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二子塚、定林寺の五重塔

(定林寺の五重塔)

先週金曜日の山梨の続きである。

定林寺(じょうりんじ)は甲府市の東隣りの笛吹市にある。笛吹市は2004年に、東八代郡石和町、御坂町、一宮町、八代町、境川村及び東山梨郡春日居町の6市町村が合併して発足した。その後、東八代郡芦川村を編入している。甲府盆地のやや東側に位置して、市内には富士川の上流の笛吹川が流れている。

定林寺は「二子塚 慧光山 定林寺」と呼ばれる。旧八代町の役場近くにあった。案内板によると、

文久年間(1264~74)日蓮聖人御巡錫のみぎり、野中の地蔵堂に泊した夜、東方の塚より昇る鬼火に不審を抱き、翌朝村人から「二子を難産死没した平家の落人の妻子の妄執が鬼火となり悩ましている」との仔細を聞いた日蓮聖人は。三日三晩妙経読誦のうえ、これを済度した。このことから村の豪士、早内左衛門は日蓮聖人に深く帰依し、“日林”の名を授与され、己の屋敷を寺にしたのがはじまりという。

定林寺の五重塔は墓地に接していて、墓地のどこからも見上げる位置にあった。

「塔」を辞書で調べると「卒塔婆」のこと。「卒塔婆」を広辞苑で引くと、仏陀の骨や髪または一般に聖遺物をまつるために土石を椀形に盛り、或いは煉瓦を積んで作った建造物。これが中国から日本へと伝えられて楼閣建築と結びつき、日本では、三重・五重の層塔や多宝塔・根本大塔などになった。下世話に言えばお釈迦さんのお墓である。「卒塔婆」のもう一つの意味は供養追善のため墓に立てる、上部を塔形にした細長い板。梵字・経文・戒名などを記す。板塔婆。この意味の方が一般的である。どちらにしてもお墓の印で、お釈迦さんのものは大きくて立派だというだけである。「卒塔婆」は梵語の「スツーパ」を音写したもので、「スツーパ」は「高く顕れる」という意味だという。

だから、塔がお墓のそばにあるのは当然ともいえる。ご先祖のお墓参りに来て、お墓から高く聳えて見える仏陀のお墓にも手を合わせる。何とも心を豊かにする演出だと思う。

定林寺の五重塔は1981年(昭和56年)に落成、屋根は銅板葺きで、柱や軒下の木組みに塗られた赤い彩色が鮮やかであった。
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