ、フランスに入国するため、赤の他人の女と少女とともに“家族”を装う元兵士ディーパン。辛うじて難民審査を通り抜けた3人は、パリ郊外の集合団地の一室に腰を落ち着け、ディーパンは団地の管理人の職を手にする。

 日の差すうちは外で家族を装い、ひとつ屋根の下では他人に戻る日々。彼らがささやかな幸せに手を伸ばした矢先、新たな暴力が襲いかかる。戦いを捨てたディーパンだったが、愛のため、家族のために闘いの階段を昇ってゆく──。

====コピペ終わり。

 ディーパンを演じたアントニーターサン・ジェスターサンは、かつてタミル・イーラム解放の虎(LTTE)に属していたリアル戦士だったお方。

  
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 スリランカがそんなに長いこと内戦状態にあったことさえ知りませんでした。インドの隣の島国で、紅茶が有名で、決して貧しい国ではないということくらいしか漠然と知っていなかったので、内戦が長く続いていたとは思いもよりませんでした。世界には、知らない所でたくさん内戦、内乱、動乱、頻発しているのでしょうね、、、。

 で、本作ですが、、、。うーーん、タイミング的なものもあってのカンヌ・パルムドール受賞でしょうか、、、と、穿ってしまう。何かこう、もやもやが残るんです。もやもやの正体は何だろうと考えたんですが、もしかすると、世間の評に反して“嘘くさい”と思っちゃったのかも、という気がします。

 いや、ストーリー的にはむしろ、リアリティがあると思います。

 3人はパリへ来てから一つ屋根の下の暮らし始めるわけですが、そこはやはり赤の他人同士なのでそれなりに軋轢があります。ここで、ニセ妻(母)であるヤリニが結構、見ている者をイラつかせる自己中女です。最初は、ディーパンだけが働いていたんだけど、生活費が足りなくて、ヤリニに「お前も働け!!」とディーパンは怒るんですが、「家事だって立派な仕事よ!!」と言い返して、平和な日本のリアルな夫婦の会話でもありそうなやりとりが、ちょっと笑えたり。

 あれがありこれがあり、3人は次第に、ぎこちないながらもニセ家族が板についてくるんですけれど(ディーパンとヤリニは途中で寝ちゃいますしね)、そこはやはりニセ家族、いざとなると、ヤリニの自己中が復活し、再び険悪に。ニセ家族でなくたって、リアル家族でも、自己中全開な親や子による摩擦なんてフツーにあるもんな、と納得したり。

 でも、嘘くさいと思ったのは何なのか、、、。監督のインタビュー記事を読んで、ちょっと分かった気がします。

 この映画のテーマは、愛のために闘うこと、愛による人間・家族の再生、ということのようです。これが嘘臭さを感じた最大の理由かも。、、、なんかね、出来すぎな話、というか。かといって、別に、ご都合主義という感じはしないのです。ロジカル過ぎる、理にかない過ぎという感じかなぁ。例えて言うと、自然な感じを作り過ぎて、却って人工的に見えちゃう、みたいな。、、、ゼンゼン分からないですか。すみません。

 偽装家族は、そもそもは生きるためのもの。そこには愛どころか、最初は、情さえも介在していなかった。でも、現実に一緒にいる時間を積み重ねていくうちに、互いに情が生まれていき、それが愛に昇華された、、、ということなんだと思うのですが。そういうことは実際よくあると思うし、吊り橋効果じゃないけど、尋常じゃない状況に置かれれば、精神的な昂揚が恋愛感情に変質することはあると思うので、そこは良いんですけど、、、。

 いくら生きるためのギリギリの策とはいえ、この3人は、過去を捨てることに一切の迷いがない(ように見える)し、あまりにもあっさりとニセ家族を演じられちゃっているんです。そもそも論になっちゃいますが、ここが引っ掛かっちゃったんだと思うのですよね、、、。つまり、出だしで躓いていたわけです。

 それに、3人だけになったら軋轢があるとはいえ、外面的にはノープロブレムで、偽装がバレそうになる危機が訪れることもなく、、、。

 だから、所々では共感できても、違和感は通底してあったような。で、終盤、ディーパンが、本当に闘うシーンは、ストーリー的には確かに彼はああするしかなかっただろうと思いますが、結構、唐突な感じがして、意外な展開というか、見ながら内心「え゛~~~!?」って感じでした。ディーパン役の人は元リアル戦士だったというだけあって、闘いっぷりも堂に入っていて、そこはリアリティありまくりでしたけれども。

 ラストシーンが、夢ではないかという説があるようですが、私は、普通にリアルな描写だと思って見ていました。自分のために命懸けで闘う姿を見たら、ああいうラストもありだろうな、と。

 ただ、ディーパンは本当に、ニセ家族のために闘ったのか、、、という疑念もなくはないです。監督が愛のために闘ったと言っているんだから、疑念もクソもないんですが、私的には、もしかすると、ディーパンは戦士としての使命感に突き動かされていただけなんじゃないか、とも、ちょっと思います。そう思って見ると、ラストが夢だという説も、一理あるかも。、、、いやでも、やっぱりこれは見方としてはかなり屈折し過ぎよね。

 なんか、まとまりのない感想な上に、ケチばかりつけてしまったけれど、見応えはあります。取ってつけたようなフォローが辛いとこですが。





“闘い”とは、目に見えないものとのことかと思っていたら、リアルファイトだった!!




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