映画 ご(誤)鑑賞日記

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家(うち)へ帰ろう (2017年)

2019-10-14 | 【う】

作品情報⇒https://movie.walkerplus.com/mv66333/

 

 アブラハム(ミゲル・アンヘル・ソラ)は、ブエノスアイレスに住む88歳の仕立屋。息子や娘たちは彼の家を売った上、その金で彼を老人ホームに入れることに決め、いよいよ明日は引っ越しという日になった。老人ホームで自慢するため、家族の記念写真を撮りたいと言うアブラハムのために皆が集まるが、孫娘の一人は写真を撮りたくないと言い、娘には「(糖尿病で悪くした)脚を切断しろ」と言われる始末。

 皆が帰った後、家政婦が「これどうします?」と一着のスーツをアブラハムに見せる。そのスーツは以前、アブラハムが仕立てたスーツだ。それを見たアブラハムは、ある決断をする。

 息子や娘の誰にも告げず、一人で空港に向かったアブラハム。スペイン・マドリード行きの便に席があると聞いて、脚を引きずりながら乗り込む。……果たして彼の決断とは?

 

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 昨年、公開中に見に行けずに終わってしまったので、ようやくDVDで鑑賞。

 

◆アブラハムとは何者?

 冒頭、アブラハムは息子たち家族に囲まれて記念写真を撮るシーンから始まるんだけど、ここで、孫娘とのちょっと変わったやり取りに、何となく、むむ?となって、気がつけば一気に引き込まれてしまっていた。

 どう変わっていたかというと、孫娘が写真嫌いだから自分は映りたくないけど、「iPhoneの最新機種を買うのに1,000ドルくれたら映ってもいい」と言う。で、そこからアブラハムと女の子の金銭交渉が始まるんだが、800ドルでお互い手を打つ。アブラハムが「バカだな、もう少し粘れば1,000ドル出してやったのに。200ドル損したな!」と言うと、孫娘は「バカはおじいちゃんだ。ホントはiPhoneは600ドル。おじいちゃんこそ200ドル損したね!!」

 で、アブラハム、悔しがるかと思いきや、「さすが私の孫だ、素晴らしい!」とご満悦なのである。

 なんちゅう家族、、、と思ったけど、これは後々、ああそうか、と思い至る。それは、アブラハムが突然マドリードに旅立った理由が徐々に明かされていくことで分かる。

 本作は、あまり予備知識なく見た方が良いのではないかと思うけど、知っていると面白くない、というわけではもちろんありません。以下、ネタバレですので、あしからず。

 アブラハムは、マドリードに行ったのではなく、その先に目的地があったのである。その場所とは、ポーランドのウッチ。アブラハムの生まれ育った場所だ。つまり、彼はユダヤ人で、ナチスの迫害を生き延び、第二次大戦後、アルゼンチンに渡ったのである。

 冒頭の孫娘との金銭交渉は、要するにアブラハム一族がユダヤ人であることを強調する描写だったのかなと。アブラハムには監督自身のお爺さんを投影させているという。監督がシナリオも書いているので、自虐ネタ的に、アブラハムがそうやって地球の裏側でユダヤ人社会を金だけを頼りに生き抜いたことを象徴するシーンかな、と感じた次第。

 

◆アブラハムは何故ポーランドへ?

 ~~以下、結末に触れています~~

 そんなアブラハムが、切断寸前の脚を引きずってまでポーランドへ行きたがった理由とは、旧い親友との約束を果たすため。その約束は「いつか君のためにスーツを作る」

 アブラハムの父親も仕立屋で、ウッチではポーランド人の使用人も雇ってそこそこ裕福な暮らしをしていたようだ。が、社会の風向きが変わり、一家は収容所送りになり、家はポーランド人の使用人家族に乗っ取られる。この使用人家族の息子ピオトレックが、アブラハムがスーツを作ると約束した親友。

 収容所から脱走してきたアブラハムを、元使用人は追い返そうとするが、息子のピオトレックは「お世話になった人の息子じゃないか!」と言って、アブラハムを地下にある以前の自分たちの家に匿う。ピオトレックに手厚く看護されたことでアブラハムは九死に一生を得、生き延びたというわけ。

 また、アブラハムには年の離れた妹がいた。当時10歳の妹はお話を創作するのが得意で、彼はこの妹をとても可愛がっていた。が、あと1か月で11歳だったのに、10歳だったから(?)妹は拘束され連れて行かれてしまい、トラックに乗せられる妹の姿がアブラハムの脳裏に焼き付いて離れない。

 こういう辛い過去の描写が折々に挟まれながら、あれほど嫌っていたドイツの地にも足を踏み入れ、恐らくベルリン駅で電車を乗り換える。その乗り換えた電車では、体調がさらに悪化したせいか、ナチスの兵士たちが列車に乗っている幻想を見てしまい、ぶっ倒れたりしながらも、どうにか目的地に辿り着き、かつて自分の住んでいた家、親友が助けて匿ってくれた家までやってくる。

 果たして、そこにピオトレックはいるのか。

 バッドエンドも予想できる展開だったので覚悟はしていたけれど、実にさりげなく、しかし感動的にピオトレックとの再会を果たすシーンでジ・エンドとなり、ホッとした。それまで抑制の効いた描写が続いてきたので、このラストはアブラハムの感極まる思いが溢れるようで感動的だ。

 そして、最後にピオトレックの言うセリフにジーンとなる。「家(うち)へ帰ろう」

 

◆素晴らしいシナリオ!

 アブラハムの人物造形が良い。偏屈爺ぃぽく見せているが、実はそうでもなくてユーモアがあって、おちゃめなところもある。だから、旅の途中で出会う人たち(1人を除いて皆女性ってところも笑える)に親切にされる。

 思わず笑ったのは、マドリード行きの飛行機内のシーン。

 アブラハムの席は、真ん中の列の真ん中だったが、左隣は空いていて、右隣に気の弱そうな男が座っている。アブラハムが度々話し掛けると、この男は明らかに迷惑そうにし、「ほっといてくれ」みたいなことを言う。アブラハムも「すまない」などと引くかに見せて、懲りずに話し掛けて男をウンザリさせ、挙げ句、男は席を移動する。男がいなくなると、アブラハムはニンマリして、3席我が物顔で横になって占領する、、、とか。でも、この男がマドリードでは親切にしてくれるのだ。

 あと、良いなぁと思ったのは、一貫してアブラハムを突き放した描き方をしているところ。これが、ラストシーンで効いているように思う。

 例えば、マドリードで泊まったホテルの主は、金にシビアで愛想のないマリア(アンヘラ・モリーナ)。でも、このマリアも意外に親切で、アブラハムが寝坊していると起こしに来てくれる。で、ここでマリアはアブラハムの腕に番号が刻印されているのを見てしまい、彼がホロコーストの生き残りだと分かるようになっている。

 また、アブラハムには実は絶縁した娘がマドリードにいて、そのいきさつをマリアに話すと、そのリア王みたいなエピソードにマリアは「自業自得ね」とバッサリ。有り金全部を盗難に遭ったこともあり、マリアに「(娘に)会うべきだ」と背中を押され、娘に金の無心に行くんだが、さしもの偏屈爺ぃも、ここでは過去の自分の愚かな行為を娘に素直に謝る。となると普通は、そこで父娘の涙の和解、、、的なシーンを描きそうなモノだが、この監督はそうしない。娘はアブラハムに素っ気ないが、アブラハムの腕に刻印されている数字と同じタトゥが娘の腕にあるのをチラッと見せる。お金をアブラハムに渡す描写もないまま、次のシーンではアブラハムは電車に乗る場面になっている。

 ベタな父娘の和解シーンは描かなくとも、娘の父に対する気持ちを見せ、お金を父に渡したことも分かるよう、最小限の描写に徹している。

 本来なら深刻になりそうなシーンも、コミカルに描いている。アブラハムは、「ポーランド」「ドイツ」という固有名詞を絶対に口にしたくなくて、パリで電車を乗り換える際も、駅のインフォメーションで「ポーランド」「ドイツ」と国名を紙に書いて「ドイツを通らずにポーランドに行きたい」と訴える。このシーンが結構可笑しい。……で、フランス人が理解できずにいるところへ、一人のドイツ人女性が彼に助け船を出すが、彼女がドイツ人と知ってアブラハムは、、、という具合に、ストーリーも重層的かつナチュラルに展開していくあたりは、素晴らしいシナリオだと感心してしまった。

 アブラハムを演じたミゲル・アンヘル・ソラが実に良い。アルゼンチンの名優らしい。一つ間違うと、ただの憎ったらしい爺ぃになりかねないところを魅力たっぷりに演じている。本作の味わい深さはこの方に負うところ大だろう。

 

 

 

 

 

アブラハムの脚は切断せずに済むことになりました。ホッ、、、

 

 

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