映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ウーマン・トーキング 私たちの選択(2022年)

2023-07-12 | 【う】

作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv79885/


以下、公式HPよりあらすじのコピペです。

=====ここから。
 
 2010 年、自給自足で生活するキリスト教一派の村で起きた連続レイプ事件。これまで女性たちはそれを「悪魔の仕業」「作り話」である、と男性たちによって否定されていたが、ある日それが実際に犯罪だったことが明らかになる。

 タイムリミットは男性たちが街へと出かけている2日間。

 緊迫感のなか、尊厳を奪われた彼女たちは自らの未来を懸けた話し合いを行う―。

=====ここまで。


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 何かの映画を見に行った際にポスターを見て気になって、チラシを見たら「実話モノ」。うぅむ、実話モノあんまし好きじゃないのだよなぁ、、、と思ったけれども、どうやらかなり脚色されているらしいとのことで、だったら見てもいいかな、と思ったのでした。

 が、その後、Twitterでフェミ界隈から本作の感想がちらほら流れて来て、何となくイマイチっぽい感じがして、またまた興味が失せかけたのだけれど、前回の記事で書いたファスビンダーの『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』上映時間がかなり遅くて、それまで時間があるので、だったら見に行くか、、、みたいなノリでふらりと見に行ったのでした。


◆思考力の育て方

 上記あらすじにある「男性たちが街へと出かけている2日間」というのは、レイプ犯たちの釈放を求めて村の男たちが出かけて行ったってこと。彼らの留守の間に、残された女たちは今後の身の振り方について話し合う、、、という設定なんだが。

 最初に白状すると、正直言って終始かなり退屈であった。基本、会話劇だし、色調をわざとモノトーンぽくしているから画面は暗いし、村のルールでみんな似たような髪型と服装だから見分けが付きにくいし、、、で、おまけに、構成もわりと単調なので、だりぃ、、、って感じになってしまった。本作を好きな方、すみません。

 ただ、設定にかなり違和感もあって、この村というか、コミュニティでは、女性に学問は不要ということで、ほとんどの女性は文字も読めないし、まともな教育も受けていない。なのに、結構ハイレベルなディスカッションをしているのだ。ハイレベルというとあれだが、好き勝手なことを言いたい放題ではなく、議論になっているというか。それって、ある程度ロジカルな思考訓練が出来ていないと難しいんではないか??と思いまして。

 学校にも10歳に満たないくらいまでしか行っておらず、教育はもとより、女性は家に閉じ込められているっぽいので社会の一員として生きることの訓練もあまりされる機会がないという環境で、いかにしてあのような思考の訓練がなされたのか、というのが根本的な疑問として終盤までずーーーっとあった。

 けれども、終盤で、女たちが皆で賛美歌(?)を合唱するシーン(しかも結構長い)で、何となくだけど、ちょっと疑問は解消された。私がディスカッションとして見ていたのは、ディスカッションというより、信仰について語り合っていた、仏教でいう禅問答みたいなもんだったのかなぁ、と。そういえば、男たちを赦すだ赦さないだというのも、結局のところ「天国に行けるか」が基準になっており、一事が万事、判断基準は「天国に行けるか否か」なのだ。それなら、別にロジカルシンキングなんか必要ないわな、、、と。


◆元ネタの話

 で、女たちは、最終的に村を去るという選択をする。で、確か13歳、、、いや10歳だったかな、それ以下の男の子たちは女性たちと一緒に村を去る(つまり女性たちが連れて行く)のだが、それ以上の男子は性衝動を抑えられるかどうか微妙だ、ということで村に置いて行かれることになる。この年齢の線引きも話し合いでされるのだが、その辺もちょっと??な感じではあった。

 じゃ、置き去りにされた男子たちはどーなるか、、、っていうと、女性たちの話し合いの場に書記役として居た唯一の男性オーガストが村に残って、その男子たちの教育をするというのだ。

 オーガストを演じていたのはベン・ウィショー。オーガスト、責任重大やん、、、。聖なる父ってか??と思って見ていたら、去って行く女性の1人に、「これを持って行け」といって拳銃を渡すのである。このシーンは私はイマイチよく分からなくて、単なる護身用なのか、それ以上の意味があるのか、、、。ちょっとダレて見ていたので、何か大事なことを見落としていたのかな。

 このコミュニティは、メノナイトというアーミッシュと似たような宗教集団なのだが、やはり、こういう作品をきちんと理解するには、ベースとなる宗教の知識と信仰の経験がないと難しいと思う。私のように無信仰な人間には、正直言って、彼らの言動はおよそ理解の範疇を超えている。だから、終盤で、前述のように、禅問答みたいに感じてしまったのだと思う。

 そんなわけで、まるでピンと来ないまま劇場を後にしたわけだが、その後、本作の元ネタとなった「実話」をネットで調べたら、本作とは比べ物にならないくらい陰惨かつ闇の深い話だと分かって慄然となった。そして、やはり本作中の女たちの話し合いは、ほぼ創作なのだろうと理解した。

 現実のコミュニティで、女たちは厳然とまだそこにいるし、性犯罪は依然として横行しているという。本作は、一見、フェミ映画に見えるが、実質は宗教映画であり、性暴力に遭った女性たちの今後に意味のある提示は何もなされていないように感じた。なされていないことが問題だと言いたいのではなく、現実のあまりの陰惨さに圧倒されて、本作の印象など吹っ飛んでしまったということ。

 フィクションとリアルは対立関係にないと思うが、本作と元ネタに限って言えば、フィクションの前に、リアルはあまりに無力であると感じた次第。

 

 

 

 

 

 


フェミ映画ではなく、宗教映画です。

 

 

 

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