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松木新左衛門始末聞書11 追剥を抱く(前)

(今夜は討ち入り蕎麦)

12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日である。思い付いて、今夜は蕎麦にすると宣言。息子が秩父で買って来た半生の蕎麦が残っているのを承知していた。出来上ったのが、上の写真である。

我がふるさとは、大石内蔵助の妻女りくの実家があった城下町で、りくは家老の娘であった。そんな所縁から、町には12月14日には蕎麦を食べる習慣があった。名付けて「討ち入り蕎麦」という。四十七士が蕎麦で腹ごしらえをして、雪の降る中、吉良邸に討ち入った故事にならって、「討ち入り蕎麦」を食べながら、忠臣たちを偲ぶのである。今では故郷ではそんな習慣も廃れてしまっただろうか。

息子に今晩は「討ち入り蕎麦」だと話すと、何のこったいといった顔をした。

   *    *    *    *    *    *    *

松木新左衛門始末聞書の解読を続ける。

     追剥を抱きし事
一 新左衛門、金子の用事にて、味方ヶ原を夜九つ時過ぎに通る時に、傍らの林の蔭に火を燃して、七、八人居りたる処へ立ち寄って、莨の火を貰う時に、供の治兵衛を見て、羽衣様何方へ御通り有るという。治兵衛いうよう、初めて逢い見る貴殿たち、我が名乗りを知りたるは如何に。また何の用事にてかゝる処に寄り合いたる、といえば、我々どもは浜松の駅に有りて、道中の駕篭をかき、往来を稼ぐ諸国の集まりもの、恥ずかしながら、雲助と思し召して下されよ。


宿の旅篭屋に泊りたく思えども、木賃の借り銭重く、町宿をかすものなし。焼き餅買い、喰い居り、酒して腹をふくらし、ここにて唯夜を過すのみ、と偽(いつわり)て申しければ、いや/\さにあるまじ。宣しからざる業をする奴原と見しは、僻目にあるまじなれども、仇(あだ)なければ、貪着に及ばず。
※ 奴原(やつばら)- 複数の人を卑しめていう語。やつら。
※ 僻目(ひがめ)- 物事をかたよった考えで判断すること。偏見。
※ 貪着(どんちゃく)- むさぼり執着すること。物事にとらわれること。


一樹の宿りも他生の縁、よく/\承れ。この旦那はこの原を新田に開発なされて、今、人夫多く入用の時なり。追剥、追落しの躰なる、その方連、心を改めて出精せば、旦那に願いて朝夕を喰わせ、賃銭を与うべしといえば、口を揃えて申す様、賃に及ばず、空腹なく朝夕をいただき、暑寒なくさざれなりとも下さらば、有がたき事この上なく、骨を舎利になし、掘穿事を相励みて、一方(ひとかた)を行き付いて御覧に入るべしと申すによって、さあらば旅宿へ尋ぬべしという内、新左衛門は莨のみながら先へ行く。
※ さざれ(細れ)- わずかな。こまかい。小さい。
※ 骨を舎利になし - 身を粉にして。


追剥を抱くとは何とも悪い趣味だと思ったが、内容が一寸違った。この項続く。
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