映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

異人たち(2023年)

2024-05-11 | 【い】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv84006/


以下、公式HPからあらすじのコピペです(青字は筆者加筆)。

=====ここから。

 夜になると人の気配が遠のく、ロンドンのタワーマンションに一人暮らす脚本家アダム(アンドリュー・スコット)は、偶然同じマンションの謎めいた住人、ハリー(ポール・メスカル)の訪問で、ありふれた日常に変化が訪れる。

 ハリーとの関係が深まるにつれて、アダムは遠い子供の頃の世界に引き戻され、30年前に死別した両親(ジェイミー・ベル&クレア・フォイ)が、そのままの姿で目の前に現れる。

 想像もしなかった再会に固く閉ざしていた心が解きほぐされていくのを感じるのだったが、その先には思いもしない世界が広がっていた…

=====ここまで。

 山田太一の小説を映画化。


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 公開前から話題になっていた本作。私としては、ジェイミーが出演するので楽しみにしていました。GWに入ってすぐ映画友と見に行って、その後、色々と考えるうちに確かめたいことが出て来てしまい、GW最終日に、再見しに行きました。


~~ネタバレしています。ラストに言及していますので、よろしくお願いします。~~


◆これはゲイ映画か?

 巷では、本作は“ゲイ映画”と言われているみたい(?)なんだが、私には、主人公アダムの、亡き両親との邂逅を通じた再生物語と感じた。……といっても、これは鑑賞直後のもので、その後、時間が経つにつれて、違った解釈もあり得るなぁ、、、と思うに至った(後述)。いずれにしても、ゲイ映画と括るのは違う気がする。

 原作が山田太一の小説で、主人公が情を交わす相手がケイという女性から、ハリーという男性に置き換えられたことで、やたらと“ゲイ”やら“同性愛”がフィーチャーされている感があるけど、原作を読んだ者の印象として、この物語の本質にさほど影響していないと思う。

 その本質とは、両親の突然の死によって封印せざるを得なかった少年時代の自身のアイデンティティとの対峙、である。

 本作は、主人公がゲイであるというれっきとしたマイノリティ要素が加わることで、より“葛藤”が生じ、アイデンティティとの対峙が原作よりもハッキリと輪郭を現した印象だ。

 アダムがしばしば“亡き両親”と会って会話を交わすが、それは、リアルに考えれば、アダムの妄想であり、もっというと、遠い昔に置き去りにして来た両親への思慕と理想がない交ぜになったもの。アダムが、母親に、父親に、それぞれ別々にカミングアウトするシーンは、アダムが脳内で想定している両親の反応であり、半面、願望でもある。

 「今、両親の物語を書いている」、、、とアダムはハリーに語っていた。生前の両親の写真や、少年時代の自身の写真、当時の家の写真などを見ているうちに、彼の意識が両親との邂逅を呼び寄せたのではないか。自分でも、妄想や脳内の物語には思えないほどリアルに感じ、両親の体温を肌で感じていた、、、のだろう。ある種のトランス状態というのか。

 そう考えると、そんな状況で情を交わすハリーの存在がリアルであるはずはないのだが、本作を見ていると(原作もだけど)、ハリーとの恋愛はリアルなお話かと錯覚してしまうし、人情として、そうであって欲しい、それでアダムが少しでも癒されて欲しいと思ってしまう。そうして、終盤で打ちのめされるのである。

 けど、原作は、ラストが主人公の未来を感じさせる、読後感が意外に爽やかなのに対し、本作は、打ちのめされたまま、さらに哀しい結末を予感させられて終わり、鑑賞後感は重く辛い。

 ……この違いは何なんだろう??


◆ラストシーン、、、え??

 鑑賞後、数日経ってから、妙に気になりだしたのがあのラストである。ベッドで、アダムと異人のハリーが抱き合ったまま星になる、、、というあのラスト。

 原作を読んでいたから、当初はそれに引っ張られていて、アダムはまた孤独に戻ってしまったのだな、原作よりさらに救いがないな、、、などと思っていたのだが、よくよく考えると、あのラストは示唆的だったのではないか、、、と。それで、本作の原題を改めて思い出し、やはり示唆的なのかも知れない、、、と。

 何を?

 つまり、アダムも異人である、、、ということ。

 本作の原題は“All Of Us Strangers”である。直訳すると“我々皆異人”。……はて???(朝ドラの影響じゃないですヨ) やっぱしそういうことじゃない?

 本作の登場人物は、アダムとハリー、あとはアダムの亡き父母の4人だけである。明らかに異人として描かれているのが、アダム以外の3人。このほかにアダムが直接言葉を交わす人物はいない。つまり、本作内で、アダムがリアルの世界で交わっている人は、いないということになる。

 ……とまあ、普段はあまりやらない読み解きみたいな感じになってしまったけれど、あのラストはそういう風にも見えるよなぁ、、、と一旦思ってしまったらそれが頭から離れなくなってしまい、そうすると、細部がイロイロ気になってしまった。

 ジェイミー演ずる亡き父との最初の邂逅はどんな流れだったっけ? ハリーと2度目に会ったときはどんなだった?? とか。

 なので、2度目を見に行ってしまった。

 で、結論から言うと、アダムも異人と考えてもゼンゼン矛盾はないな、、、ということ。でも、アダムだけはリアルと見ても問題ない。ある意味、巧く作っているなー、と。

 個人的には、アダムも異人だとする方が何となく好きかな。んで、あのほぼ無人のタワマン自体が、実は虚構なのだった、、、と。というか、あのタワマン、よく見ると何となく牢獄みたいにも見える。アダムの心象風景と思えば、それも納得できる気がする。つまり、タワマンには本当は普通に人が住んでいるのだけど、異人が2人いた、、、とね。これって、もしかしてホラー??

 これは原作を読んだときも感じたのだけど、異人は、異人同士で「あいつは異世界の者だ」と分からないもんなのかね??ということ。で、原作は、そういう風にも読めるのだ。原作で、主人公が亡き両親との初めての邂逅を果たすのは、ケイが亡くなって異人として主人公と交流し始めた後である。そして、原作の主人公は、確実にリアルの人間である。だから、私は、勝手に、異人のケイから生きている息子を守るために、亡き両親が現れたのかも知れない、、、などとセンチなことを考えてしまったのだ。

 でも、本作は、亡き両親はハリーを見ても「良さそうな人」などと言っているだけである。……てことは、これは、もしかすると異人界の話なのではないか。登場人物全てが異人だと解せば、辻褄が合う。

 んで、そう考えれば、このラストはハッピーエンディングである。鑑賞直後の印象と180度変わってしまうが、それはそれで良いと思う。

 はたして、見た人たちはどう受け止めたのかしらん?


◆ジェイミーとか

 本作を見に行った最大の目的は、そらなんつっても“おっさんになったジェイミーに会いに行く”でありました。

 彼は「リトル・ダンサー」でデビュー以降、コンスタントに映画出演している。まあ、割と何でも出ている感があるが、本作のような味わい深い、地味ながら演技力を求められる良作にも出演している。

 本作でも、主人公より若い亡き父親を好演していた。自分よりおっさんになった息子に「何で部屋に入って来てくれなかったの?」と問われて「オレもお前がクラスメイトだったら、お前をいじめていたと思うから」(セリフ正確じゃありません)と答えるときの何とも言えない表情や、息子に詫びる前にレコードを止めて、「部屋に入らなくて悪かった。泣いていたのも知っていた」と懺悔するシーンは、2度見て2度とも号泣しました。

 思うに、本作を“ゲイ映画”と見るか“親子の物語”と見るかは、見る人の過去に大いに関係あると思う。

 私は、今さら両親と和解したいなどとは1ミリも思っていないけれど、アダムとは形は全く異なるものの、両親との関係が“断絶”していることは同じである。いくら好まざる親といっても、自分をこの世に生み出した存在と断絶しているという事実は重い。だから、アダムが、あのような幻影を見るまでに両親の愛を渇望している姿を見るのは、正直辛い。なぜなら、アダムは両親亡き後でもまだ、親の愛を期待しているからである。私のように、親への期待を捨て去った者からすると、それは、まさしく“青い鳥”以外の何ものでもないようにしか思えないのだが、しかし、そんなアダムを“イイ歳して、、、”と嘲笑する気になど毛頭なれない。アダムが両親と断絶したのは、12歳なのだから。それが例え、20歳でも、40歳でも、きっと同じだろう。親への期待を捨てることが、子にとってどれほどの痛みを伴うものかは、(この言葉はあんまし好きじゃないが敢えて使っちゃう)「経験した者にしか実感できない」はずである。

 なので、そんなアダムの青い鳥を、実在するものとして見せてくれたジェイミーの演技は、ジェイミーの長年のファンというのを抜きにしても、胸に刺さるものがあった。良い役者になったね、ジェイミー。遠縁のオババは嬉しくて涙がチョチョ切れたぞよ。

 主演のアンドリュー・スコットは、さすがの演技。ポール・メスカルも巧い。亡き母親を演じたクレア・フォイも良かった。邦画版で亡き両親を演じた鶴太郎&秋吉久美子も良かったが、ジェイミー&クレアも雰囲気は全然違ったけれど、素晴らしかった。

 最後に、ステキな画像をネットで見つけたので貼っておきます。

 


 

 

 

 

“Always on My Mind”(ペット・ショップ・ボーイズ)の歌詞が沁みる。

 

 

 

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コメント (2)
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