映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

カサンドラ・クロス(1976年)

2022-10-16 | 【か】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv11531/


以下、WOWOWよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 テロリスト3人がジュネーブのIHO(国際保健機構)にある、米国の秘密生物研究セクションを爆破しようとするが失敗。

 危険な細菌に感染したテロリストのひとりが大陸横断列車に乗り、CIAのマッケンジーは列車に乗車していた著名な医師チェンバレンと連絡を取って、感染者を治療させる。

 だが、マッケンジーは細菌の秘密を葬るため、30年近く使用されていない“カサンドラ・クロス”と呼ばれる鉄橋に列車を誘導する策を取る。

=====ここまで。

 
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 なぜリストに入れたのか記憶にないDVDがTSUTAYAから送られて来ました。恐らく、コロナがらみで何かでオススメされていたのを見て、ポチッたものと推察されます。タイトルは有名ですが、今までほぼ興味の範疇外にあったので、、、。


◆感染症・閉じ込めパニック映画

 コロナも3年目が過ぎようとしているにもかかわらず、なかなか収束の兆しが見えない中で、各国は対策をどんどん緩和させており、我が国も同調している。アベもスガも後手後手で酷いもんだったが、岸田は、後手ですらなく、放置プレーで一貫している。何もしないもここまでくると、根性あるな、感心するわ。おまけに、遊んでて感染とか、総理大臣とは思えぬ所業にも唖然。相変わらずPCR検査体制は整っておらず、そのくせ岸田を始め与党の政治屋は症状が出ると即PCR検査を受けている。最早、棄民だろ、これ。

 ……という愚痴は、もう言い疲れたが、見たくなくてもネットを見ていると岸田の顔画像が目に入ってきてしまい、不快極まりない。アベスガよりマシかと思っていたが、勝るとも劣らぬ無能っぷりで、これが我が国のレベルを象徴しているのかと思うと絶望感しかない。これからを生きていかねばならない子供や若い人々が気の毒でさえある。どこまで落ちるのか、この国は。

 落ちるつながりで、この映画も、落ちるんですよ、ラストで。こっちは、文字通り「落下する」んだけど、列車が。

 これがハリウッドだったら、ギリギリのところで列車が落ちそうになって止まる、、、、ってパターンだと思うが、ヨーロッパは容赦しない。余部鉄橋にも劣らぬ高さと赴きある鉄橋は、列車が通った衝撃でもろくも崩れる。列車もおもちゃみたいにガラガラと落ちていく。車内の悲惨な状況は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。

 何でそんなことになっちゃうかといえば、車内にばら撒かれた細菌の情報を封じ込めるため。飽くまで感染拡大防止目的の“細菌の封じ込め”という名目でCIAは指令を出すが、実際は全員抹殺による“情報の封じ込め”なんである。まあ、これくらいは今のロシアならホントにやりそうである。

 でも、全車両が落ちないってのがミソ。主人公たちのいる車両は、ギリギリ手前でセーフ!! そこへ至るまで、あれやこれやと必死で動き回る人々を描く、パニックもの。まあ、パニックぶりだけでなく、乗客たちの人間ドラマも盛り込まれて単調にはなっておらず、見ていて飽きないのは良い。

 マッケンジーは無事に作戦が成功したと思い込んで、指令室を後にするが、どっこい、生存者が多くいる、、、というラストの波乱を予感させる終わり方も味があって良い。

 無残に落ちるのは前方の1等車両であるとか、車両の窓を外から覆ってしまいさながら貨物列車の様相でポーランドのカサンドラ・クロスへ向かうとか、乗客の一人がホロコーストの生還者とか、色々とメタファーが散りばめられてもいるが、あんましそういう要素は見ていてピンとは来なかった。


◆豪華キャストと感染症の行方

 ……というわけで、映画としては悪くないと思うが、ツッコミどころは満載。

 いっぱいあり過ぎるのでいちいち書くのはやめておくが、私が一番ツッコミたいのは、主人公の2人、医師チェンバレン(リチャード・ハリス)とその妻ジェニファー(ソフィア・ローレン)が、さんざん感染者と濃厚接触しまくっておきながら、感染しない、、、ってこと。もう、笑っちゃうくらいに2人は元気。感染対策も何もしていないで、いくら何でも不自然過ぎる。ほかの感染者は、ほんの少し接触しただけであっさり感染しているってのに。

 まあでも、1つの車両を感染者専用車両にしたり、透明シートで患者ごとに仕切りを作ったり、防護服を着た作業員たちがゾロゾロいたりする光景は、2020年2月のダイヤモンド・プリンセス号での状況を彷彿させるものであり、50年近く前にこの映像が撮られていたのかと思うといささか不気味ではあった。感染対策なんて、50年前から基本的には大して進歩していない、、、というより、それしかない、ってことなのかも知れない。

 とにかく、出演陣が豪華。

 上記お2人のほか、CIAのマッケンジー大佐はバート・ランカスター、IHOの医師にイングリッド・チューリン、列車の乗客には、エヴァ・ガードナー、マーティン・シーン、リー・ストラスバーグ、ちょこっとアリダ・ヴァリ、O・J・シンプソンも出ている。

 エヴァ・ガードナーが、最初分からなかった、、、。これは、割と晩年に近い出演作なのね。若いマーティン・シーンと恋人同士、、、というか、パトロンと若い燕、、、だったが、なかなか2人ともハマっていた。マーティン・シーン演ずる若き登山家の最期があんまりにも酷すぎて、ちょっと同情してしまった。

 で、感染症はどうなったかと言いますと、、、コロナと違って、わりかしアッサリ皆さん回復する。このあたりが、若干拍子抜けという感じもあるけれど、メインテーマは、“列車が橋から落ちるか落ちないか”なので、ま、良いんでしょう。

 列車を落としたって、生存者がいなくたって、事故処理に当たる人間が感染するかもしれないんだから、このCIAの作戦は杜撰極まりない、、、のだが、言うのは野暮ですね。

 

 

 

 

 

 

 

コロナもアッサリ収まって欲しい。

 

 

 

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2 コメント

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Unknown (風早真希)
2023-02-08 17:33:10
すねこすりさんの現在の日本の堕落、腐敗した政治状況に対する怒りは、私も全く同感です。

日本の政治状況及びそれを取り巻く、官邸の"記者クラブ"に象徴される、堕落した日本のジャーナリズムを苦々しく思っていて、田中角栄研究で、最高権力者である、時の総理大臣・田中角栄を退陣に追い込んだ、知の巨人と称された立花隆氏も亡くなった今、暗澹たる思いが去来しています。

日本のコロナ対策においては、国立感染症研究所と厚労省の医系技官のいわゆる"感染症ムラ"の人々が、自分達の既得権益を守るために、間違った対策を行ったと考えています。

つまり、特に厚労省の医系技官の人々は、将来、退官後、保健所の所長としてほぼ天下りするわけです。
ところが、この保健所なるものが、近年、行政改革の名のもとに縮小されていく傾向があり、彼らとしては、将来の天下り先を確保するために、なんとしてでも保健所の存在価値をアピールする必要があったのです。

そのため、コロナ対策において初期の段階から、自分達の既得権益を守るために、PCR検査の積極的な実施を敢えて行わず、能力的に無理な、この保健所を通さなければならないという愚策を行ったのです。
そのため、コロナに対する歯止めが効かず、拡大する事になりました。

特に"感染症ムラ"出身の尾身茂という、コロナの専門家でもないような変な人物が、自身の既得権益と"感染症ムラ"の既得権益を守るために、コロナ対策の指揮を執るという愚かな事を行ったのです。

私も日本の現状に対する怒りのために、色々と述べてしまいました。
では、これから、この当時、パニック映画が流行していた頃に製作された「カサンドラ・クロス」について、感想を述べてみたいと思います。

この映画は、すねこすりさんが書かれているように、確かにツッコミどころが満載の映画なのですが、娯楽映画として楽しんで観た記憶があります。
コロナが蔓延している状況下、再度、興味深く、観直してみました。

グランド・ホテル形式でパニック映画の典型をみせる、超豪華なオールスター・キャストによる 「カサンドラ・クロス」。

この「カサンドラ・クロス」のキャッチ・コピーは、「タワーリング・インフェルノとポセイドン・アドベンチャーを超特急列車に乗せて突っ走らせた映画」というものでした。

まさしくこの映画は、1970年代に大流行したパニック映画(本場のハリウッドではデザスター映画)の典型であり、またグランド・ホテル形式のオールスター映画に他ならず、その点で「タワーリング・インフェルノ」や「ポセイドン・アドベンチャー」や「大空港」などの先行ヒット作品の要素を細かく分析研究して、映画製作のプロフェッショナルたちが、そのエッセンスをかき集めたものに違いないのです。

ロバート・カッツ、トム・マンキーウイッツと共に自ら脚本も書いているジョルジュ・パン・コスマトス監督は、ギリシャ生まれで、当時32歳の新進気鋭の若手監督でした。

彼がこの自分の映画に対して、「これは『エアポート'75』式のアメリカ映画ではないし、『オリエント急行殺人事件』のような、えせクラシックでもないし、ましてデザスター・フィルムでもありません。そういう要素はありますが、これは、はっきり言って政治的な映画です。『大地震』や『エアポート'75』は重要な映画ではないが、この映画には、非常に政治的な重要性があります」と、かなり気負って力説するのは、パニックの原因が、強大国アメリカの細菌を使った生物化学兵器研究所という、現実的な暗部であり、また事件を闇から闇へと葬ってしまおうとする、権力の"非情な意志"を描いたからでしょうが、そういう設定だけで、真の政治映画が完成するわけでもありません。

ポーランドにあるカサンドラ・クロッシング(原題)は、ナチスの元強制収容所のあったヤーノフに通じる大鉄橋であり、かつてその収容所で妻子を殺されたユダヤ人の老人(アクターズ・スタジオの創設者でアメリカ演劇界の重鎮リー・ストラスバーグ)が、列車の客の一人として重要な役を果たすことも事実ですけれども、それはせいぜいスリル、サスペンス、アクションに徹したスペクタクルに、"政治"や"戦争"の影をある程度まで取り入れたことで、他のパニック映画に比べて、多少の特色を出した、というくらいではないかと思います。

非常にヘリビジョンという、航空撮影の多い映画ですが、まず雪山を超え、湖を渡ってカメラは、ジュネーブの世界保健機構(WHO、映画ではIHO)のビルに近接します。

そこに過激派ゲリラが侵入して、爆薬を仕掛け、見つかって「危険」と書かれたアメリカの部屋に逃げ込んで撃たれます。
その時、瓶が割れて黄色い薬を浴び、一人はやがて死にますが、一人は逃げてしまいます。

そして、この逃げた男は、ジュネーブからパリを経てストックホルムまで行く大陸横断の特急列車に紛れ込んでしまった、というのがパニックの発端です。

この黄色い薬は、アメリカが秘かに開発培養していた、呼吸器に非常に感染力の強いバクテリアだったのです。
このままでは、ヨーロッパ中が汚染されてしまう--------。

沈痛な表情でジュネーブに駆けつけて来るのが、アメリカ陸軍情報部のマッケンジー大佐(『山猫』『大列車作戦』の名優バート・ランカスター)、捕虜になったゲリラの不思議な病状を診察した女医(ベルイマン映画でお馴染みの名女優イングリッド・チューリン)。
そして、一等車のコンパートメントに乗っている客たちが、これまた実に豪華な配役なのです。

高名な精神科医チェンバレン(『孤独の報酬』『ジャガーノート』の演技派リチャード・ハリス)と、彼を追いかけて来た妻のジェニファー(『ふたりの女』『ひまわり』のイタリアを代表する大女優のソフィア・ローレン)。

武器製造業の大富豪の夫人(『裸足の伯爵夫人』など往年の大女優エヴァ・ガードナー)と、彼女の若いツバメで、実は麻薬密輸の男(『地獄の黙示録』『ある戦慄』のマーティン・シーン)。

新婚早々らしい夫婦(『ガラスの部屋』のレイモンド・ラヴロックと当時のリチャード・ハリス夫人のアン・ターケル)、密輸男を追う黒人刑事(O・J・シンプソン)といった、超豪華な顔ぶれなので、もうあまりの素晴らしさに、ため息が出るくらいで、この"グランド・ホテル"形式で様々な人間模様が展開していきます。

降ってわいたこの大事件に対して、マッケンジー大佐の取った措置は、徹底した隠密作戦でした。

乗客の中にチェンバレン博士がいることを知ると、無線電話で彼を呼び出して、ゲリラの発見を命じると共に、伝染病の発生を知らせ、千人の乗客を収容して検疫する場所を求めると称して、勝手に列車のポイントを切り替えさせて、列車をドイツからポーランドに向かわせます。

途中のニュールンベルクでは、防疫服を着た警備隊と医療班十数名を乗り込ませ、窓もドアも外から密封してしまいます。
そして、外に出ようとする乗客はすぐ射殺しろ、と命じるのです。

次々と病人が出てくる列車内のパニックも、老若男女と多様です。
その救急作業と闘いの間で、チェンバレンとジェニファーの元夫婦が、また関係を見直していくドラマもあるわけです。

そして、普通のパニック映画だと、少なくともそこに居合わせる人々は、とにかくその船とかビルとかから脱出しようという目的では一致協力するわけですが、この映画ではそれが敵としての人間権力との闘いの形を取っていくのが珍しい設定だと思います。

カサンドラ・クロスは、第二次世界大戦の戦争直後の1948年以来、使われていない古い鉄橋で、いつこの目もくらむような大鉄橋が落ちるかわからないと、下の人家も移転したような危険なしろものだ---ということを、走る列車内のチェンバレンは、ユダヤ老人などの言葉から知りました。

そこで、チェンバレンは、列車を止めろとマッケンジー大佐に電話するが、大佐は「安全だ」と答えて無視します。
そして、マッケンジー大佐は、女医の忠言も聞かず、ひたすら列車をカサンドラ・クロスに向かわせるのです。

この大鉄橋と共に、千人の乗客、ニュールンベルクから乗り込ませた警備隊や医療班もろとも"闇から闇"に始末してしまおうというのが、マッケンジー大佐を直接の代表とする"権力の決断"だったわけです。

密輸男が暴れて、無線機を銃弾で破壊して大佐と連絡不能となった後、チェンバレンは、警備隊長に列車を停止させろと要求するのですが、権限がないと拒否されます。

こうなれば、武力で警備隊を倒さねばならないことになります。
そして、激しい撃ち合いの後、その完全制圧が不可能になった時、なんとか鉄橋にかかる前に、せめて自分たちの乗っている後ろ半分の車両を切り離そうと試みるのです--------。

走る列車内の様々な人間模様と、ジュネーブの指揮所を動かないで、冷然と指令を続けるマッケンジー大佐との頻繁なカットバックで、映画のテンポはきびきびしています。

そして、ラストのクライマックス。
大佐と女医の見守る中で、壁の地図上で列車の位置を示すランプが鉄橋の所で消え、大佐がどこかの偉い人に電話で、"悲劇的な事故"による全員死亡を保証してから、静かに部屋を出て行くのですが、その後、部屋に残った忠実な?部下(ジョン・フィリップ・ロー)が、更にどこかの別の偉い人に、大佐と女医の二人に尾行をつけてあることを報告する電話の声が聞こえるところは、"底知れぬ権力の闇"を垣間見せ、なかなか冴えていました。

西側の諸国のどこでも処理できない疫病列車を、どうして東側のポーランドが引き受けて抹殺に協力してくれるのかとか、ポーランドの山奥の河で保菌者を含む千人もの死体が転がっていたらどうなるのだろうかとか、ドイツ領内のニュールンベルクで、どうして米軍部隊による、あんな大規模な列車密封作戦が、"秘かに"行えるのだろうかとか、いろいろツッコミどころが満載なのですが、このスペクタクル映画の前で、そんなことをうるさく突っつくのは、野暮というものでしょう。
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Unknown (すねこすり)
2023-02-09 22:23:08
風早真希さま

「戦場の~」の方にもコメントいただきありがとうございました。
こんな激ショボなブログのコメントにはもったいない丁寧なレビュー、せっかくなので、風早真希さまもブログか何かでお書きください。
もしかしたら、もうどこかでお書きなのかも知れませんが
たくさん書いていただいたのに、返信が短くてすみません。
ただただ圧倒されました。
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