作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv13110/
年金生活者ウンベルトは、安アパートに愛犬フライクと細々と暮らしているが、あまりにも年金支給額が少ないために家賃も滞納する有様。年金増額デモにフライクと参加するものの、事態は変わらず。アパートの女家主に、滞納分を払えないなら出て行けと言われる。この家主は、ウンベルトの部屋を時間制の“売春部屋”にしていたのである。
あれこれ金の工面をしようとするものの万策尽きたウンベルト。可愛いフライクを道連れに、鉄道自殺を図ろうとするが、、、。
ヴィットリオ・デ・シーカお得意(?)のビンボー映画。
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デシーカは苦手なんだけれど、、、、というほどデシーカ作品を見ているわけじゃないので、偉そうなことを言うつもりはないのですが、とにかく『自転車泥棒』(1948)がまるで合わず、『子供たちは見ている』(1944)もちょっとなぁ、、、という感じで、ネオリアリズモだか何だか知りませんが、あまり良いイメージはないです。『ひまわり』(1970)は好きじゃないけど良い映画だと思います。
本作は、タイトルは耳にしていたけど、レンタルはできなさそうだし、ビンボー映画は見ていて暗くなることが多いので別にいいや、、、と思っていたのだけど、たまたま区の図書館の映像ソフトリストを見ていたら目についたので、借りてみることに。そして、、、やっぱりイマイチ合わなかったのでした。ごーん……。
~~結末に触れていますのでよろしくお願いします。~~
◆ウンベルトは愚かではない。
私がこれまで見たデシーカ映画に共通するのは、出て来る大人たちがみんな、ものすごく“愚か”であるということ。貧すれば鈍する、とはいうけれども、そういうのともちょっと違うような気がする。『子供たちは見ている』は、別にビンボー映画じゃなかったし。でも、出て来る大人は“超”のつくバカ者たちだった。
『自転車泥棒』は名画と言われ、みんシネでもえらく評価が高い。ネオリアリズモの代表作らしいが、私には主人公の父親の愚かさが度を超していて不快でさえある。愚痴はみんシネにいっぱい書いたので割愛するが、いくら貧すれば鈍するといったって、それはちょっと、、、???という描写が多過ぎる。
ああ、あんな状況になったらそうなっちゃうよね、、、とまったく思えない。『子供たちは~』もそう。作為的に過ぎる。主人公を追い詰めるのは、シナリオのイロハだけど、やり過ぎというか、主人公をバカにしすぎというか、引いては見る者をバカにしているとさえ感じるシーンもある。当時の貧しさはそれくらい今の人間から見れば酷かったんだ、、、ということなのかも知れないが、『子供たちは~』は貧しさは背景にないからね。
それに比べれば、本作のウンベルトは大分マシである。少なくとも、愚かだとは思わない。負のループにハマるというのはこういうことだ、、、と見ていて思える。
ウンベルトは、虎の子の時計を売ったり、食費を浮かそうと入院を試みたり、果ては、物乞いまでしそうになる。さすがに、物乞いは一瞬手前で止めるのだが、、、。物乞いまでする気になるのに、「施設にだけは絶対入りたくない!」と言っている。恐らく、当時の施設の環境は劣悪で、それこそ現代を生きる私の想像をこえているのだろうということくらいは想像できる。ウンベルトの意識としては、物乞い>>自殺>>施設なのだ。
結局、ウンベルトは物乞いをする勇気(というか、プライドがそれをさせないのだが)もなく、施設に入ることなどもってのほか、……というわけで、愛犬フライクを道連れに鉄道自殺を図るのだが、もちろん、未遂に終わる。
で、その後のラストシーンは、愛犬フライクと楽しげに道を駆けていく、、、というもの。現実問題は何も解決していない。ウンベルトは、あの後、どうなるのだろうか。あれほど忌避していた施設に入ることになるのか、、、。
物乞いをするくらいなら、施設に入れば……、と思わないでもないが、これはかなりビミョーな問題なのだと思うに至った。
◆理想の老い方・死に方
つまり、この映画は、老いる、どう死ぬか、、、を嫌でも考えさせられるのだ。
施設に入ったとして、自分の世話を自分で出来ているうちはまだ良い。自分の世話を自分でできなくなってからが問題だ。特に、排泄関係。考えるだけで憂鬱になる。
まあ、認知症になってしまって、自分のアイデンティティとかなくなっちゃえば、そういうことも気にならないのか、とも思うが、いや、そういうのとアイデンティティとは別だろうとも思う。排泄を人の手を借りてすることに対する羞恥心等は、認知症になったからと言ってなくなるものではないのでは?
……とかイロイロと考えていると、確かに、ウンベルトが言うように「施設だけは絶対にイヤだ!」というのも理解できる。けれど、私は物乞いはもっとイヤだなぁ、というのが本音。嗚呼、、、これなら安心して老いることが出来る、なんていう道筋はないのだな、としみじみ思うのであった。
やっぱし、社会保険料を払えているうちにお迎えに来ていただきたい。私には子供もいないし、いたところで世話になるのは憚られるが、ウチの人の方が私より長生きするのは心配でもあるし、、、。しかし、“どう死ぬか”ばっかりは自分の意思でどうにも出来ないところがツラい。病気になった場合も、他人様の手を借りなければならなくなるケースは大いにあり得る。
そんなどよよ~んとした気持ちにさせられる映画ではあったが、犬のフライクが可愛らしくて救いだった。ウンベルトが入院している間に、女家主に追い出されて保健所送りにされるが、ウンベルトがそれこそ死に物狂いで救出に行く。でも、そんなにしてまで大切な愛犬を、鉄道自殺の道連れにしようとするのよね、、、。そのとき、フライクが怖がってウンベルトの腕から脱出するシーンは見ていて身につまされる。
自殺が未遂に終わった直後は、フライクはウンベルトに対して警戒するんだけど、すぐに元通りになって、楽しげに駆けていく、、、というのが、前述したとおり、ラストシーンとなっている。でも、ゼンゼン見ている者は救われた気分にならないのがミソ。むしろ、さらにどん底な気分になる。
ウンベルト役を演じていたカルロ・バティスティというお方は、学者さんで、役者としてはまったくの素人らしい。そうとは思えない演技で、驚き。ウンベルトに金を無心される旧知の紳士のあからさまな逃げっぷりとか、全編実に人間臭い映画である。『自転車泥棒』より、本作の方が秀作だと感じた次第。
部屋に侵入してきたアリの大軍を始末する方法にびっくり。
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