平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
寺本廃寺、三重塔心礎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/7f/ee114eddefc36956e7edd26f8babc30e.jpg)
定林寺を後にして、笛吹川を渡り、石和温泉を横切った先に、旧春日居町がある。寺本廃寺の標識に導かれて、車一台やっとの横丁を進めると、住宅の裏側の畑の中に山王神社という村の神社がある。この辺り一帯に、かつて「寺本廃寺」といわれる寺院の伽藍があった。
三回にわたる発掘調査の結果、伽藍の配置や大量の古代瓦などの様式から、今からおよそ千三百年前の白鳳期(7世紀後半)に創建された甲斐国最古の寺院の一つであることが判明した。しかし寺名の手がかりもないので、地名を採って「寺本廃寺」と呼ばれている。考えてみれば「寺本」という地名の中に、過去のお寺があった痕跡を見られる。
三重塔塔心礎は山王神社に出る手前の住宅に隣接する小公園に置かれていた。塔心礎は塔の中心に置かれた土台の石材で、その上に心柱が立った。柱が納まる窪みや仏舎利が納められた穴が穿たれている場合もある。塔跡では上面を出して大部分が地中に埋まっているが、寺本廃寺の塔心礎は掘り出されて地上に置かれている。発掘時の地図によると往時の三重塔も塔心礎の置かれた小公園の位置にあったようだ。
三重塔塔心礎の案内板によると、
寺本廃寺は七世紀後半に創建された法起寺式伽藍配置の寺院である。
塔心礎は長径2.8m、厚さ1.3m以上の安山岩自然石で、上面を平坦にして、中心に白鳳期の特徴である二重の円形の穴を掘っている。心柱の土台の石である。
三重塔は仏舎利等を埋納した建物であり、1981(昭和56)年に発掘調査が実施された。その結果三重塔の平面規模は一辺5.4mの木造建築であり、三重の建物と九輪を加えて全体の高さは約二十四mと推定されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/ae/cf8ebb25686500672b6f5e5e60bc67c1.jpg)
(寺本廃寺三重塔復元模型)
案内板には、春日居町郷土館にあるという、縮尺5分の1の三重塔復元模型の写真が出ていた。よく見るとこの復元模型は上層より下層の方が少しずつ大きくなっている。この様式は法起寺の三重塔そっくりである。法起寺の三重塔といえば日本最古の三重塔で、様式は飛鳥様式と呼ばれている。伽藍様式が法起寺式だから三重塔の様式も同じと考えたのだろう。
三重塔心礎の小公園の脇に植えられたリンゴの木に、たわわにリンゴが実っていた。
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