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「旅硯振袖日記 中之巻」 7

(粟ヶ岳のユッカの花)

大晦日に粟ヶ岳の山頂近くで撮ったユッカの花である。今日の、今年初めてのまとまった冷たい雨に、ユッカの花はどうなっただろう。

今、手元にちょうど100通の頂いた年賀状がある。今年は何通来たのか、数えてみたらぴったり100通であった。数がぴったりと言うのは、それだけで、何とも得した気分である。

歳を取れば、年賀状はだんだん減っていくものだろう。活動範囲が狭まり、亡くなる人もちらほらあって、じりじり減っていく。

ところが、自分は幸い、この10年をとっても、減らないばかりか、微増している。元は親族、友人、仕事がらみの知人がほとんどだったが、退職してから、お遍路に行き、「四国お遍路まんだら」を自費出版し、古文書を学び、色々と自分のいる世界が広がってきた。

金谷宿大学の歴史講座の先生から頂いた年賀状に、「古文書講座での成果を歴史講座で生かせたら」と書かれていた。「古文書」と「歴史」の講座のコラボである。展開を勝手に想像すると、わくわくする話であった。

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「旅硯振袖日記 中之巻」の解読を続ける。

「宣(のたま)う御言葉の端といい、そのお声まで我が父に、似たとは疎かそのまゝの、お顔が見たい懐かしやと、衣の袖に取りすがり、正体もなく泣きしずむ。
※ ~は疎か(~はおろか)- 前者は言うまでもなく、後者ですら、そうである。

また旅僧もこの有様に、人に知られぬ歎きして、離れ難(がた)なく見えけるが、思いきって写絵が、捕らえし袖を打ち払い、「先刻より余程のひま入り、泊りを急げば別るゝぞ」と言いつゝ、立つに驚きけん、後ろの沢辺に一つの鴫(しぎ)、飛び立つ羽音と、夕告ぐる鐘の響きに、旅僧が、

    心なき 身にもあわれは 知られけり
         鴫(しぎ)たつ沢の 秋の夕暮れ


と、再び和歌を詠じつゝ、伏し沈みたる写絵を、見返りもせず急ぎ行く。目がい見えねば写絵は、まだ旅僧の居るよと心得、
「乞食(こつじき)の、身でなれ/\しき者とし、厭い給わんが、御優しさと敷島の、同じ道芝踏み給えば」と言いさしながら、掻い探れども、早やあたりに人気なく、気配もせねば、かかぐりて、そこら訪ぬる。
※ 敷島(しきしま)- 和歌の道。歌道。
※ 道芝(みちしば)- 道ばたに生えている芝草。また、雑草。
※ 言い止す(いいさす)- 途中まで話してやめる。言いかけてやめる。
※ 掻い探る(かいさぐる)- 手で触って確かめながら探す。
※ 人気(ひとげ)- 人のいるようす。人の気配。
※ かかぐる - たどる。すがる。手探りする。


手の先へ触るは、いつものやなぎの一木、「もう御僧はいづちへか」と言う声、あわれに、また響く遠寺の鐘に驚きて、さも本意なげに、薦垂れをかゝぐり上げて、己が臥す小屋の内へぞ、入りにける。
※ 本意(ほい)- 本来の目的。本来の志。かねてからの願い。宿願。
※ 薦垂れ(こもだれ)- 戸の代りに、出入り口に垂らしたむしろ。
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