映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

闇のあとの光(2012年)

2014-06-18 | 【や】

★★★★★★☆☆☆☆

 『ヴィオレッタ』を見に行った際に赤い光を放つ「それ」が出てくる予告編を見て、興味をそそられ見に行った次第。、、、で、 結論から言うと、あんまし好きじゃないですね、この映画。

(本作がお好きな方は、以下、不快になるかもしれませんので悪しからず)

 本作は、見た直後はちょっと狐につままれたみたいな感じがするのだけれど、1日、2日と時間が経つと、嘘みたいに単純明快に見えてきます。

 一見、脈絡なくシーンがつなぎ合わされているようだけれども、ストーリー的には単純です。見た目よりははるかに分かりやすい。屋外でのシーンにフレームにぼかしが入っているのですが、まあ、何となく意図することは分かるというか。多面性とか、あるいはボーダーレスってことなのかな、と。

 何が好きじゃないって、性と暴力の描き方ですね。すごい捻くれていると思います、この監督。乱交パーティーのシーンがあって、その後のシーンでは、夫婦の間のセックスレスが会話に織り込まれています。また、犬に過剰な暴力をふるうシーンや、親友だと思っていた男に泥棒に入られ挙句撃たれるというシーン、そしてラスト近くの首を落とすシーン、と、決して長くはないけれども強力な暴力シーンが折々に挟まれています。

 フレームのぼかしといい、性と暴力の描き方といい、終わってみれば、ああ、そーゆーことね、と腑に落ちる単純なことを、わざと後回しにするわけですね。つまり、最初に意味深ななぞかけをしておいて、終わってみれば、な~んだ、という感じ。見ている方としては、そーだったのか! と膝を打ちたいわけですよ。でも、そうじゃない。特に暴力シーンについては因果応報なだけなんだけど、いきなり提示してくるから一瞬訳わかんなくなるのです。それが狙いの一つだと思うけど、ちょっと、モノづくりのスピリットとしては浅ましいという気がする。志が低いというか。

 これをうまくさばくのが「伏線を張って回収する」ということなんです。が、この監督は、そういう単純な見せ方をするのがお嫌いなようで。そこがイヤらしいというか、小細工に見えてしまうのです、私には。別に、創造の手法にセオリーはないから、独自のやり方を追求するのは素晴らしいと思うけれど。ただ、パンフを見ると監督は「観客をリスペクトしている」と言っているけれども、そんなことは当たり前といえば当たり前で、あまりにも独り善がり的な作品が氾濫しているからそれがあたかも有り難いことかのように思われるのだとしたら、そら違うだろう、とは言っておきたいかな。

 まあ、唯一、よく分からないのが、ラストのラグビーのシーンですが。「死と生」、、、つまり「闇のあとの光」ってか? だとしたら、ますます種明かしがストレートすぎてあざとくないですかねぇ。嫌らしいでしょ、ちょっと。観客をリスペクトどころか、むしろバカにしてんの? ってなもんです。

 いえ、、、本当はもっと何か別の・・・。私の理解不足であってほしいです、マジで。

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